第4章 「下段」を書く
①(校長一校目)
 

   実は、「学校だより」でわたしが一番尽力したのが、この「下段」なのです。

「下段」には、「コラム」欄を設けていました。特に、校長2校目の学校では、「校長のつぶやき」と題して、4年で115のコラムを書きました。

 このコラムで、「校長」という役割をもつ「わたし」の、日々の出来事や思いを記しました。

 

 また、わたしは「教育相談」を教職人生でのライフワークとしてきましたので、保護者の方の子育てにおける見方や考え方にそのエキスを生かしてもらいたいと考えていました。

 そのような思いで書いた「コラム(下段)」を紹介しますので、ご覧ください。

 

 なお、学校訪問の際に資料として「学校だより」を使ったところ、教育長に「コラムだけ読みたい」と言われ、まとめたものをお渡ししていました。

 

 

 

4―1 コラム「人生で必要な知恵はすべて『教育相談』で学んだ」

 

 校長一年目の「コラム」です。最初の一つを書いたのはよいのですが、次がなかなか続きませんでした。

 そこで、「教育相談」のミニ情報を書いてみました。

 

 

□子どもに「花束」を (2014・4・18)

 始業式で子どもたちに、「目標を決めて、それができたときは、自分で自分に『花丸』をあげよう」という話をしました。

「自尊感情」という言葉があります。どうしたら、この「自尊感情」が育つのでしょう。

 私は、仮定として、「花丸をいっぱい持っている子は、自尊感情が高いのではないか」と考えました。教師や親にほめられて「花丸」の数が増える、友だちに「ありがとう」と言われて「花丸」の数が増える、人がくれないときには自分で自分をほめて「花丸」を増やす。

 そういう好循環になった子は、「私はできる」「私は乗り越えられる」「私は価値がある」という思いが高まっていくのではないでしょうか。

 でも、自分で「花丸」は寂しいので、教師や親からもいっぱい「花丸」をあげたいものですね。

 

□「『聞く』から『聴く』へ」 (2014・7・11)

 周りに誰もいなくて、相談機関で私が初めて教育相談の電話を受けたときのこと。その母親は、「長くなりますがいいですか?」と問いかけてきました。「いいですよ。」と答えたところ、我が子が産まれたときのことから、順に話を始めました。そして、1時間半で現在に至り、私は何も話した覚えはないのですが、2時間で満足して電話を切られました。ただひたすら聞いていた2時間でした。

でも、今は思うのです。ただ受動的に「聞く」のではなく、能動的に「聴く」ことはできなかったのかと。

 さて、子どもたちは家に帰ってどんな話をしているのでしょうか?

進んで話をする子、聞いてもさっぱり答えの返ってこない子、話したい思いはあるのに要領よく話のできない子…。ただ、どの子にも心の中には、分かってもらいたい「思い」があると思うのです。

「ちっとも話を聞いていない」と妻から怒られている私は、「思いが分かってもらえた」そんな能動的な聴き方ができるようになりたいと、自戒する毎日です。

 

□「いま ここ ~過去と他人は変えられない~」

 相田みつをさんの書に「いま ここ」というのがあります。

 おそらく、過去や未来を意識し過ぎず、あっちやそっちと比べずに、今いるところで足下を見つめて一生懸命生きることが大切だ、ということだと思います。

 似た言葉で、教育相談の世界に、「過去と他人は変えられない」という言葉があります。その通りですね。

 ただ、過去は変えられないけれど、過去をどうとらえるかを変えることはできます。また、他人を変えることはできないけれど、自分を変えることはできます。

 自分を変えることによって、その生き方に触れた相手が変わることはあります。「子ども」を変えようと思ったら、まず自分が変わらなくては、と自戒しています。

 

□「例外」 (2014・10・10)

「まったくいつも勉強しないでゲームばかりしているんだから…」とか「起こされないと起きないんだから」などと、親は言うものですよね。

でも、実は、「できている」ときもあるのです。

この「できている」ときを、「例外」と言います。そして、「例外」に目を向けると、見えてくるものがあります。(ザルに残った小石に目を向けるのではなく、ザルの目からこぼれ落ちた砂の中にある砂金に目を向ける、という感じです。)

そうすると、親がほめた後はゲームをしないで宿題をしている、とか、金曜日は自分から起きてくる、とか、解決のヒントになることが見えてきます。

「できている」ときを探す方が、楽しいとは思いませんか?

 

□「成功の責任追及」 (2014・10・17)

私たちは、子どもが「失敗」したときには、「どうしてそんなことをしたんだ!」とか「何が原因なんだ!」など、その失敗の訳をしつこく聞きます。

 でも、うまくいっているときには、「あたりまえ」と思って、素通りしてしまいます。

「どうやってやったの?」「どうしてやれたの?」「なぜうまくいったの?」「誰のおかげなの?」…とできた訳を根堀り葉掘り探ると、次につながるヒントが見つかりそうです。

 このことを「成功の責任追及」と言いますが、こんな「責任追及」なら受けてみたい気にもなりますね。

 

□「問題の『外在化』」 (2014・10・24)

 実は、私の中に、「何もしたくない虫」が住み着いています。家に帰って、日本酒を飲みながら夕飯を済ますと、もう何もしたくありません。家に帰る車の中では、本を読もうとか、腹筋をしようとか、そうじをしようとか、考えるのですが、もうだめです。

でも、「私」が悪いのではないのです。私の中に住み着いている「何もしたくない虫」がいけないのです。

 …というふうに、悪さをする癖を「虫」などに例えて取り出すことを「問題を外在化する」と言います。そうすると、子どもと「一緒に」、その「虫」をどう退治するかを考えることができます。その方が楽しいですよね。

もう一度言います。悪いのは「私」ではなく、「何もしたくない虫」なのです。

 

□「未来志向アプローチ」 (2014・10・31)

 これまで、「例外」「成功の責任追及」「問題の外在化」などについて触れてきましたが、これらは、「未来志向アプローチ」としての方法になります。

私たちは、「過去(原因)」があっての「現在(結果)」という思考を取りがちですが、大事なのは「未来」です。「未来のイメージ」が「未来」を、「現在」を、現在に至る「過去」をも決定しています。

子どもは、今日と明日では別の人間になる。そして、来週、来月、来年はまた別の人間になる。5年後、10年後、20年後は、また別の人間になる…。

そう信じて、その子の個性や得意なこと、まわりの環境など、「使えるものは何でも使う」という考えで子育てをしていくと、パッと視界が開けるかもしれませんね。

そんな私の未来イメージ、私の夢は、「○○をつくること」です。

 

 

*次回へつづく