夢追人の戯言
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雨の日だから・・・

 今日の東京は朝から雨が降り、肌寒い1日だった。
寒いのが大の苦手な私にとっては、辛い季節がやって来る。せめて懐だけは寒くならないように、G1レースの始まる今週からは、もう1度気合を入れ直して馬券の検討をしようと思っている。

 さて、今週は中山競馬場でスプリンターズS(G1)が行われるが、00年のこのレースは、良い思い出として残っている。出走馬16頭の中で最低人気(単勝¥25750)だったダイタクヤマトが勝ち、断然の1番人気だったアグネスワールドが2着に入ったにも拘らず、馬連が¥25700もついたレースだった。

 当時、PATに加入して無かった私は、毎週日曜日は散歩の途中に家から近いWINS後楽園に寄って馬券を買っていた。このレースもWINS後楽園で見たのだが、誰もが予想しなかったダイタクヤマトの勝利に、実況アナウンサーは絶叫し、ファンからは驚きの声が上がっていたのを覚えている。しかし、この時1番絶叫し、驚きの声を上げていは、もしかしたら私だったのかもしれない。ダイタクヤマトから流した馬券を持っていたからだ。ちなみに、この時ダイタクヤマトは私の本命馬だった。ただ、本命にした理由はとても単純だった。「ダイタクヤマトが好き」それだけである。私には当時から(今も全く変って無いが)「好きな馬は、とことん追いかける」という馬への変な思い入れが有り、「ダイタクヤマトが好き」という事だけが、この万馬券を手にした理由だった。

 では、なぜ「ダイタクヤマトが好き」だったのか・・・。この理由もごく単純なものだった。ダイタクヤマトの父「ダイタクヘリオス」が好きだったからである。

 「ダイタクヘリオス」は、決して良血と言える血統では無かったが、ニホンピロウィナーに続く史上2頭目のマイルCS連覇(91/92年)を達成した「20世紀最後の短距離王」と称された名馬である。通算成績は35戦10勝、うち重賞7勝の成績を残している。馬名は、冠名「ダイタク」+ギリシア神話の太陽神「ヘリオス」から付けられた。

 「ダイタクヘリオス」は重賞を7勝しているが、それらを1番人気で勝ったことが無い。全10勝のうち条件戦(400万下)の時に1度だけ1番人気で勝っているが、他は2番人気以下の勝利である。また全35戦中、彼が引退するまでの前20レースは、自身も含め1番人気になった馬が1度も勝つ事ができなかった。穴馬券ファンの私にとっては、何とも魅力のある馬だった。

 とにかく、走り方が独特だった。鞍上の手綱をまったく無視し、顔を空に向け、口を開けながら掛かり気味に暴れながら先行していく。ペースなどお構いナシのレースぶりは、嵌った時はものすごく強いが、最後の直線で脚色を無くしてしまう事も少なくなく、後続の標的にされる事も多かった。92年の天皇賞秋では、メジロパーマーと逃げ争いをし、前半1000mを57.5秒と言うとんでもないペースで競り合ったりもした。結局、勝ち馬から0.6秒差の8着に終わるのだが、一緒に逃げ争いをしたメジロパーマーが17着だった事を考えると、短距離が主戦場だったダイタクヘリオスの、能力の高さがうかがえる。

 人気に応えるよりも、レースで暴れ回り、良血馬や人気馬を蹴散らして観衆をあっと言わせるその姿には、何故かとても惹かれた。その後、常に口を大きく割って走る姿から「笑いながら走る馬」とも称された太陽神の名を持つこの馬は、92年の有馬記念を最後に現役生活に別れを告げる事になった。

 引退後は北海道で種牡馬となったが、初年度産駒のダイタクヤマト以外に活躍馬は出無かった。種牡馬になってからの彼のエピソードと言えば、ある日、放牧地で静かに横たわっていた為、もしや怪我でもしたのかと駆け寄ってみると、寝転がったまま草を食べていた・・・という笑い話があるくらいである。

 先日、ニュース記事でダイタクヘリオスが種牡馬を引退し、青森県の山内牧場で功労馬として余生を送る事になったと知った。産駒のダイタクヤマトが種牡馬になってはいるが、種付け頭数や繁殖牝馬の質などを考えると、ダイタクヘリオスの血が後世に残ることは難しいだろう。そう言った意味では少し寂しい思いもするが、少しでも幸せな余生を送れる様に、そして少しでも健康で長生きできる様に、心から願っている。


今日みたいな雨の日は、無性に『太陽』が恋しくなる。



今日の戯言はここまで。






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