広域指定暴力団•城塞会に属する、ロシア侵略軍🇷🇺(蔑称はオーク)によるウクライナ侵略戦争が行われてから早や590日。戦況は防衛側であるウクライナ軍🇺🇦が一進一退ながらも1歩ずつ露側を押し返し、8月22日には南部戦線においては最も強固と見られるロボティネを奪還。


















また、9月にはクリミアへの攻勢を相次いで敢行。9月11日にはクリミア併合時から露に不当占領されていた黒海海上の石油掘削プラントボイコ•タワー🗼を奪還。同プラントはレーダー施設の役割を担っており、クリミア•黒海が併合以降要塞化されたことの意味は防空体制の強化なんですね。また、ウクライナ側の攻勢は続き、13日にはやはりクリミアのエウパトリアへの爆撃を敢行。同地に配備されていた露の最新鋭の防空システム•「S-400」(トリウームフ)を撃破。防空システム破壊を担ったのは“ウコムの矛”と見られる。











エウパトリアとほぼ同時期には、黒海艦隊の主力艦隊が的にかけられる。こちらは巡航ミサイルによるもので、同艦隊主力潜水艦の「ロストフ•ナ•ドヌー」と強襲揚陸艦•「ミンスク」が撃破された。ウクライナ軍による潜水艦撃破は海戦以来初めてのことで、既に粛清されたワグネルのプリゴージンが挙兵に及んだ地は、奇しくもロストフだった。今にして思えばワグネルの動乱は予兆だったのだろうか…😲











件の強襲劇では、主力潜水艦のロストフと共に、強襲揚陸艦も同様に撃破をされたわけだが、露は伝統的に陸戦部隊重視の為。海戦部隊も海戦そのものよりも上陸後の陸戦が重視される。その艦艇もやられた。黒海艦隊を巡っては、2022年の旗艦•モスクワの撃沈に続く大損害で、これを受けてか同艦隊は艦隊の大部分をセヴァストーポリからヴォルガ側のノヴォロシースクに移している。ちなみに黒海艦隊のノヴォロシースク移設は、オレンジ革命後に露側が次善の策として考えていたもので、仮にこの決断をプーチンができていればクリミア併合もこの不当な侵略戦争も起こらなかったであろう。プーチンの近視眼的な思考が明日の利益を土台からぶっ壊した… 増してや、ウクライナ🇺🇦の市井の人たちから「一生恨まれる」などということも…😩

件の主力艦隊の爆撃は、同艦2隻が海上ではなく艦ドックに引き揚げられている、その間隙を狙われている。当然、「地図に書き込んでチンコロ(笑)」した者がいる。チンコロをしたと見られるのは「アテシュ」という反露のパルチザン組織である。











では、9月に入ってからのウクライナ🇺🇦側の黒海•クリミアへの一大攻勢は何を意味するのか?! それはクリミアにおける防空態勢がgdgdだったことを意味する。防空体制の破壊は黒海艦隊が制海権を失うということ。これを海戦部隊を実質失ったウクライナ側にしてやられた衝撃は計り知れない。歴史を紐解いても、歴史が動く瞬間は、







「うわーだっせー、あんなシロウトに負けてら(笑)」







である。千早城然り、織田信長の桶狭間然り、2度目の長州征伐然り、そしてあの日露の戦い。ウクライナ侵略戦争もやはり…





話の前書きとして直近のウクライナ戦況について申し上げましたが、今エントリーでお話しするのは9月に入り再燃したナゴルノ=カラバフ紛争です。私個人の結論を最初に申し上げておきますが、これはアゼリー🇦🇿が「武力により現状変更」を試みた不当な戦争です。次のchapterからはナゴルノ紛争のこれまでの経緯や2020年の停戦合意以降、状況がどう変化していたのか詳しく解説して参ります。








【1日戦争-名実共に姿を消すナゴルノ共和国】


















去る9月19日、アゼルバイジャン🇦🇿軍(以下アゼリー)は、自国内に存在しながら多数派のアゼリー人とは異なるアルメニア系住民が多数を占める為、長らく実効支配が及んでいなかったナゴルノ=カラバフ共和国(正式名称はアルツァフ共和国。以下ナゴルノ)の完全平定に乗り出す。アゼリー側は同戦闘を、





