第22回丹後100kmウルトラマラソン結果報告 | 継続は力なり

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あと一歩だけ前に進もう!

 まずは前日(9/14)。

 14:00に自宅を車で出発。←2年前に初めて出走したとき,マラソンバスを利用して辛い思い(ゴール直後に嘔吐した後バスに乗車したためずっと吐き気と闘いながら京都駅まで我慢)をして懲りたので。

 

 16:30に洛北阪急スクエアに到着。廻転寿司で腹ごしらえ。

 その他諸々。

 

 食後は,朝食用のドーナツと飲み物を買い,一乗寺にある息子の下宿へ。

 そこで18:00から早めの睡眠をとり,23時に起きて早めの朝食(?)。

 

 そして,当日(9/15)。

 0時に息子に別れを告げ,京丹後市に向け車で出発。

 南丹SAでトイレ休憩と少しだけ仮眠。←この辺は去年,霧が濃くて車を走らせるのが怖かったが,今年は薄くてよかった。

 大会会場最寄り駐車場Aである網野グラウンドに向かいながら,開場は2:00だから満車になっているかもと危惧していたが,2:30頃に着くと8割方埋まっていたものの駐めることができた。

 ゼッケン(Tシャツ前後)とランナーズチップ(シューズ左右)を装着し,2:50シャトルバス乗り場へ。

 3:00過ぎ,大会会場アミティ丹後に到着。体育館に荷物を預けて,仮設トイレで用を足す。

 その後,スタートゲート横のサービスコーナーでバナナ,レーズン,パンやアミノ酸飲料,乳酸菌飲料などをいただいて時間を潰す。

 

 4:20から5分おきにウェーヴ・スタートが始まる。←私は第5ウェーヴなので4:40発。

 この時点で天気予報は曇り時々雨だったので,アームカバーは荷物と一緒に預けておいて正解。

 バックパックを背負わず,ガラケーを入れたウエストポーチを巻き,ソフトフラスクをポケットに入れて走る。

 

 スタート後は街灯付近以外はまだ真っ暗。←去年同様ガラケーのライトで自分の足元だけは確認できるようにしていたが,斜め後ろの人がヘッデンを点けていたので明るく,必要ないぐらいだった。今回,ガラケーは走り始めてから1時間程の照明用として使い,カメラ撮影用としては関門の写真を撮るだけにしようと決めていた(初めての100km大会だった2年前は撮影に時間を使いすぎたためにゴールゲートをくぐるも制限時間を3分余り超過)。

 10km程走ると,空が明るくなり始めて足元は見やすくなってきたが,まだ前後に人が途切れない状態で交通規制のされていない車道の左側を走るので追い越されることもないが追い抜くこともない。←少しの隙間を見つけてはサッと少しずつ追い越していくランナーもいたが,私は流れに身を任せていた。

 20km程走ると,スタートから2時間以上経ち,人がばらけて前後にスペースがグンと増えていた。←この辺までは10km毎のラップだけを意識してキロ6~7分で行ければいいと考えていた。

 

 第1関門到着。

 8:10頃,第1関門の海山園(29.5km)に着いた。ここまで,3時間30分。関門時刻まで30分。スタッフの人に「余裕ですね。次の関門には12:00までに着けばいいですからね。」と言われた。←このとき,「あと4時間弱で25kmか。確かに少し余裕があるな。」と思ってしまった。

 今回,この第1関門の海山園エイドでは,へしこおにぎりがなくなっていた。他のランナーがテントの後ろに積んでいるのを見つけて「まだあるやん。」と言うと,スタッフの人は「これは60kmの人の分です。ごめんなさい。」と返していた。ある女性ランナーが「食べたかったのにそんなんある?」とごねると,そのスタッフの人は「内緒ですよ。」と言っておにぎりを1つ取り出して渡していた。全部周りのランナーには筒抜けの会話だったが,誰も右へ倣えせず走り去っていったので,私もそれに従った。

 

