イスラエル人バックパッカーの生活 | カフのブログ

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80年代終盤から順を追って経験や写真等紹介してます。ここ最近の旅行はいわゆるバックパッカーな感じではないので、海外旅行ジャンルに入れてます。

 露天のイスラエル人と話す様になったのは僕が高校を卒業して大学に通い始める前後の1985~6年頃からだと思う。柳ヶ瀬で露天を開いてる外人に英語で話しかけてみると英語で答えてくれたんで、色々話を聞いた。彼らはほぼ皆イスラエル人。※①
 彼らによれば、

 ・まず彼らの出身地はイスラエル。※②
 ・兵役を勤めてきた若者。
 ・観光ビザで入国し※③、期限の三ヶ月いっぱい稼ぎまくって旅行の資金にする。当時は多くの者が東南アジアやインド・ネパール等でだらしなく過ごす(笑)。あるいは、一度近場の韓国等へ出て再入国、更に三ヶ月日本に滞在する。
 彼らは自分をバックパッカーと呼んだ。当時流行りのライフスタイルだったという事もあり、自慢げに。
 話しているうちに親しくなり、一緒に食事をしたり、商売をしない晩には一緒に飲んだり、当時のディスコで遊んだりした。(バブル期の当時は岐阜にもマハラジャができたりしたな。)
 彼らの家にもよく遊びに行く様になった。彼らの多くは安いアパートを借りて住んでいた。河原に停めたワンボックスで暮らす連中も結構いたが。普通、そういう外国人が部屋を借りるのは簡単じゃない筈なんだけど、彼らは大概部屋の大家さんやら近所の金持ちやらに可愛がられていた様で、その関係が、友達やその友達へ。。と繋がっていた様だった。場合に拠っては、彼らの大元と直接の知り合いもいた様だった。こういうネットワークは、さすがユダヤ人というべきか。

 ※① 仲間のうちの一人やカップルの片方が欧米人というのはよくあったが、当時は非イスラエル人だけのグループというのは、イギリス人のグループ一組以外見たことはなかった。その数年後には僕がその非イスラエル人グループの一人になるんだけど。その十年後位には、一時、非イスラエル人のグループしか見ない時期もあった。

 ※② ちなみに、僕と同世代のイスラエル人は殆どがイスラエル生まれだが、移民も少なくなく、彼らの両親はほぼイスラエル建国前の生まれであり、イーディッシュ語を話すヨーロッパ人や、あるいはアラブ諸国を含む世界各国出身のユダヤ人、若しくは改宗者で、彼ら本人達のヘブライ語の発音も多様で、それも面白かった。

 

 ※③ つまり彼らの商売自体が違法。完全に違法。当時僕はその辺りの事をよく知らなかった。