「対テロ作戦」






と称し挙に及んだ。明らかな、誰の目にも戦争でしかない戦いを戦争と決して挙に及ぶのは、まるで指定暴力団•城塞会の言い分と瓜二つである😩

平定劇は僅か1日で終わりを告げている。アゼリー側が1日で目的を達成できた理由は複数ある。まず、2020年の2度目のナゴルノ紛争における停戦合意である(詳しくは次のchapterで解説しております)。それによりナゴルノはアルメニア🇦🇲本国と再び切り離され、包囲をされれば陥落は時間の問題であったこと(下記の画像は9月8日、開戦前の地図ですがナゴルノが文字通り「陸の孤島」と化していることがわかります)。ナゴルノは国際的にもアルメニア本国すらも国家承認をしていない未承認国家。従ってアルメニア本国が救援に乗り出せば、今度はアゼリーが本国を強襲する口実にされかねないこと。3つ目が防空システムが入り口段階で壊滅に至ったこと。クリミアの黒海艦隊が実質壊滅(伊藤俊幸-元海上自衛隊•呉地方総監談)した主因も、やはり防空システムの崩壊です。













ナゴルノ側は僅か1日で、幾分古めかしいソ連製の防空システム「9K330-トール」を失い、大砲4門、基地1つ、集積所1つを破壊された。無論戦える状況ではない。アルメニア本国は自制し、ナゴルノは降伏の道を選んだ。同月28日にナゴルノのシャフラマニャン大統領は来年1月1日を以ってナゴルノ共和国は一切の行政機能を停止する旨の公式発表を行なっている。これにより91年に独立宣言が為されたナゴルノ共和国は名実ともに地上から姿を消すことになる😢 ナゴルノ共和国の解体により地名は全てアゼリー名に改められる。“首都”ステパナケルトはハンケンディーに、マルタケルトはアグデレにそれぞれ改称されることになる。
















では、アゼリー🇦🇿の勝利による平定で名実ともに幕を閉じたナゴルノ紛争をどう捉えるべきか?! 私の一貫した見解はアゼリーに非があると言う立場です。アゼリーによる「武力による現状変更」それ以外の何者でもない。その理由は2020年の和平合意(これは次のchapterで後述。露も利害関係者である為、他国間の合意になる)を紙屑にしたこと。これは大東亜戦争末期に我が国の体力の弱った様を見てとり、日ソ中立条約を破棄して火事場泥棒的に参戦に及んだソ連軍のやり方を彷彿とさせる。戦争におけるそれでも守るべき一線を超えた意味でもアゼリーの行為は支持できない💢

しかも露が介在した多国間の合意が、僅か3年でなかったことにされた衝撃は計り知れない。これを礼賛する事態になれば無秩序になる。恐ろしいのはこの図式が台湾有事🇹🇼にも適用される事態である。ナゴルノ程ではないが台湾の法的立場は正直微妙である。併呑の野心を隠そうともしない中国の姿勢を、





「困ったことだ」







と受け止めている国は少なくない。だが台湾を国家として承認している国は僅か13カ国にとどまる。当然、我が国も米国🇺🇸も未承認、主要国で承認している国は一つもない。ならば、ナゴルノの実例は台湾にも適用されることにはなりはしないか?!

↑この問題を巡る指揮者の受け止めは様々だ。ウクライナ侵略戦争を不当と考える人たちの間でも考えは分かれる。例えば同侵略戦争の文字通り当事者であるナザレンコさんはアゼリー支持である。何故アゼリー支持なのかというとウクライナ政府の立場がそうであるからなのである。ウクライナは、露に自国の一部を不当に奪われたグルジア🇬🇪やモルドヴァ🇲🇩に、アゼリーを加えた4カ国で「GUAM」という緩やかな連合体を形成している(GUAMってあのグァムじゃないですよ(笑))。その共通認識では、これは対露ではないがナゴルノも不当に奪われたという認識になる。

それに対して、ウクライナ侵略ではより原則的なグレンコさんはこの点は公正に見ている。この点は両者の信仰も微妙に関係しているのかもしれない。グレンコさんは正教徒(独立派)である一方で、ナザレンコさんは無宗教派。従ってアゼリーが最古のキリスト教国を駆逐することへの宗教的抵抗感はない。最も、アルメニアとアゼリーのこの間の対立自体、ナゴルノを巡る土地を巡る争いであり宗教的背景に起因するものではない(広瀬陽子•慶應大学教授談)。そうした緩さこそが、アゼリー🇦🇿とトルコの🇹🇷接近に繋がり、これも知る人ぞ知る事実だが力の関係を保つ意味で“広義の意味でのアラブ”🇮🇷はアルメニアを側面支援していた。










