「南極大陸」の視聴率が急降下しています。



●初回は22%だったが、今週は13%
●莫大な費用と宣伝費をかけた赤坂に激震が走っているという。
●それもひとえに脚本のつまらなさにある。
●毎回、トラブル発生→犬にアクシデント→キムタク様の動物愛+人間愛→解決→次回、トラブル発生に戻る(繰り返し)という安直極まりない内容に辟易です。
●理由はキムタク様のみこしを担ぐキャスティングにある。
綾瀬はるか…なぜかピッチピチのブラウス姿で毎回登場。意味不明に文科省内をうろうろしているおっぱい要員…そもそも、義理の兄に恋愛感情を抱いている背徳感が、昭和三十年代にもかかわらず、全くない。
芦田愛菜…そもそも、出る意味あるのか?単なるにぎやかし要員で、得意の歌と踊りもなし。…とりあえず休め!
越冬樺太犬…まずは実物と、ドラマの写真を見てほしい。

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●明らかに、ドラマで使われている樺太犬とは犬種が違う
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●ドラマ版はマスティスニューファンドランドあたりを掛け合わせた明らかな洋犬だ。
●…せめて、本物の樺太犬ぐらい用意せーやと突っ込みを入れたくなる。
●一話六千万円の製作費どこにつかっとんねん!
●…いずれにせよ、毎回、犬が怪我したりして、あまりにもあざとすぎる演出だ。
香川照之…現在、現役最強の演技力の持ち主…しかし、このドラマの中では関西弁を喋る人のいいおっさんでしかない。こんな役なら誰でも出来るだろう!宝の持ち腐れや!
中島みゆき…「荒野へ」って、南極大陸は荒野とちがうわ!
・・・などなど、突っ込みを入れだしたらきりがないが、このままでは一桁も見えてきた。
●しかも、撮了済みなのでてこ入れも不可能
ジャニーズに支配された民放の雄、TBSの開局60周年におきたアクシデント。
●そもそもTBSがジャニーズのご意向に沿って作った視聴者不在の番組の典型例なのだ。
キムタク神話が崩壊した日として、11/13は後の平成芸能史に記載されるだろう。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか


あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ


あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう


あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

●田村隆一「帰途」より

「恋の罪」観てきました。



●相変わらずの園子温節炸裂で…
●そういえば、主演の神楽坂めぐみさんとご結婚おめでとうございます
●…ということでご祝儀を含めて★★★☆☆
●映画の舞台になったのは、90年代末に世間を震撼させた東電OL殺人事件です(以下WIKIPEDIA)
1997年(平成9年)3月19日に、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本社に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。後に被告人となるネパール人男性ゴビンダ・プラサド・マイナリは、このアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌日未明にかけてとされる。
1997年(平成9年)5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたマイナリを、殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。マイナリは、捜査段階から一貫して冤罪を主張。当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。
被害者女性

被害者女性は、慶應義塾女子高等学校をへて、同大学経済学部を卒業した後、東京電力初の女性総合職として入社した。未婚のエリート社員であったが、後の捜査で、退勤後は、円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことで、この事件がマスコミによって興味本位に大々的に取り上げられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。
職場でのストレスと依存症
ノンフィクション作家の佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』では、被害者女性には職場でのストレスがあったことが示唆されている。高学歴のエリート社員で金銭的余裕があるのに、夜は相手を選ばず不特定多数の相手との性行為を繰り返していたことには、自律心を喪失し、何らかの強迫観念に取りつかれ、自暴自棄になった依存症の傾向があるとする見方もある。
拒食症
円山町近辺のコンビニエンスストア店員による、コンニャク等の低カロリー具材に大量の汁を注いだおでんを、被害者が頻繁に購入していたとの証言や、「加害者」とされた男性による、被害者女性は「骨と皮だけのような肉体だった」との証言などから、拒食症を罹患していたことも推定されている。
斎藤学は、この被害者女性について、自分の患者ではないため家庭の事情についてはっきりしたことは分からないとした上で、摂食障害を患っている女性に見られる行動の一つの例として売春が挙げられると指摘している。

