「用事できたから来月帰省する」
久しぶりに私から母に連絡した
しばらく用事についての
やり取りをしていたところ、
『◯日は仕事休みだから迎え行けるで!』
母のこの言葉に
突然涙が溢れて止まらなくなってしまった
きっと、ほとんどの人にとっては
なんでもない会話なんだろう
でも、
私たち親子にとっては
とても長い道のりだった
母に愛されたくて
大切にされたくて
仲良くしてほしくて
必死だった子ども時代
"これ以上頑張り続けたら
おかしくなってしまう"
限界を迎えた高校3年生の私は
全てを諦め、逃げるように上京
数ヶ月が経って母から謝罪の連絡がきた
「何もかも気付くのが遅かった」
「本当にごめんね」
腹が立って仕方がなかった
私が歩み寄ったときは拒んだくせに
今更なんなの
せっかくお前のいない世界で
全てを諦め、解放されて
第二の人生をスタートさせたのに、と
もちろん返信はしなかったが
以後、私の誕生日を含め
数ヶ月おきに連絡が来るようになった
正直母の誠意は伝わっていたけど
謝られてすんなり許せるほど
傷は浅くなく
お願いだからもう連絡してこないでくれ
と何度も送ろうとして
送信ボタンを押す手を止めた
愛は憎しみに変わり
私はずっと母の不幸を願ってた
私と同じように
辛い思いをしてほしかった
私の苦労を分かってほしかった
でも
悪夢にうなされ、泣きながら目を覚ます
そんな日々を繰り返すうちに
あぁ、これは避けては通れない道なんだ
母を許さないと
私は次のステージに行けないんだ
そう気付き、母を許すために
自分を知るために
本や心理系の記事を読み漁り
向き合いたくなかったことにも
向き合い始めた
結果から言うと、
許せるようになるまでに3年を費やした
どうやって許せたのか?
いくつかあるけど、一番は
母だって一人の人間
子として、女として、母として
色々な苦労をしてきたはずで
私を愛せなかったのは
大切にできなかったのは
母も傷付いていたからだ
と、母の心の傷を
想像できるようになったから
だと思う
20歳になったとき
生き別れた父と再会したことも
大きく影響していて、父は
私の知らない母の姿を聞かせてくれた
そのときやっと
「あぁ、全部仕方がなかったんだ
母も完璧じゃないただの人間なんだ」
そう思えるようになった
加害者って、
かつての被害者だから
母は心の傷が癒えてなかったために
子を
愛したくても
愛せなかった
大切にしたくても
大切にできなかった
このことに気付けたとき、
私は本当の意味で
母からの愛を諦められたんだと思う
欲しかったけど
奪われたけど
もういいよ。って
子どもの頃は自分を責め
社会に出てからは母を責めた
でも、本当は
だれも悪くなんてなかったね
あのときは、
ああするしかなかったんだよね
苦痛だったし
孤独だったし
生き辛かったけど
憎しみから解放されて
母を許せたことで
わたしはやっと自由になれた
家出をして3年後、
母と再会したのは
ハワイのとあるホテルのロビーだった
「会社のインセンティブ旅行で
ハワイ行くから、来ない?」
会いたくなかったけど
こわかったけど
母の気持ちを考えると
行くしかなかった
現地に着き、
「一緒にいたくないと思うけど
せっかく来たんだし
半日くらいは2人で観光しよう」
こう言われて
渋々母とオアフ島を巡った
もちろん楽しくなんてなかった
けど、今となっては
ぎこちなくて温かい思い出
あのとき、
勇気出して誘ってくれてありがとう
謝ってくれてありがとう
そして
愛が意志であるということを
教えてくれてありがとう
昨夜、母からのLINEを見て
生きててよかった
と純粋に思えたから
忘れないうちにと
久しぶりにブログ更新しました。
読んでくれて、ありがとう
Mirei
