私は3歳のころの強烈なおもいでがあります。

 

父に促されて松江駅に停車中の国鉄時代の列車に乗り込みました。

外は夏の太陽が明るく、列車の中に入ると一瞬薄暗く感じましたが、

左に折れると扉の向こうに明るく光の差し込む社内が見えました。

 

その瞬間、鼻腔に強烈な床油の刺激臭が付きあがってきました。

 

国鉄の列車が木材の板張りであったころ、

防腐のために強烈な刺激臭のする床油を

床に塗っってあったのです。

 

この匂いが私の幼いころの記憶を蘇られてくれます。

 

父はドイツワイマール共和国の憲法の研究者で、当時

島根大学の文理学部の公法に助手をしていました。

 

弟が生まれて、母は赤ん坊の弟と家に残留しました。

 

日本公法学界のメンバーで1年に1回は学会にでていましたが、

そのついでに、

 

東京の親戚たちに自分の可愛い子供の顔を

見せに行ったのでした。

 

私たちは島根県の松江から夜汽車に乗って姉と父とともに大阪まで行き、

下車してデパートで食事をして服を新調してもらいました。

 

それから東京まで行き、父は学会に、

その間私たちはおばの家に預けられました。

 

東京ではおばが世話をして上野動物園まで連れて行ってもらいました。

 

像の織の前で見ていると像のお尻から大きな丸いうんちが落ちてきて

驚きのあまり、

『ぞうのうんちだー』

と叫んでしまいました。

 

このときの写真がリアルに残っています。

 

帰りは須磨で下車し海水浴をさせてくれました。

 

父が亀さんの役でその大きな背中に乗って頸につかまって

波を書き分けて進むときの気持ちよさを覚えています。

 

若い女性の『かわいい僕ですねー』

 

の声が今でも耳についています。

 

楽しいことをシェアしてくれる粋な父でした。

 

もちろん姉も亀さんに乗ってご機嫌でした。

 

大阪で姉はドレス、

私はおしゃれなエンジのアロハシャツを着せてもらいました。

 

親の思い出、恩は一生わすれられません。

 

 

人生の愉しみ方を教えてくれたのは父でした。