【2020年の停戦後のナゴルノは、さながら匕首を突きつけられているかのような状態だった】

















僅か1日で決着に至った3度目のナゴルノ紛争。3度目の火蓋が切られることについては、“”予兆があったことは事実だ。物事には何事も伏線がある。

まず、chapter2番目の画像をご覧いただきたい。こちらは2020年の2度目のナゴルノ紛争決着後の境界線だが、和平合意はアルメニア本国🇦🇲、ナゴルノ共和国にとっていかに過酷なものだったことがわかる。ここで2020年の2度目のナゴルノ紛争の和平合意についておさらいをしておきたい。











•「ナゴルノ共和国そのものの解体までは求めないが、旧自治州よりも領域は小さくする」





•第2次ナゴルノ戦争でアゼリー側が占拠した領域はアゼリー側に取り込む。ナゴルノ要衝のシュシャもアゼリー本国が領有する





•94年の最初のナゴルノ戦争でアルメニアが獲得したカルバジャール地区、ラチン地区、アグダム地区は2020年の間にアゼリーに返還すること





•アルメニア本国🇦🇲とナゴルノ共和国の完全分離は求めない。両者を繋ぐラチン回廊は安堵する





•第2次紛争で発生した難民のナゴルノ帰還については容認する





•停戦合意に基づき「平和維持部隊」として露軍の5年間の駐留を認める。同意があれば更に5年間の延長を認める




アゼリー本国と飛び地のナビチェヴァンとの間に安全回廊を設けること





骨子はご覧のような7項目から成る。9月半ばの紛争再燃はこの7項目の内、自身に有利な項目②,③,⑦以外を全てをアゼリー側が破棄したことを意味する。現状変更を力によって壊したのがアゼリー側であることは明白だ😩

アゼリー側が一気呵成に攻勢に出た背景は2つ。まず、平和維持部隊を派遣し本来であれば子分を守るべき立場にある“城塞会”がウクライナ侵略で手一杯であり、とてもナゴルノには関われない状況にあること。もう一つの理由が、下段の画像↓に目を通して頂きたい。ここから何が読み解けるだろう?!













これは先のchapterでも申し上げましたが、形の上では残ったナゴルノ(緑に塗られている部分)がアルメニア本国と切り離され、それを結ぶ線がラチン回廊(Lachin Corridor)1本に縮小されていることがわかります。ナゴルノは停戦合意以降陸の孤島であり、仮にラチン回廊が封鎖という事態になれば、ナゴルノは戦国中期の鳥取城の再現になる。もう一つがナゴルノの“首都”ステパナケルトに隣接するシュシャをアゼリーが抑えていること。シュシャからステパナケルトは下り坂でありその距離は僅か4kmしかない。これは、表現としてあまり宜しくはありませんが山口二矢が匕首を突きつけ、やろうと思えばいつでもステパナケルトを強襲できる状況にあった。シュシャを巡っては、第二次紛争が勃発した2020年にステパナケルトからこちらに首都を移す計画が具体化をしていたが、第二次紛争で敗北したことでその計画も幻と消えた…。

ナゴルノ再強襲について、2022年の時点で“予兆”が見られていたと言う趣旨は、同年12月アルメニア本国とナゴルノを結ぶラチン回廊が“環境活動家”を名乗る謎めいた集団により占拠されていること。封鎖に及んだ活動家は環境活動家を僭称しているが、アゼリー側の構成員であることは明白だ。アルメニア本国との接触が経たれれば深刻な人道危機が発生する。大東亜戦争の前段が原油を止められたことだったことからもわかるように、近代以前の国家間の関係は制裁が開戦の前段となる。事実、開戦の前段となる封鎖から発火までは1年とかからなかったのである。











重要な点はもう一つある。それは子分を守るべき立場の指定暴力団•城塞会がラチン回廊封鎖から今に至るまで何の働きもしていないことである。アルメニア🇦🇲本国と城塞会は、数少ない「盃を交わしとる」関係(CSTO-集団安全保障条約)にある。しかも2020年のナゴルノ紛争の際、城塞会は神輿のおやっさんの如く動かなかった傍ら、停戦合意後は即平和維持部隊をラチン回廊に展開させている。つまりやろうと思えばアゼリーを阻止できたのである。増してや停戦合意違反は利害関係者である露の面子をも潰すことを意味する。











それをしなかった理由は、ここも繰り返しますが、当のオークがウクライナで手一杯であり、とてもナゴルノに兵を割く余裕がないこと。これは本音も建前もそうなのであろう。だが、それ以上にアルメニア🇦🇲のパシニャン首相を快く思っていないこと。2020年の第二次紛争以前から、パシニャン氏は西側への接近を隠そうともしていないからである。城塞会や日本の陰謀論者が一番嫌うのは無論、ウクライナのゼレンシキー大統領であろう。だが、ゼレンシキー氏は開戦前まではむしろ露に融和的だった人物であり西側志向はそれ程ではない、それを開戦という現行犯殺人がゼレンシキー氏を不屈の英雄へと変えてしまったのである。それに比べてパシニャン氏の脱露入欧はガチモンである😲。






