RPGやったことある人なら1度は目にした言葉だと思う。



ポケモンにも、ドラクエにも、FFにも、必ず成長の限界がある。



けど俺は、人生には成長の限界なんてないと思う。



断っておくが、これは一個人としての考えである。



もちろん、成長しようとするものだけが成長できるわけでもないし、成長できる環境に身をおいているにも関わらず成長する意欲の乏しい者もいる。



まさに千差万別な世の中である。



自分の為に成長しようという者がいれば、誰かの為に成長しようという者もいる。



勉強をすることが必ずしも成長に繋がるという事ではないが、少なくとも、勉強する事によって自分が成長できる域を広くする事ができる可能性があるのは事実だと思う。



何らかの原因で生じる成長できない要素があるとすれば、それは、成長する意欲の無い者の、周りの人間が成長していることへの憎しみや憎悪から来るものであろう。



怒りも同じようなものだと思う。



その証拠として、いじめの標的になる人物には変わり者が多い事が挙げられる。



この場合、変わり者=成長への意欲に溢れている者としてとってほしい。



いじめの親玉が持つ考えには、「成長すること自体への恥ずかしさ」がある。



今と違う自分になることへの隠れた恐怖や恥辱の心。



心はプライドによってズタズタにされているのだろう。



自分を貫き通す事がどんなに難しいか…。



どんなに良く思われている人間にも必ず悪い所があり、また、どんなに悪く思われている人間にも必ず良いところがあるのは事実だ。



ただ、残念ながら哲学者はこのことを完全に証明し切る事ができない。



なぜなら、哲学者もまた、同じ人間だからである。



証明には、反例を否定する事によって導く、といった方法があるが、反例が見つからない以上、証明は不可能である。



人間は、経験によって事実を事実とすること、また、事実を虚実とすること(嘘をつくこと)を編み出してきた。



すべて、人間の狡猾さが成し遂げた業である。



これらをどう扱うかは、今の俺ら次第。



自分が正しいと思った道をそのまま突き進んでいく事で、成長は必ず出来る。



ただ、自分が正しいと思っている道ほど険しい道は無いと思う。



人間は私利私欲の塊なので、より上を目指そうとするからだ。



私利私欲=マイナスのイメージがあるが、俺はあくまでもプラスのイメージとしてこの言葉を用いたい。



自分の欲を大事にして、己が道を突き進むことが、真の"人間"としての生き方であり、"成長"の方法ではないだろうか。