(前記事の続き)

毛皮といっても高価なコートだけではなく、衣料品・小物アクセサリー・キーホルダー・バッグ・ベビー用品・動物用おもちゃなどにも使われています。
1枚の毛皮のコートを作るのに、ミンクなら70~80頭、キツネは10~15頭、犬は12匹、猫は24匹分必要。
中国には動物福祉に関する法的条項がほとんどないらしいですね。それで毛皮ビジネスの拠点が中国になる。
日本には中国から大量に輸入。規制がない。
外国では、毛皮製品の輸入や取引、製造禁止や毛皮動物の飼育場が廃止となったりしている。


飼育場で拘束された動物たちは手荒い扱いを受けている。不衛生極まりないし、精神に異常をきたし、自らの肉を食らうもの、絶望感からの無行動、母親による子殺しなど。正常な環境で飼育されていない。風雨も凌げない狭い檻の中で殺されるまで暮らす。
アザラシの場合は主に子供アザラシが狙われ、人間が棒のようなもので叩き殺していた。まだ意識があるうちに皮を剥がされるアザラシも多数いてる模様。


家に、ウサギの毛を使った服があったので捨てた(本当はメーカーに、抗議文とともに送り返すのがベストのようです)。ウサギの血肉をまとってる感覚に陥るし、私自身、毛皮製品を今後買うことはないだろう。


こういう話をすると必ず「それなら我々が食べてる牛豚鶏魚も同じことだ」と唱える人も多数。それはそれでわかるのだけど、毛皮との決定的な違いは、“食用”かそうでないか、ということ。
私たち人間は食べなければ死ぬ。けど、毛皮はなくても生きていける。代わりに暖かいジャンパーたくさんあるよ。
『食べるために殺す』 『ファッションのために殺す』
この2つを同じように捉えることがどうしてもできないのだけど…


こうやって記事を書いていて思うのだけど、印刷した色々な資料を見ながら日記を書いてるわけだけど、数日経った今では、残酷な記事を読んでも、悲しい動物の姿の写真を見ても、涙が出なくなっている…。資料を読みながら食事もできる勢いだ。
これがいわゆる“慣れ”なのだろうか?感覚の麻痺なのか…?
もちろん現場に立てば、麻痺どころか発狂するだろうけど、その場に(見)慣れてくると、“悲しい”気持ちとかそーゆー感情が失われていくのだろうか…?
人間の残酷さ…それは自分自身にも少なからず備わっているんだろな…と、否定はできない。


今週末から公開される『プレデターズ』。BLUESさんがうまいこと言ってた。プレデターと同じことをしてるって。
そだね、皮剥いで逆さに吊るすもんね…今回の最新作でもその儀式はあるんだろうか?


毛皮産業の実態→http://www.no-fur.org/