●映画では、この東電OLに当る人物を大学の助教授に変更して、富樫真が演じている。
●10年前に死んだ父に近親相姦的な感情を描く彼女は、権威的な母親に憎悪的な感情を抱いている。
●実際の東電OLも、10年前に父が死んでから、売春婦を始めるようになったそうだ。
●富樫がどう見ても、覚醒後の鬼束ちひろにしか見えない(笑)




●しかし、母親との葛藤は園の創作で、この部分は園自身の両親との葛藤の反映である。
●この映画の特徴は三人の女が主人公ということ。
●かつてのロバート・アルトマンの「三人の女」を彷彿します。
●二人目のの主人公は神楽坂めぐみ。
●夫は人気作家
●厳格な夫に献身的な妻をえんじるが、心が満たされない彼女はAVにスカウトされ、生活が破綻していく…
●この二つ目の夫婦のモデルは園監督の両親だという。
●園監督の父親は地元・愛知の没落名家の出身で、園監督や、母親を抑圧していたという。
●園映画のどろどろとした疾走感の源泉はその辺にあるのだろう。
●三人目は殺された富樫真(人形二体に分断されたバラバラ殺人)を担当する女刑事。
水野美紀が演じてます。
●彼女も夫の後輩と不倫関係を続けて、携帯操作でSM関係を続けている。
この三人の人間模様が錯綜しながら、事件は伸展していく(以下ネタばれ)
●富樫は昼は教授、夜は円山町でたちんぼ。
●神楽坂はその世界に誘い込まれ、富樫の常連客に自分の夫がいることを知る。
全ては富樫が仕組んだ罠だったのだ。
●富樫は神楽坂と、母親の手にかかって殺される。
●錯乱した神楽坂は港町でかつての富樫のようにたちんぼに落ちぶれる。
●事件が解決した後も、水野は心の空虚を埋めきれない…
●というお話でした。

●実際の東電Ol事件の現場は今でも現存する。

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●井の頭線「神泉」駅真正面。一階にまん福亭という居酒屋があります。
隣のアパートが逮捕されたネパール人・ゴビンダ氏が住んでいた。

●…この事件をモチーフにした小説もある。
桐野夏生「グロテスク」。
●昼は大手建設会社の管理職、夜はホテトル嬢という異様なニ重生活を送る和恵。輝くばかりの 美貌を誇り、学生時代から男たちの間を渡り歩いてきたユリコ。同じ名門女子校を出身した二人 は、紆余曲折を経て最低ランクの街娼へと転落し、客の男に殺害されるに至る。和恵の友人でも あったユリコの姉は、その顛末を淡々と語っていくのだが……。

グロテスク〈上〉 (文春文庫)/桐野 夏生

¥650
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グロテスク〈下〉 (文春文庫)/桐野 夏生

¥680
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●こちらも「恋の罪」に負けず劣らず、桐野氏の奔放な想像力が爆発した快作です。

東電OL殺人事件 (新潮文庫)/佐野 眞一

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東電OL症候群(シンドローム) (新潮文庫)/佐野 眞一

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●この事件は現在でも未解決である。
池袋モンパルナスに夜が来た

