新年の挨拶は特にありません。なぜなら、もう18日なのですから。




新年の赤鬼の喜びの笑い

「新年の赤鬼の喜びの笑い」


初夢は自分にとって最高の内容だった。
2017年最後の夜に、「もし、自分の言葉が届いているなら云々」と、頼み事のようなことをしてみた。ある種の試しにも似たような。あまり信じてないけど、霊的世界に対しての願いだった。そして眠りにつき、

目覚めると、これ以上ないほどのような初夢だった。もし届いているならと頼んだけど、それに対する返事のようなものが自分の想像を超えていたので不思議だった。本当に届いているのかはわからないけど、やはり不思議。

そして、毎年のように繰り返される決心と覚悟。そして失敗。私は夢の中で夢を見ていた。どうせこれも、夢だろう。


なぜ、ずっと眠らずに起きていたくなるのだろう。夜になればなるほど生き生きとしてくるのはなんでだろう。
宇宙が好きなのに、何故か、夜空の空を、綺麗な冬の月を見上げることはほとんどない、気が向いた時しか見ない。
そして、時々見た月は自分の言葉をさらに失わせるほどに不思議に存在している。

太陽を見て不思議だと感じることはない。

夜の月と、真夜中の静けさだけが、ますます自分を不思議にしていく。

不思議すぎて何が何だかわからないけど、なんだか、ワクワクしてくるようでなにか楽しいような、なにか嬉しいような気分になってくる。不思議に包まれて。

だから、夜が好きなのと、夜になると、眠る気がなくなってしまうのだと思う。


(電波っぽいような感じの文章を少し長めに一応真剣に書いたけど、電波っぽい…から今回は省略。このスペースは最初自己満足っぽく始めたけど、なんか段々意識してきて書きずらくなった感じがあるので、またずっと前みたいに戻そうかと。なんというか、自分に宛てた手紙というか。あと、この世のどこかの理解されない領域に迷い込んでしまった存在たちへのメッセージのような。 ?)


混沌としているのに静かなのが自分らしさ…


具合が本当にとても悪くなってくると、なにか感覚がとても過敏になって、食べ物たちの匂いとか化学薬品のような匂いのようなものに吐き気や目にまでざわざわとするような状態になる。
(年に数回)

その状態になって抵抗ないのは(あまり調べてない)、自分は梅干しと米。あと水か麦茶。

このことに自分で気付いた時は驚いた。梅干しと米がこんなに美味しいのかと。本当に凄く美味しく感じられる。身近にある食べ物では梅干しが最強だと思う。

それでは、音楽停止で夢は終わり、旅は続く、走馬灯の数を増やし続けたいから、人々は生き続けるのでしょう…。 では、おはよう、おやすみなさい。


不思議な存在



追記

去年のクリスマス頃、録画してた地味なキリスト映画を観ました。「奇跡の丘」
これまで大作っぽいような聖書とかキリストの映画はいくつか観たことあるけど、それらとは違って、信仰心のない自分にも何か響くようなものがありました。同じく地味だけど好きな「ジャンヌ・ダルク裁判」という映画とも似たような感触を感じた。なんというか信仰心の美しさのようなもの。

これまでの自分の世界観に、キリストはあまり重要な感じではなかったけど、映画を観て、興味というか関心が出てきました。結局飽きて読み終えていない聖書を死ぬ前に読んでおきたいと思った。

死の危険のある病の克服という点で、「奇跡」

仏陀の方が自分には特に意味ある存在だけど、奇跡という点では、キリストの方が自分の力になってくれそうという期待というか希望のようなもの。


あと、もう一つ。「自己喪失の体験」の
バーナデット・ロバーツ(Bernadette Roberts)が2017年に亡くなられたようです。
(さっと読んだだけであまり知らないけど、自分が精神世界入口の時に、なぜか、この人の本が気になったので、なんとなく)

この本は自分に大きな意味があったのかはわからないけど、一応その後にその記述と似たような体感の状態になったので(なんとか戻せた、何故自分がそうなったのかの理由も今はわかる)なんらかの意味はあったと思うし、気が向けばまた読んでみたい。

自分は2020年までは大丈夫だろうけど、今の所は確実に死ぬことが決まっている状態。(生きたくても生きられないぐらいの厄介で不可思議なものを抱えている)
自分はいつまで生きていられるのだろう。

なんというか生きていられることにもう少し感謝した方がいい。

あと、これの治療は不可能だと思うので(リスクがありすぎる)
でも決まりさえ守り続ければ安定してほぼ完全に抑え込めるのだから(初期の恐怖で震えてた頃で決まりも完全に守り続けられていた)
それに加えて、肉体の方からも効果のありそうなことと、あとはやはりスピリチュアルの力をこういう時に役立てたい。

ここから先は夢の妄想だけど、もし自分がこの厄介な病というかもう呪いでもいい・・・を乗り越えることが出来たなら、その頃はもう水面下での死の発作の乗り越え回数が一万回を超えたので、自分のおかしなバグがなんらかの作用で変化を起こして、そこから先は不思議な不思議な出来事が起こって、本当に神の意識だけでなく、本当の神にまで進化する。

でも、自分はかなり夢見がちなタイプなので、油断してると、映画未来世紀ブラジルみたいになって、物語は終わります…。

では。  (追記が長くなってさすがに疲れた)


追記
(注意してたのに、新年の最初から、酔っ払ったような状態で記事を書いてしまった…。)