~~~引き続き80年代終わりがけの話~~~
帰国して、また岐阜へ。岐阜って昔からフィリピンクラブが多くて、柳ヶ瀬にも今も沢山あるんだけど、知り合いの紹介でとあるフィリピンクラブ(一般にはフィリピンパブって言うのかな。岐阜では昔からフィリピンクラブって呼ばれる。)で働き始めた。
店の外には相変わらずイスラエル人が露天やってる。
店では、男性フィリピン人のミュージシャンがボーカルとギターの二人いた。主にオールディーズ等の有名なポップスを、時にはリクエストに応じたりして。彼らはかなり巧かった。
当時、そういうフィリピンクラブで働いてる女の子は「タレント」と呼ばれてた。いわゆる芸能ビザ(興行ビザ)で来日するのである。(その後僕はフィリピンで、女の子を日本に紹介するブローカーなる人物に会う事になるんだけど、それはまた後で。)当時僕はバイトだったんだけど、その後別の店などで正社員として働いたりもして、偽装結婚やら偽造パスポート等の闇を見る事になる。現在、日本で芸能関係のビザが非常に厳しくなったのは、そういう事が原因らしい。そこのフィリピン人ミュージシャンも興行ビザで来てた筈だけど、ミュージシャンの連中にビザが下り難くなったのは残念に思う。
露天のイスラエル人は、そんなフィリピンクラブの女の子と大概仲が良かった。良くイスラエル人やフィリピン人を交えて遊んだな。当時、まだまだ外国人は珍しくて、多国籍な顔ぶれが集まると、決まって
「We Are The World」
で盛り上がった。
もう、うんざりする位。
それは、僕がその後バックパッカーをしながらバー等で演奏してても、1991年に帰国してからもカラオケバーでもライブハウスでもしばらくはうんざりさせられる。