現在、長男くんは地元の日能研に通っていますが今年の灘中学の合格者はわが県では0人
衝撃です(昨年は他塾もふくめ数人いました)。
現実の厳しさ、そして灘中の壁の高さをひしひしと感じました
それを受けて日能研の先生に長男くんがいわれたそうです…
「長男くん、来年は頼んだぞ」
それを聞いて考えました。
その心は
「頼んだぞ」どういう意味だ
結局、塾側としては知らない
生徒自身の問題なのだと
親の考えからすると「今年は日能研からは0人だったから来年こそは通るように一緒に頑張るぞ。」という言葉を待ってたのかもしれません。
しかし、現実的には「頼んだぞ」
これの意味するところはすべて生徒および家庭の問題だから合格し喜ぶのも生徒、不合格で悲しむのも生徒。
つまり全責任は生徒とその家族にあるのだと。
こんなことを書くとあたりまえじゃんと思われる方も多いかもしれませんが意外とうちの子は大手有名塾に通わせてるからとか、レベルの高いクラスに入れてるから大丈夫。通してくれるのは塾の力があるから大丈夫などと考えてる方も多いのではないのでしょうか?
冷静に考えると中学受験は浪人はありません(大学受験は浪人があります)。
つまり中学受験は第一志望校に受かっても残念ながらそれ以外の中学に行くことになっても中学に入ってしまえば塾とは縁が切れてしまいます。
大学受験の場合はあと一年頑張ればと思えば浪人してもう一度塾に通いながら頑張ることも可能です。
つまり、大学受験の場合は生徒が納得できるまで塾の先生が付き合ってくれる、付き合わざるを得ないのです。
そこに塾の先生としての責任の重さの違いが生じるのだと思います
ですので言いたいのは親の立場としては責任はすべて生徒であり親であるということ。
それを踏まえていかにうまく塾を活用するか、塾の先生を利用するかという考えが大切なのでしょう。
決して、今の塾の先生に不満があるわけではありません。
責任は我々の側にあると言うことなのです
それを踏まえて再びゴールへ向けて出発です