卍固めです。


母には、小さい時から、何度も何度も「自分中心で世界がまわっていると思わないこと」と、言われましたが、現在32年間経った今でもその思考は直らなかったのが残念でした。

さて、今回は、私が都立大学の碑文谷に住んでいたときに、友達と自転車で「海越え」をした時のお話をさせて頂きます。

あれは、私がまだ25歳の冬でした。碑文谷4丁目に住み、ブリジストンのマウンテンバイクを乗り回してシティーボーイぶっていたときのお話です。

友達に、「海超え」しないかと提案しました。それを聞いた友達は、目が「点」になっていましたが、私の提案をすぐ聞き入れ早速行動しました。

銀座の数寄屋橋阪急(当時)と西銀座デパートの間にある公園で待合せをして出発しました。

ルートは、銀座からレインボーブリッジを渡ってお台場に行く。と、いった目標でした。

私は、ブリジストンのマウンテン。K氏は3段ギア。M氏は無印の自転車ギア無。の3人で海越え計画を実行しました。

まず、新橋通過前に警察官に止められて職務質問を受けました。

なので私が、「これから俺達は海を越えるためにレインボーブリッジを渡るんだ」と、言ったら、とっても詳しく調べられました。

不審者で無い事を立証できたため私達は旅を続けました。

軽快に自転車をこいでいたら、M氏がついてきていないことに気付き後ろを振り向くと、M氏が冬なのに、汗ダラダラで、体を左右に揺さぶりながら、更に立ちこぎしながら、「卍さん!きつい!卍さん!きつい!と、2回繰り返しました。」

ことの重要さに危機感を感じ、10分ドリンク休憩をとりました。M氏は、衰弱した様子で、卍さ~ん、もうちょっとゆっくりこいでよ。きつすぎるよ~。と言うので、「なんてオカマ野郎だ」と、言おうとした瞬間、ギアが無いことに気付きました。なので、無印チャリなんて乗っているのが悪いといったら、M氏からすると、無印の白い自転車に乗る事がシティーボーイという認識だったみたいです。それを聞いて、みんなで抱き合って泣きました。休憩を終了させて、旅を再開すると、レインボーブリッジが見えてきました。

みんなで「イエ~ッイエ~ッと、叫びながら、レインボーブリッジを昇る瞬間、警察官が私達の前をさえぎり、レインボーブリッジを自転車で渡っていいとおもっているのか。言われてしまいました。20分に及ぶ講義にも動じることなく断念する方向になりました。M氏が、膝から崩れだしましたが、「フェリー超え」の一言で、竹芝桟橋へ向かいました。そして、フェリーに自転車を積み込み、お台場に到着しました。

「イエ~ッイエ~ッと、叫びながら、ビーチに突入後、砂にタイヤを取られ動けなくなったりと多少遊びましたが、飽きて帰りました。

その後、M氏が私に、よっぽど悔しかったのでしょう。「卍さん、また行こう。自転車買ったら」と、「潜水艦と同じ色のマウンテンで8万円したから」と、自慢げに話してきましたが、私達はもう飽きてしまい行きませんでした。

その後、M氏は50万円の組立て式の自転車も購入したという自慢話もしてきました。

なんて、アホなやつだと思いましたが、そんなM氏も2007114日に結婚しました。3000万円のマンションも購入予定です。めでたいめでたい。