昨日久しぶりに小学校のアルバムを見返(字あってるのかな?)していました。
もうかれこれ9年前のことですが、一番私が注目したのは・・・お肌ピチピチ!ってことでした(笑)
もう皆すっごい。
あの頃はお手入れも何もしなくてもよかったんですよね~。
今ではもう肌に負担掛けまくりでボッロボロです(泣)
昨日だって化粧落とさずに寝ちゃったしzzz。
あの頃は憂いも何もなかったよな~なんてちょっとしたジェラシーを持って過去を振り返ってしまうこともありますが、きっとそれは「過去」になってしまった今だから言えることで、あのときの自分も色んな物を抱えていたんだよなって思い直しています。
私の愛読書、ケストナーの「飛ぶ教室」にこんな一節があります。
どうして大人は自分の若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(この機会に心からお願いしたい。子ども時代をけっして忘れないでもらいたい。どうか約束してもらいたい)
人形が壊れたからでも、あとで友達を失ったからでも、泣く理由はどうでもいい。人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない。ずっと重いことだってよくある。どうか誤解しないでもらいたい。不必要にメソメソしようと言っているのではない。つらいときにも、正直に言ってほしいだけなのだ。骨の髄まで正直に。
-ケストナー「飛ぶ教室」光文社古典新訳文庫-
今は悲しくても、後から振り返ったとき「あんなこともあったよな」って思えることは本当素晴らしいと思います。
それがあるからこそ、今を耐えられる。そんなこともあるから。
けれどそれは他の人から言われることではなくて、あくまで自分の中で折り合いをつけることではないでしょうか。
いくら人から「あとになって見れば大したことないよ」って言われても、本人は「今」悲しいのです。
今現在の精一杯でもって悲しいのです。
その悲しさを解り、その悲しみを共有することが本人の近くにいる人間に必要なのだと思います。
気持ちを認めてもらうと、今の自分を肯定できて、安心できるものです。
どうしても経験から先走りがちですが、このことを忘れずに生きていきたいなって思っています。