・内側 体表の内面に ふくらむ意識は 反転してるようにみえるが、外に外に膨らむのと同じかそれ以上に 内部にふくらむことができる。 意と気を、ニュースに目をとられて頭と思考で どうなんだ こうだんだと 正しさらしきことを求めているのは、ただ、他人と話をしたときに、自分がいかにモノゴトをしっているかをアピールしたいかだけであるとわかってしまう。
会話 対話が 楽しくないのは、表面上の一部をなぞって それを口にしていたらいいでしょ~と思われる意識に乗っ取られたことを無意識にしているだけだと、私が見てしまうからだ。なら、見てしまう意識をとればいい。そう見る意が私にあるから そう見るあなた(対象)を裁く意を 剥がして 見つめて 手を開く。
おや。
書きだそうとした動機とは まったく違うような内容をかいてしまった。
はじめに書こうとした意が 消えた。
見つめて話すと 消える。 そう感じ、そうしようと思って 行動してみて、動いてみたら、どんどん変化していく。
正月の朝風呂に いこうと、近くの銭湯まで散歩したら、お休みだった帰りの空が 美しかった。
空がきれいで 気持ちがよかった。
どこまでもどこまでも、他人 ニュース 世間への集中をさせようとする衝動に のらず、自分自身のセンターに 入っていく感覚を 2025年は する。 相手に対応しよう、相手に対処しよう、相手と戦おうという意。 これは 意でしかない。衝動でしかない。それに捕まるのか、それを飼いならして いなして 思わぬ展開 思わぬ動き 思わぬ感動 思わぬ喜びに すすむのかを 日々選択していく年にする。
人のせい 社会のせい に できないというのは、自己責任という 重たいものではなく、人の情報と話と意見だけに頼るのではなくて、意見と情報を 入れたうえで、そのうえでどうしていくかを 自分で決めていくということらしい。
神社参拝も占いも 今年2025年は なんとなくだが 興味がもてないのは、こう感じだしたからだろう。
今年がどうなるかは、自分で そう決めたらいい。どうなるのかどうなっていくのかは、情報。
相変わらず まわりくどいなあ。
しかし、自分との対話だから これでいい。
そうそう。こうやっていると、どんどん 静かになっていく。窓の外を吹く風の音、遠くで走る電車の音。ポタポタ落ちる水道蛇口からの水滴の音、チュンチュンなくスズメの声。
ちいさくて些細なこと 日常の中の 気分を落ち着けていく景色が 自分の本来の景色。


