仕事を変えて、以前の関係者と 会いたくないところでであい、

サービスを提供しないといけない場に出くわしてしまった。

 

 体験したくはなかった シーン。

 

本当にショックで ありえない!とおもえるシーンに出会い、

それでもサービス提供をしないといけない場になったときでも、

最善のサービスを普段どおり実行することができた今日。

 

 と おおげさに考えるのも自分だし、へー。そういうの、あるよね。と考えるのも自分で、

どう定義するかで 良い思いか最悪の体験かがかわるのですね。

 

 

 今 あのとき どう恥ずかしかったのか、恥かいたと感じたのか、思い出そうとして

あまり思い出せないのは もう 超えそうなのだからだろう。

 

 過去 ひどい目にあったとか 

 過去 おそろしかったとか

 過去 恨みに思ったとか

 

起って感じてショックをうけて、それをいつまでも反芻して振り返って思い出して

しんどかったつらかった嫌だったと念を繰り返している。

 これをしてると 時間が止まる。進化が止まる。

こんなにつらかったのだとアピールしてしまいたい衝動にやられてしまうことが

悪因縁 悪カルマ 重いデータを 作ることになるのだろう。

 

しかし 2024年の今。  

もう そういうのは 乗り越えて 理解して 同情して 共感して、

思いを解消していくことを していく時なのだとおもう。

お盆も近いし、先祖に思いをはせる時期でもあるし。

普段してる解放ワークが 生きてくる。

 

 

 と  だらだら 書いてる時点で 未練たらたらだよね。

書かないと何ともおさまらないという思いがあるのも事実。 

 

それがあった。それが起こってしまった。おしまい。

と瞬間できたら最高だ。

だが、簡単にながしてしまうと 大事なことを無視してしまっている気もする。

 

 感情に振り回されるのはつらいものだが、振り回されることで、

本当の思い 本当の願い いうに言われぬ無念な思いを理解して 抱きとめていくことは

出来る人にしかできない。できる。やろう。向かい合おう。だれも責めないで、溶かしていこう。

と思える人が たくさんたくさん いてくれたおかげで

今の 日本があり 世界があり 家族がある。

 

なんて まじめに考えて ぴょんと飛び跳ねることができる 自分が すきだ。

 

しっかり味わって 解放したら、かわいいもの見て ニヤーっとしていよう。