夢に意味はあるのか、という問いは、19世紀末にフロイトが登場するまでは馬鹿げたことでしかなかった。
もっとも、夢に何らかの意味を見出す「夢解き」は世界中に見られることで、
聖書の中ででもヨサクがエジプトの王の夢を解いたりしている。

子供のころなどは、集中的に悪夢を見る時期があったように思う。
今にして考えれば、何らかのストレスがそういう形で現れたのだと思うのだが。
ある程度年が行くと、大体夢のほうも固定的になってきて、特徴が見えてくる。

私の夢はあまり筋書きがない。
私の友人などはこうしたからこうなった。どこそこへ行くと、このような人がいて・・・、
というように物語構造があるのだが、私の場合はむしろ、一枚の絵を眺めるような感じだ。
最も典型的なのが、「夜の道を歩く」というものだ。
まあ、それはそれでよいのだが。

最近はあまり見ないのだが、悪夢というものは思い出してみると面白い。
大体は何が怖いかわからないのだが、宗教的・民話的なモチーフが出てくるとかなりドキッとさせられる。
先日見た夢は千手観音のような木彫や、地方によくある小さなお堂が出てきたりと、かなりホラーな感じでよかった。

もう少し話に大筋というものがあれば読み解くこともできると思うのだが。

いい記事である。
というか勉強になるなあ。

女の子の論理―“蒸し返し論”のナゾを解く
ttp://premium.nikkeibp.co.jp/mail-sol/column/supplement/03/


好きなものの一つにゲームがあるのだが、僕の考えではどうもこれはあやしい。
あやしいというのは、つまり、自由選択で選んだものではないのではないかということだ。

ある年代や地域の人々にとっては、特定の野球チームが絶対であったりする。
そうした場合、それはどこまでがその個人の自由意志に基づいているのだろうか?
思うに、かなりの部分は環境的なものだ。

ある時期からゲームは空気のように存在していて、思考・行動様式に影響を与えているように思う。
そういった存在は単に「好きなこと」のカテゴリ-に含めてよいものなのだろうか?