【ベラルーシ大統領選🇧🇾と、その余波】




 去る8月9日、26年に渡りベラルーシ🇧🇾に君臨してきたアレクサンドル・ルカシェンコ大統領の信任を問う大統領選が行われ、ルカシェンコ氏が8割前後の得票を得て6選を果たしたものの、その選挙が公正に行われたとは誰の目にも映らない。同選挙を巡っては同氏を脅かしかねない政敵潰しが本年に入ってからも相次ぎで行われ、その内の1人が5月に西部のフロドナで拘束された映像作家のセルゲイ・ツィハノウスキー氏になる。投開票を前にルカシェンコ氏が先手を打つ形で芽を積んだのである。












 ベラルーシ共和国🇧🇾。総面積は本州よりやや小さい20.7万㎢、総人口は940万人程、国名はベラルーシと言うよりビェラルーシないしは、ビェラルースと言う方がより原音に近い。ベラないしビェラと言う響きは「白い」を意味し、かつては白ロシアと言う名称が用いられることも多かった。国土の西半分は、以前のエントリーで触れた旧ポーランド共和国の領土(カーゾン線の外側)をナチスとの強盗の片割れで獲得し編入たもので、前述のツィハノウスキー氏が拘束されたフロドナはかつてのポーランド領になる。
 
多くの人にとって国名も地理的位置も馴染みのない国だが、冷戦崩壊後、旧ソ連の衛星国だった国や、バルト3国等、旧ソ連に不当に支配されてきた国が相次いで西側への接近、民主化への道を選択する中、この国だけは全く別の力学が働いている。その典型例が首都ミンスクの独立広場に誇らしげに立つレーニン像で、今や過去の遺物でしかないレーニン像は、国民のやはり底流にあるロシアへの🇷🇺シンパシーを同時に反映してもいる。









その一方で同国は、民主化の旗手というもう一つの顔も併せ持つ、事実91年末には、正確には同国とウクライナ🇺🇦が口火を切る形でソ連邦からの離脱を表明、同国とウクライナは旧ソ連において戦略核を有する中枢国(94年のブダペスト覚書で核を放棄)だったことから、この2つの国の離反はソ連邦崩壊を決定的にする(ヴェロベーシ合意)。

ちなみに、同国の大統領任期は5年の為、26年間の在任は計算が合わないが、これは99年に国民投票で大統領任期を強引に2年延長している為、1期目の在任期間が7年に上ったことと、2004の国民投票で大統領の再選規定が憲法から削除された為、この頃には既にルカシェンコ氏の支配体制は固まっている。






【狙うもんが弱くても、そがなこと考えとると隙ができるぞ】






 相次ぐ政敵潰しで優位に立ったルカシェンコ氏が、投票日が近づくにつれ攻勢を許した背景は、1にも2にも氏の油断にある。ルカシェンコ氏は当初、件のツィハノウスキー氏と、6月にやはり身柄を拘束した銀行頭取のヴィクトール・ババリコ氏、この2人を抑え込めばそれで十分だと考えていた。事実、ババリコ氏を拘束した2日前には同氏の銀行口座を凍結しており、外堀を埋めた上での拘束劇だった。ババリコ氏を巡り注目すべきは、氏はロシアの国策企業・ガスプロムの傘下にあるべルガスプロム銀行の頭取で、こうした背景を持つ人物を一刀両断的に排除したことからもわかるように、クレムリンとルカシェンコ氏との関係は決して一筋縄ではない… ルカシェンコ氏自身、露の2015年の戦勝70周年式典には参加していない。








ではルカシェンコ氏は何を見誤ったのか?! それは5月にフロドナで拘束した映像作家のツィハノウスキー氏の妻君の存在だ。まず、夫君本人を封じ込めている以上、大した脅威にはならないと考えていたこと、ルカシェンコ自身、当初夫人の存在を軽く考えていたこと、前述のババリコ氏を排除したことで、こちらはクレムリンの介入を封じ込めたと楽観視していたこと。これは別にルカシェンコ氏だけに限ったことではないが、少しの気の緩みがアリの一穴のように広がることが歴史の常で、ツィハノウスカヤ女史本人に体制を転覆させる力は確かにない。だが、女性の方が出産に耐えられる分、度胸が据わっている。この手の反体制派の細君はある意味武士の妻と同じ、7月に入り急速に支持を拡大した背景も、有権者は同夫妻を一心同体と見ていたことを物語る。同国の大統領選には有権者10万人の署名を必要とする。








【Flash Pointとしてのカーゾン線】




 結論をここで申し上げれば、同国🇧🇾の反体制派が勝つ見込みは殆ど無い。と言うのは、26年に及び支配体制を築いてきたルカシェンコ氏は悪徳政治家であると同時に、一方においては欧米からの人権圧力と、方やクレムリンからの併合圧力を巧みに躱してきた「国父」でもある。人治の文化が底流にある中、農村部に目を向ければ、国父を守るカウンター作用が反対に働くのである。仮に不正がなくとも、氏の得票が6割を下回ることは恐らくあるまい。そうならないと思う根拠のもう一つが同国の経済成長率、2015年、2016年はマイナス成長で推移したものの、2017年には2.5%、翌2018年には3.0%に回復、2019年には1.2%に減少するものの、生活が背景にある限り指導者に対する決定的な拒否は起きない。

そうではなく、今選挙を巡る意義があるのは、ガチガチの統制国家である同国においても議会制民主主義の下地があると言うこと。先に私は、ツィハノウスキー氏が拘束された土地が西部のフロドナだと申し上げたが、この地は上記の画像からも分かるようにリガ条約下においては旧ポーランド共和国の領土。僅か21年の儚さではあったが、この地には議会制民主主義が確実に存在したのである。確かに旧ソ連はカーゾン線以東の土地を強引に侵略することに成功はしたが、それは旧ソ連、ルカシェンコ政権にとっては不都合な文化、不必要な感情をも取り込んでしまうことを意味するのだ。この点はロマサガにおける「同化の法」と通ずるところがある。確かに旧ソ連は「あいつらには、いろいろな人たちが貸している」ことで肥大化を繰り返してはきたが、歴史の節目では、その代償に直面することになるのである。







 カーゾン線の外側で言えば、同じように旧ソ連に取り込まれたウクライナのガリツィアが挙げられるが、2004年〜2005年にかけての「オレンジ革命」が西部のリヴィウ(露読みではリヴォフ、ドイツ読みではレンベルクになり、明治憲法下の世界地図ではレンベルヒと記載されている)だったことが思い出される。カーゾン線以東は歴史の節目節目で大国の思惑に左右されてきた経緯から、同時に抵抗の拠点にもなり得る。その意味では、フロドナもまたガリツィア同様、抵抗の下地があったことを再認識させられる。カーゾン線の外側は、「Flash Point(発火点)」なのだ。前述のリヴィウで言うと、有名どころではロシアのグリゴリー・ヤブリンスキー氏の存在が挙げられよう… 私が露政治を勉強し始めたのは大学に入った平成11年からなのだが、露のリベラル派の政治家と言えば=ヤブリンスキー氏のことだった。

 そのフロドナにおける反体制派の勢いを裏付ける形になったのが、選挙戦が佳境に入った今月1日に行われたツィハノウスカヤ女史の演説で、同演説においては実に1万人を超える聴衆が熱心に聞き入っている。フロドナの人口は藤沢より少し少ない37万〜38万人と言う規模を考えてもこの数字は驚異的だ。フロドナは夫君が治安当局に拘束された経緯からも同情論が強い。




To be continued