【「ガンジー」の行方】インド独立60年(5)非暴力映画ヒット
病気でもないのに、他人から「お大事に」「早くよくなりますように」と記されたカードを手渡されたらどう思うだろうか。バラの花束と一緒に、毎日続くのである。そして、それらが自分の「悪業」や「過ち」に対する言葉であることに気付いたら…。
主義は現代にも生きている
インド南部バンガロールで昨年9月、イスラム教徒の女性、ベナジール・ベイグ(33)はある事務機器メーカーの事務所の隣で座り込みを始めた。7歳から14歳までの子供たち15人も一緒だった。
貧困家庭の子供たちを対象にした学校を運営するベイグは教室拡張のため、土地と建物を購入したのだが、その業者は当初の約束をほごにして立ち退きを拒否していた。
座り込みの初日、ベイグと子供たちは事務所を訪れ、責任者に「お大事に」のカードとバラの花を手渡した。その男性は笑いながら受け取った。ベイグたちは約3時間、事務所の外に座り込んだ。
2日目、再びやってきた彼女たちに責任者は驚いた。不愉快そうにカードとバラを受け取った。3日目には怒ってカードと花を投げ捨てた。
事務所には各地からバラの花が届き始めていた。座り込みがメディアで紹介されたためだ。ベイグのもとに「負けるな」という激励の電話がひっきりなしに寄せられた。
そして6日目。いつものように座り込んでいたベイグに1本の電話がかかる。「建物のカギを返すから、やめてくれ…」。不買運動が起きるのを恐れた業者からだった。
ベイグへの共感が広がったのにはわけがある。その年にヒットしたインド映画「行け、ムンナバイ」と同じストーリー展開だったためだ。
映画は、暴力団員で主人公のムンナバイの前に、インド独立の英雄、マハトマ・ガンジーの亡霊が現れるようになり、彼がガンジーの助言に従って市井の問題を解決していくというコメディーだ。
その中で、ムンナバイが悪徳会社に苦しめられるお年寄りたちのため、ガンジーの教えにならって採った抗議方法がある。それこそ、「お大事に」のカードと花束を贈り、相手に自省を促す現代版「非暴力・不服従運動」だった。
「マハトマ・ガンジー財団」を運営するマハトマのひ孫のトゥシャール・ガンジー(47)は、「国民にとって教室や職場で肖像画を仰ぎ見るだけの、退屈な存在となっていた曾祖父の教えが実生活にも十分応用できるんだということに皆が驚いた」と、映画のヒット理由を語る。
立ち退きを拒む業者を前に頭を抱えていたベイグにとっても、映画を見たことが転機となった。暗い映画館で笑いながら声を殺して泣いた。
「どのように戦えばいいかわかったんです。怖かったけれど、次の日から実行に移しました。ガンジー主義は現代にも生きている、今ではそう実感しています」
7月下旬、西ベンガル州の州都コルカタ(旧カルカッタ)で10万人規模の抗議集会が組織された。呼びかけたのは、地域政党「草の根会議派」の女性党首、ママタ・バナジー(52)である。
コルカタ近郊で計画が進む経済特区では昨年来、土地収容に反対する農民らのデモ隊と、州政府の治安部隊が衝突し死傷者が続出していた。
反発したバナジーの採った抗議方法がハンガーストライキだった。ガンジーが非暴力・不服従の手段として多用したものだ。昨年12月、3週間を超すハンストを行い、弱々しく横たわる彼女の姿はメディアに連日取り上げられた。
バナジーにハンストを選んだ理由について聞くと、「デモをすれば州政府は参加者に暴力をふるう。平和的に抵抗するには、ガンジジー(ガンジーの敬称)がやった方法しかなかった」と強調した。
ガンジーは生涯に18回の断食を行ったといわれ、自身、「(非暴力は)眠っている相手の良心を目覚めさせる」ものであり、「(ハンストは)非暴力の兵器庫にある最後の武器だ」と語っている。
実は、皮肉にも西ベンガル州の知事はガンジーの孫である。州首相と違って州知事は名誉職に過ぎないが、州の顔であることに変わりはない。ガンジー一族として事態をどう考えるのか。駐ノルウェー大使などを務めた官僚出身の知事、ゴパルクリシュナ・ガンジー(62)に何度も取材を申し込んだが、「親族が亡くなって間もないうえ、体調もすぐれない」と拒まれた。苦悩の深さを垣間見た気がした。
映画「行け、ムンナバイ」の余波はバンガロールだけにとどまらない。ラジャスタン州やムンバイでは、警官が交通ルールの違反者にバラの花を渡しながらニコリと笑うキャンペーンを実施した。
ただ、映画では触れられなかったガンジー主義もある。宗教、核、カースト問題についてだ。そこにこそ、現代社会における「ガンジー」の限界が潜んでいるのである。=敬称略(
産経新聞より
人気でちゃいましたかぁ。