解釈と解釈を戦わせて 喧嘩して それが 意義のある 意味のある 「今こそ たちあがらねば!」と 煽る というの。

 ええな。 自分もそんな 意見を言えたらいいな。評論家みたいに 言えたらええな。 と 思っていたが、

 

 このあこがれが 崩れ始めた。

 

 

 

 

こちらの動画を見て、

 

 

 

 

憲法と条約は 条約が優先する という意見を聞いたので それが本当か資料を調べたら、このページを紹介された。

 

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000945624.pdf

 

 (上記より 引用)

条約と憲法の関係については、学説上、憲法優位説と条約優位説に分かれているが、憲法優位説が通説的地位を占めている。  条約と法律との関係については、条約は国際的な取決めであり、憲法が、条約の締結における国会の承認や条約の誠実な遵守を求めている(第73条第3号ただし書、第98条第2項)ことから、条約は法律に優位すると解する点で学説はほぼ一致している

 

 

 これを読んで 個人的な疑問がわく。

これは 学説なのだ。学説。学説ってなにだ?学説とは 解釈の一つなので、これこれは こういうことだと整合性があると考えるのが当然であると、今は 仮に優位的に解釈しておきましょうという約束に過ぎない。

 と 思ったのだが どうなのだろう?

 

 

別にこれを他人と議論したいのではない。深めたいのではない。

これを触媒として身近な例、自分個人にかんけいすることや 世間(?)社会(?)世界(?)で 「常識決まりルール当然のこと 守るべきこと」は ただの 言葉で決めたことだけであるのなら、なぜそれを10000%信じ従い縛り付けられ互いに監視してやったやられたと 不自由なただの思考 言語ゲームで 縛りあいをしてしまうのか? と疑問がわいただけだ。

 湧いただけなので、 ほっといてくださいね。

 「 国と国で オレオレ詐欺が おこってるのでないか?」という 神谷さんの意見。 

 

 ホンマにそうだ。 オレオレ詐欺という視点 見方。政治だけじゃなく 身近な会社関係 人間関係 家族関係 でも 存在していると 感じる。

 

 で、こう考えて 結論というか さらに展開して思いがわく。

 自由になる 思想が楽になる 思いこみから離れる データがなくなる というのは オレオレ詐欺 の嘘から 個人個人が 気付いていくことである。それはちがうぞ!まちがってるぞ!と 戦ってやっつけていくのが これまでの数千年の人間の歴史なのだとしたら、

 そろそろ この うそくささ あほ臭さ から離れて、もう意味があるのかないのか永遠に 結論のでない 言論 言葉での縛りをやめて、勝手に好き放題 やりたい放題というと自己勝手すぎるが、そういう行動をしてしまっても いいのではないか・・・・・と 感じ始める人が増えていってるのが2023年なのだと 

  おおげさに 大風呂敷を広げて 何の根拠もなく 無責任に 考えがわいた。

 

 

  

 もっと 楽にならんのか?

 楽になったらあかんのか?

 そもそも 楽になるのに 誰の許可がいるのか?

 社会をみだそうとするのでないならば、もっと自由でいいんじゃないか?

 

 もっと 単純に単純に ルール 規則 こうしたらいい こうしたらあかん というのを 勝手に撤廃してもいいのじゃないか? 

 己のルールで 自身の周囲5㎞圏内の人間関係だけでも 平和で 安心して 敬意をもって対していく態度を 自分のできる行為をもって実行してたら まるっと なんも問題ないんじゃないか?

 と思ったというか かんじたら もりもり言葉が出てきたので 書いただけ。

 



 だんだん というか どんどん こういう風に 発想するひとが増えている 気がする。気がするだけで 確かめたわけではない。確かめようがない。そうかもしれん と感じたことを他人も感じてるんじゃないかと感じただけ。

 

 これもまた 変な話だ。

 

自分が観てる世界がこの世にあらわれてると 大袈裟な表現でいうと こういうことだろう。

 

 

 

 まあ、 文句いったり 批判したりしてそれで なんか変わったらそれでOK。

 でも 己の身近なところから できる範囲で 現実を変えて行くことができると 本当に人間が個人一人の力を思い出し始めたと 感じた。

 

 大袈裟!!  いいように 都合よく解釈しただけ。

 

 

 

 解釈と解釈を戦わせて 喧嘩して それが 意義のある 意味のある 「今こそ たちあがらねば!」と 煽る というの。

 ええな。 自分もそんな 意見を言えたらいいな。評論家みたいに 言えたらええな。 と 思っていたが、

 

 このあこがれが 崩れ始めた。