 学生、無頼漢、芸術家が町に出る

  彼女のために、

   神経をつかへ

    あまり太くもなく、細くもない

     ありあはせの神経を――。

               「池袋風景」 小熊秀雄





あしたのジョーの作者・ちばてつや先生です。
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長谷川利行「無題」
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松本俊介「郊外」
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丸木位里「原爆の図」
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長谷川利行「花」
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松本俊介「Y市の橋」
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愛光「眼のある風景」
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山下菊二「あけぼの村ものがたり」
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赤塚不二夫
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藤子不二雄「おばけのQ太郎」
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●赤塚不二夫の作品「タモリ」
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藤子不二雄「どらえもん」
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●赤塚不二夫「天才バカボン」
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石の森章太郎「サイボーグ007」
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手塚治虫「鉄腕アトムとジャングル大帝」
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石の森章太郎「仮面ライダー」
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手塚治虫ワールド
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●これらの作品が、東京の片隅、有楽町線椎名町周辺で生まれたことはご存知ですか?
●戦前、この辺りは池袋モンパルナスと呼ばれ、近代日本洋画家がアトリエを構えていた。
愛光、長谷川利行、丸木位里、松本俊介、は昭和を代表する洋画家だ。
●また、空襲で消失した後、トキワ荘というアパートに、漫画家のタマゴが集まり、後の日本マンガ史に残る傑作群が誕生する。
手塚治虫、赤塚不二夫、ちばてつや、藤子不二雄、石の森章太郎
●彼らがいなければ、今日の日本マンガはありえなかっただだろう。
●戦前の、絵画、戦後のマンガ…
●日本の絵画芸術に多大な影響を与えた街…椎名町
●しかし、その偉大な歴史は現在では忘れられている。
●原因は、遺跡を保存しなかったからだ。
●かろうじて、熊谷守一美術館があるだけだ。

http://kumagai-morikazu.jp/
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●トキワ荘の模型及び見取り図です。
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●トキワ荘も今はない。
●これらの観光遺産を保存しなかった豊島区はあほです。
●豊島区民として文句言わせていただきます。

●近代絵画FANや、マンガおたくが聖地巡礼に来ても、見るものがないショック!

●そこで、ワタクシは石原都知事!!提案したい!!

●椎名町周辺に「トキワ荘マンガ博物館」「池袋モンパルナス美術館」を設立しよう。
●この二つを作れば、ミシュランのグリーンガイドや、イギリスのロンリープラネットで掲載されることはほぼ間違いありません。


●外国人客が豊島区に大量に来ます!
フランス (ミシュラン・グリーンガイド)/ミシュランタイヤ社

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英国 (ロンリープラネットの自由旅行ガイド)/デイビッド エルス

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●ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルで秋の推薦図書でリコメンドされたマンガ二冊を読んでみました。http://www.tbsradio.jp/utamaru/index.html
●昭和元禄落語心中。
●傑作です。まだ、始まったばかりですが、TVドラマ化は時間の問題化と。
●ム所帰りの落語家見習いとその師匠を中心とするドラマです。昭和元禄落語心中(1) (KCx ITAN)/雲田 はるこ¥590Amazon.co.jp
●虫と歌
●市川春子
●かつての高野文子や、大島弓子を髣髴させる、久々の少女マンガの歴史的傑作です。虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)/市川 春子¥600Amazon.co.jp
●先日、北杜夫が逝去しました。
「ドクトルマンボウ」シリーズで有名です。
●ワタクシは1篇も読んだことがなかったので、代表作「楡家の人びと」を読みました
●全三巻の大作なので、読了してませんが、あまりに面白く、ワタクシが大好きなテーマが色濃く、書き込まれているので、ブログに書きます。
楡家の人びと 第1部 (新潮文庫 き 4-57)/北 杜夫

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楡家の人びと 第2部 (新潮文庫 き 4-58)/北 杜夫

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楡家の人びと 第3部 (新潮文庫 き 4-59)/北 杜夫

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以下、WIKIPEIAより抜粋。

●三部構成で、大正初めの全盛期から病院焼失を経て、1926年(大正15年)の基一郎の死までを第一部、昭和初め、病院復興を背景に徹吉院長と龍子夫妻の軋轢を中心とし、1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦までを第ニ部、戦中から空襲による病院の再度の焼失、そして一家の没落が始まる終戦後までを第三部としている。
●北杜夫は、父斎藤茂吉、祖父斎藤紀一へとつらなる生家の変遷を小説にすることを長年の課題とし、既に大学時代から「神尾家の人びと」という仮題で構想を練っていた。そして、「私は漠然と、それを書く時期を四十代と思っていたが、急に予定を繰り上げることになったのは、自分の健康に自信を失ったためと、昔の事を知っている人たちがぼつぼつ死にはじめたからである」とあるように、1961年(昭和36年)の夏に創作に取り掛かり、親類縁者からの聞き取りや父茂吉の日記、随筆、メモ類、大正年間の新聞などの資料をもとに執筆を開始している。