【城塞会の外交的日和見主義-その背景は2016年の和平提案の破談にある】











城塞会がゼレンシキー氏の次に嫌っているであろうパシニャン氏の西側志向については、以前のエントリーでも申し上げたように既に安全保障の枠組みとしてCSTOには見切りをつけている。その象徴例が本年4月のパピキャン国防大臣のブリュッセル訪問である。NATO本部訪問は無論、米国への接近と同義語である。ナゴルノ紛争前の9月11日には難しいと見られていた米国との軍事演習•「Eagle Partner」を実現させている。重要なことは、これが米国国内ではなくアルメニア国内で実施されたことの衝撃である。アルメニアと米国は無論、同盟関係には至ってはいないが米軍のプレゼンスが黒海を超えカフカースに及んだ余波は計り知れない😲











パシニャン氏を快く思わないその一方で、城塞会は2018年の“玄徳革命”で失脚したかつてのナゴルノ閥にも肩入れできない現実がある。これは第二次紛争が終結した2021年の総選挙でパシニャン氏が圧勝したことからもわかるように、決定的に拒否されているのはナゴルノ閥。彼らは94年の最初のナゴルノ紛争を露の支援で勝ち抜いた経緯から英雄視をされる傍ら、露との関係を断ち切れない呪縛をもたらした功罪ある勢力。彼らが専横を極める間は露との防衛上の依存は断ち切れず、露の呪縛から逃れられないことは腐敗はますます進む。打ち続くウクライナ侵略戦争を巡り、露をこの後に及んでも擁護する勢力が決まり文句のように口にするのがウクライナの政治的腐敗だ。だが、ウクライナの腐敗は国家が近代化する過程で公になった産みの苦しみでもあり、それは片方において自浄作用の表れでもあるのである。この点は決して間違えてはいけない。

















ところで、城塞会がパシニャン氏を快く思わない傍ら、ナゴルノ閥にも積極的にコミットできない理由。2018年の玄徳革命を巡っては、やはりマイダン革命同様日本国内にも「DS」だの「国際金融資本」(これはどちらかといえば三橋の陰謀論だが)だの、「ソロスがー」だのと言った陰謀論が少なくないがそれがウクライナ程先鋭化しないのは、親分にウクライナ程の執着がないことである。何故ナゴルノ閥にも肩入れをしないのかと言うと、連中がプーチンの面子を潰したことにある。では、ここでいう「面子を潰した」とはどういうことか?!













城塞会🇷🇺自身、打ち続いていたナゴルノ紛争の解決に向け、何もしなかったわけではない。実は城塞会は2016年の段階でアルメニア🇦🇲、アゼリー🇦🇿に対しある提案を行なっている。ナゴルノを両国が分割をする形で決着をさせる分割解決案である。ここでいうナゴルノの領域は94年にアルメニア側が獲得した領域のことです。詳しくは後段で後述します。今や児童誘拐犯に身を墜したプーチンの解決案ではあるものの、この案は中々良くできたものだ。私などはこの案が実現されていればと今でも思う。件の分割案の骨子は次のようなものだ。




•94年に拡大したナゴルノの7地区の内、ナゴルノは2地区を割譲。アゼリーには5地区を返還





•国境線確定後には露の平和維持部隊が境界線に展開





•和平合意後はアゼリーがCSTO,ユーラシア経済同盟に加盟




ここでいう分割解決案の、ナゴルノ側が割譲する2つの地区とは94年の紛争で獲得した総面積7634㎢•全7地区の内(静岡県と同等の面積。旧ナゴルノ自治州の部分はその限りではない)、カルバジャール、ラチンの2つの地域を割譲し、他の5地区を返還するというもの。ラチン、カルバジャールの総面積はおよそ3771㎢。94年の獲得領域の丁度半分になる。規模は埼玉県とほぼ同等。一番薄い青色で塗られているのがカルバジャール、やや薄い青色がラチンになります。カルバジャールとラチンは、ナゴルノとアルメニア本国の中間地点に位置する為、念願だった国際社会の承認と本国との合流が実現することになる。しかもカルバジャールには金山が存在した為、この話はアルメニアにとって決して不利益な話ではない。

他方アゼリー🇦🇿は最初のナゴルノ紛争で失った5つの地区フューズリー、アグダム、クゥバドリ、ザンギラン、ジャブライルの5地区、総面積3863㎢を返還するというもの。アゼリーからすれば半分とはいえ領土を取り戻したことになる。これならばアゼリー、アルメニア両国の面子が立つ上、プーチンが嫌う両国の西側への接近も阻止できていただろう。2018年の玄徳革命もあるいは実現に至らなかったかもしれない。

