今日は雨は一休みです。

 

2年前の母の死、心の準備がまったくできていませんでしたが、見る人が見れば母の死期が近いことは明白だったのかもしれません。

転倒からの硬膜下血種が慢性になり、2017年の3月から手術が計4回。発症から8か月、リハビリを経て自宅に戻れたものの、3か月目に再度手術、その間、インフルエンザや原因不明の高熱もあり体力がすっかり弱ってしまった。リハビリ病院に転院となった時、前回入った病院に入れず、別の病院に入りました。

 

前の病院の対応に感謝し、信頼もしていたので別の病院に行ったときにはその対応の違いに驚きました。

担当医師は30代くらいの女性医師ですが、まず言われたこと。

 

「お母様は硬膜下血種のほか、体力も低下し、肺も少し白いし、赤血球が異常に多い。血液異常に関しては当人とご家族の意思で骨髄穿刺の検査をしていらっしゃらないので詳しいことはわかりませんが。高齢ですし、必ず自宅復帰がかなうわけではありません。入院中に亡くなることもあり得るとお考え下さい」

 

前回のリハビリ病院では自宅復帰を前提とした入院でしたので、この言葉はショックでした。大学病院の手術の度合いとしては、最初の手術よりかなり小規模で転院も早かったので、今回はむしろリハビリの期間も短くてすむだろうくらいに思っていたのです。

 

また、「認知症がわかってすでに5年ほど経過しています。認知症になられた方は大体発症から10年ほどで亡くなられることがわかっています」とも告げられました。

 

そのころの母は、短い会話なら普通に話せましたし、自分や私の名前も言えた。移動は車いすでしたが、ベッドに腰かけてのリハビリもできたし、介助付きでトイレも行けた。食欲も普通以上にありました。なので、その医師の発言は病院側のリスク回避で言っていると思いました。

 

その病院自体の対応も以前と比べて私には不満が大きかった。まず、暖房がほとんどきいていない。4月の事でしたが、お見舞いに行っても春コートが脱げない室温でした。これまで病院というところは暑すぎるくらい暖房がきいていたので、厚手の衣服を用意していなかったため慌てました。次にお見舞いに行ったときは寒い中母は靴下を履いていませんでした。慌てて厚着をさせるも、母は心配した通り風邪から肺炎になったのです。

 

また、食事も、以前のリハビリ病院は患者さんがテーブルを囲み談話しながら和やかに食べるスタイルでしたが、その病院では母は壁に向かったお一人様席に座り、介助もなく食事をしていました。

 

母の命を救ってくれた栄養食品や好物の差入も、病院側でカロリーコントロールするので持ち込まないようにと言われました。糖尿や校閲圧、腎臓の障害など一切ないのに今考えたらばかげていますよね。。

 

肺炎になって母は元の大学病院に戻りました。それから熱が下がらず、絶食が続きましたが、私はその嫌なリハビリ病院から転院できて、これで母が元気になると信じていたのです。そして3週間後の母の死。。。。

 

今思うとそのリハビリ病院の医師は母の命が長くないことを見透かしていたのかなと思います。大学病院では甘え上手な母はとても大事にされ、周りの看護師さんも母が戻ってくると我先にと母の世話をしてくださる状態でした。そんな状態に甘えて、私は現実を見なかったのかなと。今、当時の母の写真を見ると、痩せて、なんでこの状態で生きていけるのだろうというほどでした。

 

残酷な言葉。もう永くない。その言葉を避けたとしても、いずれその時はやってくるのですが。