観測日記:セトリと曲の解釈20170114版 | DRASTIC HOLIDAY

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>>あとのいずくみきょくの謎に気づけた人、あなたは天才です。

 

や、謎なんて気づけない、、
自分の思った感想をつぶやくしかない。
筋道立てて書くのはめんどいので思い浮かんだ言葉をそのまま書きなぐっていきます。

一つの解釈、HIROはこう感じた・・・

 

~~セトリ~~

すろぉもぉしょん
東京マヌカン
kyuukohan

 


YYYYMMDD(やまだ)
サテライト
サイダー
ねぇ
のいずくみきょく
~~~~~~~

 

まず、ドッツの特徴として、
アイドルを要素に分解して(顔・名前・ダンス・笑顔・女の子、ステージなど)、
それを隠したり付け替えたりしてこれまでとは違った感覚を観測者(ドッツを見てる人のこと)に与えようとしてくる。


今日のセトリは"昼夜通して完成する"と謳っているので、
コンセプトアルバムのような、物語仕立て?のような感じになってるのかなと思った。

 

・すろぉもぉしょん
プロローグ、日常の話、、体調悪くなって、ふと、、

ぼんやりあれこれ生まれてから死ぬまでのこと考えたり
それに無常観を感じたり、でもまぁ大丈夫だよねなんとかなるよなんて前向きに・・・

 

 

 

・東京マヌカン
マヌカンはマネキンやモデル、感情や表情ないお人形さん(偶像としてのアイドル)
これはそういうマネキンを好きになっちゃう偏愛の歌だけど、

そのままだと表面的なヲタクの話で面白くない。

このカバーは歌詞よりも、パフォーマンスが見どころ
ここでは、"いい子"を演じてた女の子に、自分の想いや感情が芽生えてくるお話。
呼吸を始め命が宿る人間になる

(ん?ということは、東京マヌカン-カバー-とは...!?)

 

・kyuukohan
葛藤、息をしはじめた人形はもう人形で居続けることはできない
本を読むまじめな自分から・・・また、何を読んでも答えはない・・・

言葉を失い夜中にベッドのなかでのたうち回りながら叫ぶ
叫び止むと、、少女は着せられた服を脱ぎ棄て、外へ・・・

 

・YYYYMMDD
Xデー、デビューの日、衣装を纏いアイドルとして生まれ変わる。

 

 

 

・サテライト
ドッツのテーマ、歌詞がヲタク視点だね。

 

アイドル(君は誰だ?)と僕
なぜ君のことを考えているのだろう
日常が変わっていく
アイドルと僕(僕は誰だ?)

君のような笑顔の怪獣に僕も少し近づいたかな?

 

・サイダー

情景を描写するような歌詞
そういえば子供の頃って、何も考えず遊んだよね
思い出すさまざまな情景、、、、でもそれは思い出、もう戻れない。

 

・ねぇ

エンディング
いろんな視点から話しかけるような交差するような歌詞

アイドルが僕らに与えてくれる(ヲタクがアイドルの少女に与える)ふわふわとした暖かさ

あの頃は黄昏の向こう、でも
過去から繋がって未来まで続いてる物語

夢を見てた、覚めた、一緒だね
君がいなくても想いはどこかで繋がって寄り添って・・・

 

 

 

・のいずくみきょく

エピローグ
壊れたテレビのよう
ノイズが走る白黒の画面
画面の中では、アイドルが踊ってる(1人1人これまで披露してきた別の曲)
アイドルの服装もまちまち、半分衣装半分私服、練習着のような薄着・・・
我に返る、僕らは何を見せられていたのか、これは幻?


そこに、、客席に現れる1人の・ちゃん、次々とお客さんに何か話しかけてる。
舞台(幻想)と客席(現実)が改めて接続され、一つの空間になる

やがて・ちゃんはステージに駆け上がり、アイドルたちに話しかける、、
アイドルたちの内なる言葉が・ちゃんを媒介とし空間に響き渡るもう言葉は叫び声と区別がつかない。

いつの間にか倒れていた少女は、ひとりまたひとりと立ち上がり、
服を着直して、ステージの外に出ていく・・・次に続く・・・

 

 

今日の"のいずくみきょく"の面白かったところは、
初めて客席を明確に巻き込んできたところ。

いつも"のいずくみきょく"を見ているときは、物凄く客観的になる。
アイドル現場はどちらかというとアイドルとヲタクの接続がメインだけど、

(ドッツだと"すろぉ""マヌカン"の後半"サテライト""ねぇ")
その真逆、この曲は断絶だった。。それが、、これまではその"のいずくみきょく"で表現されるよく分からん世界を見てるだけだったけれど、今回はその世界に巻き込まれて、自分もそのよく分からん世界の住人の一人だと認識させられた。

 

あとその幻想的なビジュアル。
文学やアニメや映画、、どちらかという舞台の表現に近いけれど、
新しいものだったように思う。

 

また、、それらが1つ土台のような役割を果たして、、この曲で何をやりたかったのか考えるきっかけとなり、そのドッツの世界に想像を膨らませることが出来るようになった。

 

 

 

余韻・・・が大事だと思ってる。

昼間のライブはスタンダードに沸いたので、ヲタク現場らしく「ありがとうございました^-^」で終わらせたのだけど、夜のライブはそれが言えなかった。夜は典型的なmixとかをしなかった。のもあったのだけど、あの余韻をヲタクの「ありがとうございました」で現実の戻してしまっていいものか迷った。この圧倒された感、現実と幻想のあいまいさ感(もやもや)を残したまま終わった方がいいのかと思った。当然、次の出演者やヲタクの皆さんに対しては、ステージが終わったのだから、散らかしたもの(感情)はちゃんと片付けてあげたかった気持ちはあるのだけど。。。

 

 

 

 

 

そういえば、今回チェキ券が試験的に導入されましたね。
その表面を飾るのは現実と幻想の媒介役を務めあげた・ちゃん


(ん?どっかで見たことある写真だ?)

 

・ちゃんのスケールの大きな感性はドッツのヲタクなら誰もが認めるところだし、
現実と仮想を繋ぐトリックスター役を見事に、、、やりのけましたね。

 

 

いろいろ書いたり、初めて歌詞読んだりしてたら、

もっとちゃんと読んで歌詞解釈や、この前のクリスマスのイベントの話も(ちょっとだけコンセプたんに聞いたのもあるし)いろいろ書きたくなってきました。またそのうち。