だが、この構想は日の目を見ることなく幻に終わる。主たる理由はやはりナゴルノ閥(当時のサルキシャン政権)がそれを拒否したことが大きい。拒否した理由は実効支配をしているアルメニア側が譲歩を強いられることへの不満である。経済的にまだそれ程ではなく一枚岩にはなり得なかったアゼリー側の弱さ、露の側面支援、最初のナゴルノ紛争に勝利できた要因は複雑な条件が重なり合ってのものだが、連戦連勝を重ねてきた国は次第に目を曇らせるのが歴史の常である。ナゴルノ閥も例外ではない。











もう一つ、盃を交わしとる親分が子分であるはず筈のアルメニアに何故譲歩を求めたかというと、この頃になるとAA両国の国力の差が顕著になり始めるのである。2016年の段階での両国のGDPはアルメニアが104億ドル、対するアゼリーが375億ドルである。その差は約3.6倍、しかも同年にアゼリーはF1🏁グランプリの開催に踏み切っている。名実ともにアゼリーは中堅どころの国と認識され始めている。私自身もアゼリーのバクー市街地サーキットは最も好きなサーキットの一つである。この状況を放置しておけば早晩子分のアルメニアが追い込まれる。それを慮っての提案である。繰り返しになるが相手がプーチンであってもこの提案は公正である。プーチンが何故、分割を提案することで解決を図ろうとしたかと言うと2004年の中国との国境線確定が成功体験としてあったからであろう。その際にはハバロフスク近郊の大ウスリー島と、ボリショイ島を分割することで和平に繋げた。最も、中国は🇨🇳ウクライナ侵略戦争での弱体化を見透かしたように、大ウスリー島全域の領有をお約束のように、様式美のようにまた蒸し返し始めたが(笑)。











では、この提案を拒否された側はどうなるか?! 申し出を拒否されたのだから、当然面子は丸潰れになる。わかりやすい例で言えば、防衛大臣兼安保担当大臣の申し出を拒否した石破さんと一緒なのですよ。総理の道が閉ざされた石破さんには無論、同情の声は殆ど聞かれなかった😩 2016年の件の和平提案は2018年にベラルーシの🇧🇾おやっさんが公にしたものだが、真実と見て間違いはなかろう。2021年のアルメニアの出直し選挙でパシニャン氏が圧勝した際、城塞会は(多分に形の上だが)そく祝意を示したのも、ナゴルノ閥に対する複雑な感情が滲み出ている。同時に、これ一つではないのだろうが、プーチンがウクライナ侵攻という最大の愚挙に及んだ一因も、ナゴルノ紛争収集の失敗にあるのだろう。それは最早完全な逆恨みでしかないわけだが、わしの心づくしを皆が受け入れない以上、信じられるのは力による平定しかないと言う…😩



















アゼリーによるナゴルノ制圧を受け、あってはならない事態が既に生じている。戦争に負けた国に例外なく待ち受けている運命、それは本国への引き揚げを余儀なくされる人たちが現れることである。陸の孤島として残されていたナゴルノ共和国に生活の基盤を有していたアルメニア系住民は12万から16万人。10月を前にナゴルノからは既に10万人を超える人たちが引き揚げを終え、今もナゴルノに残っているのは数十人と見られる。アゼリーによる事実上の追放劇である。アルメニア政府も引き揚げを余儀なくされた方には全面的な支援を行う旨の考えを示している。

では何故、危険を冒してでもナゴルノの人たちは生活の基盤がない本国への引き揚げを選択したのか、そうしなければ命の保証がないからである。これについては94年の最初のナゴルノ紛争でアルメニア側が加害者だっただろうと言う反論が来るだろうが、戦勝国には相応の振る舞いが求められる。領土問題は防衛の問題である一方、少数民族に対する保護は人権の問題。これを軽視することは許されないんです絶対に。94年の拡大部分は平定したとしても、かつての旧ナゴルノ自治州の自治権は安堵しなければならない。それが勝者の責任です、くどいようですが。何れにしても確かなのはウクライナ侵略戦争に続きナゴルノでも戦端が開かれたことで武力によって現状変更を試みるハードルが確実に下がったことは確かです…。











わしゃあのぉ、ナゴルノの人たちの引き揚げ見てつくづくそう思ったんじゃ。何かこう、嫌な気持ちになってのぉ、もう殺る殺られんは飽いたわい、そう思わんや