先に、以下の文を書いて読み返すと、思い込みがあるのに気づいてしまった。

「責任を負う」というのに 本当は自分は悪くないという開き直りをかんじてしまった。

堂々と なんとかしていく!という気迫をもって いこう。

まだまだ力が湧いてくる。
 

 

 

誰かを糾弾するには自分も責任を負わないといけない

という思考がアカンのかもしれないけど、

「こう考えるからこうなのだ」

というのも思考。

思考で思考を積み上げて解決したつもりになろうという、責任逃れが通用しない。

まさに今の我が事。

我が事がそのまま 目にする世界に映っていて、内面をどうこうしないと もうどうしようもない段階に来ている。

解結は するのかしないのか わからないけと、今の現状 こういう状況で こういうことをやっていて できる事はこれである・・・・というのを 正直に話すことにした。

 

話すのはこわいけど。

話したからと言ってどうなるかはわからんけど。

話すことが自身の責任放棄で自己満足なのかもしれないけれど。

 

でも もう ○○がわるいから○○のせいで○○がなんとかなれば・・・と ○○の存在が 変化すること、○○が反省(?)することを 夢見ていてもなんともならん。

 

この○○さえなんとか・・・・という なるのかならんのか 自分の意思に寄らない所に期待をもっているのも ある意味大事な姿勢なのかもしれない。

が、勇気をもって 面とむかって、もうすべて捨てきって、できること できないこと やっていること、やれそうなことを全部書きだして一つ一つ実行していくことにようやくなった。 

こう書いていくと ワシはもう最悪なのだなと 思ってしまう。

でも最悪と感じるのと同時に こんなもんじゃない!という気力も湧いてくる。
 

私は全力で生きてきたつもりだったが、

まだまだ全力の余力があるようだ。

 

自分が感じてることは世界と同じ。

投げやりにはならず、誠意をつくして 日々の仕事をしながらこうあればよいな!こうあってほしい!と理想を描いて根回しして 話をして 話を聞いて、地味に地味に地味に生きてる同志たちが私にはいるのが ありがたい。

 だから、簡単に 誰かを責めて責任を負わせるわけにはいかない。 ギャーギャー言ってる人も 本当は そうは言いたくないが くるしくて仕方なくそうしているのだと 1%同情。

 

がんばろ。