 フルマラソンの距離終了。

 七竜峠の坂道と闘っている頃,雨予報のはずが晴れてきた。夜中曇っていたため明け方の気温が下がらず,最低気温が27℃というせいもあると思うが,かなり暑く感じた。日本海を見渡す景色は絶景だったが,上り坂で脚を削られてしまい,完走するために5時間以内に通過する予定だった42.195kmを5時間27分かかってしまった。第1関門で余裕を感じてしまい,峠の上りで結構歩いてしまったのが痛かった。

 頂上の展望台にあるエイドで,暑さ対策のために氷をもらってジップロックに入れ,手ぬぐいに挟んで首の後ろに当たるように巻いていたのだが,坂を下っているときに落としてしまった。後ろを走っていた若いお兄さんが「はい。はい。」と言って拾おうとしてくれた(結局私が先に拾った)。それがきっかけでしばらく会話しながら走る。私が「晴れてきましたね。」と言うと,「暑い時季の練習不足を感じてます。」と返ってくるような会話をしているお陰で苦しさが半減(したように感じた)。

 七竜峠は私設エイドも多く,公設エイドでもらった氷は既に溶けてしまっていたので氷をもらえたのが嬉しかった。

 

 ここの峠を終えると,浅茂川漁港のエイドに到着。ここまで,うどんを楽しみに走ってきた。もうパンは喉を通らなくなっていて,エイドでの補給食はバナナとオレンジだったので,この喉越しのいい炭水化物はありがたかった。今回も時間の都合で,子供達がしてくれる椅子に座っての脚マッサージをパスした。

 ここの漁港エイドで被り水を全身ビショ濡れになる程浴びて出発した。靴が水没したが塗ってきたワセリン効果か水膨れにはならなかった。

 

 50km地点の計測マットを踏むとき時計を見ると,11:30近くになっていた。あと30分程で4.5kmを走るということだからもう余裕はなかった。

 歩いている人がいたが,私より先にスタートした第1~4ウェーヴの人達だ。第2関門はもう諦めているのだろう。私は,1回目の丹後100kmでゴールしたものの3分余り超過したため公式記録DNFになった苦い経験からリベンジを誓った去年(2回目)には熱中症のために62.5kmで申告リタイアをしているので,何としてもその距離を越えたかった。だから,歩きたくなる衝動を必死で打ち消して,走り続けた。

 第2関門まで残り2kmというところで赤信号に引っかかった。スタッフの人に「あと何km?」と尋ねたランナー(私と同じ第5ウェーヴの人)が,「あと2km!残り9分で?無理やん。」と近くのランナーに言っているのが聞こえた。私はスラムダンクの「諦めたらそこで試合終了ですよ」という台詞を心の中で呟いて(自分に言い聞かせて),青信号になった途端にダッシュを始めた。走りながら「これが2km?長いなあ!スタッフの人,短めに言った?」と思ったが,きっと気のせいだろう。第2関門が見える長い直線で,閉まる気配がした。←腕時計を見る余裕もないぐらい必死で走っていた。歩いているランナー(?)を大勢追い越した。

 第2関門(54.5km)に到着したのは12:02。スタートから7時間22分経過。「お疲れ様でした。」と言われ,ビブスにマジックペンでチェックを入れられる。間に合うかもという僅かな期待をもって走ってきたので,しばらく茫然自失状態。そこから動けなかった。

 12:05。スタッフ「先程,関門時刻に間に合った人もあと5分以内にここを出発しないと失格になりますので,注意してください。」とアナウンスがあり,私はもう既に終わったんだと我に返り,近くの建物の脇に座り込み,ギリギリ間に合ったランナーが出発していく様子をぼんやりと眺めていた。

 これで,私の3度目の丹後チャレンジが終わった。←全部失敗やん(笑)

 

 

 丹後100kmウルトラマラソン。失敗は失敗だけど,挑戦してよかった。

 「成功するとか,失敗するとか,そんなことはどうでもいいんです!挑戦することの方が大事なんです!」(大谷翔平選手)