先月、音楽プロデューサーの鈴木健士さんが、急性心不全でお亡くなりになりました。
54歳という早すぎる死でした。
一カ月たった今も、まだ死んだって事がしっくり来ない。悪い冗談じゃないのかなって思います。
「わりぃ、わりぃ、ちょっと死んだフリしてみた(笑)」
とか言ってひょっこり出てくるんじゃないかって。
だけど、今日、お別れ会に行き、やっぱり亡くなってしまったんだという事を改めて思い知らされました。
もう一度、その事を整理するためにも文にして書いてみたいと思います。
シャチョ、こと鈴木健士さんは、ピクミン「愛のうた」など3000作以上の音楽をプロデュース、CDショップ大賞を創立し、ミュージックソムリエ協会理事長を務めるなどなど数々の業績を残しました。
が、私にとっては、ただの口の悪い、優しいおじいちゃんでしたw
料理が大好きで、何度も美味しいご飯を作ってくれ、私が料理ベタな事を知ると
「あいみでも作れる、簡単で美味しい料理を教えてやる!」
と言って、フライパン一つで出来るお手軽カルボナーラを教えてくれました。(けど作り方は、うろ覚えw今思えば、ちゃんと聞いとけば良かったって思います)
また、今年、一緒にCDを作る予定でもありました。完成まで、一緒に作りたかったなぁ。
実は、亡くなる数時間前には、電話がかかってきて、
「音楽の良い勉強になるから、今夜、◯◯のイベントに行かないか?」
と言う誘いがありました。皮肉な事にその日、私は深夜まで仕事。「次のイベントは行く!」って言って電話を切りました。まさか、その数時間後に亡くなるなんて…。
教えてよ。抜け出してでも行ったのに…。
シャチョは、本当、魅力的なお人でした。
いろんな人から、シャチョの失敗談を聞きますが、どれも可笑しく笑えて、シャチョらしいなぁって納得しちゃう感じw
シャチョは、損得考えず、純粋に、本当に良い音楽を作りたい、と誰よりも情熱を燃やしてました。
カッコつけなくせに人一倍寂しがり屋でした。
自分は、口悪いのに、人から言われると打たれ弱いとこがありました。
日本の音楽を変えようと、何か大きなモノと戦ってるようでした。
私はおじいちゃんって言ったけど、娘のように可愛がってくれました。
優しく、温かく、不器用で、いろんな人に愛されてました。
一人のアーティストとしても尊敬してますが、何よりその人柄が最大の魅力でした。
今の日本は、シャチョには少し生き辛そうでしたね。あの世では、もうちょっと楽に、穏やかに暮らせてれば良いなぁ。
あの世でも、音楽作ってるのかなぁ。ねぇ、シャチョ?
きっとまた会いましょうね。
大丈夫。寂しくないですよ。私もそのうち追いつくだろうから。
その時は、ちゃんと料理覚えなきゃね。うろ覚えなお手軽カルボナーラの作り方も、もう一度教えて下さい。次は、真剣に聞くよ。
今はまだ、未完成なCDも、そのうち出来上がる思います。一緒に聴きましょうね。感想を聞かせて下さい。
あと、今度は、ちゃんとイベント行くから。音楽の事、しっかり教えて下さい。
私の人生は、まだきっと長いから、お土産話持って、また会いに行きますからね。
ホント、いなくなるの早すぎだよシャチョ。
バカバカ。でも、ありがとう。ありがとう。
きっとまた会えるよね。
それまで、とりあえず、さようなら。