●北の実家である、斉藤家、父、茂吉は歌人。兄、茂太は精神分析医でエッセイスト…医者兼文学者というエリート家系である。
●祖父、基一郎は南青山4丁目に、全7棟の巨大な精神病院を建築し、「青山脳病院」を経営する。
●ローマ様式のこの建築物は戦前の青山のランドタワーだった。近衛町★爆弾のブログ
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●全く、あきれるほど壮大な建物である。
●「楡家の人びと」はこの病院を中心にした、三代にわたる大河小説である。
●そこには戦前の山の手ブルジョワジーの風俗がいきいき書かれている。
●山の手とは、麹町・牛込・四谷・赤坂・麻布・芝・本郷・小石川などを指す。

●ワタクシが住んでいる目白も典型的な山の手である。
●私が住んでいる辺りは戦前は近衛町…つまりは五摂家筆頭の…つまりは藤原家に連なる名門中の名門である。
●第二次世界大戦の責任者・近衛文麿や、細川護煕等、日本政治史の転回点にも顔をだす旧華族の代表だ。
●近くには細川家の財宝を展示する「永青文庫」もある。
●いまだに、目白のバーでは「鷹司(五摂家の一つ)が…」みたいな、京都のど真ん中でも出てこない旧華族の苗字が聞こえてくる。未だに、この辺りに住んでいるのだろう。



●目白通りを挟んで反対側には徳川博物館・黎明会がある。
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●こちらは徳川の土地だった。
●戦後、巨大なアメリ
カンハイツが建てられた。
●近くにある御留山公園は将軍家の狩猟地区だった。
●御留山の御留とは進入禁止という意味です。

●山手線を挟んで、反対側は学習院だ。
●「楡家」では子供は大体、学習院に入学する。

●楡家の舞台は青山。
●こちらも山の手の中心地。
●山の手族の特徴は、
①楽器を習わせられる
②夏休みは軽井沢の別荘
③ざあます言葉を使う
④家族を~様と呼ぶ
⑤買い物は銀座の三越か丸善
⑥家に住み込みの家政婦がいる。

…などなど、特徴を持つ。

●ワタクシは関西人だから新鮮である。
●関西のブルジョア文化といえば、船場文化だが(過去ログ「分断する大阪」参照)、船場文化はもはや跡形もなく滅んでいる。
●山手文化も滅んでいる。
●我々は船場文化は「細雪」、山手文化は「楡家の人びと」で窺い知るしかない。

●戦前の日本を全否定することで、戦後日本はアメリカ化し、今日までに至っている。
●しかし、戦前の日本にも、ヨーロッパ文化を導入した、豊かな文化風俗があったことを…忘れられた日本人が、かつて存在したことを、北の作品は色濃く伝えている。


●毎年、この時期に何かと話題のミシュラン東京ですが、


ミシュランガイド ボンヌ・プティット・ターブル東京―ちょっと気になる東京のフレンチ/著者不明

¥2,100
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ミシュランガイド東京・横浜・鎌倉〈2011〉/著者不明

¥2,520
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ミシュランガイド京都・大阪・神戸〈2011〉/著者不明

¥2,520
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●ワタクシも対抗して、黒ミシュランを発表します。

ドクロドクロドクロ
爆弾上海小吃






絶えず賑やかな中国語の飛び交う店内で一際目を引くのは、壁一面に貼られた信じられないほど多くのメニュー。上海でも数少ない国家特級厨師の資格を持つシェフが作るその料理は、なんと600種類以上あり、本場の味そのまま。

素材も中国から取り寄せていて、日本ではほとんど食したことの無いような珍しい料理も楽しむことができます。



http://shanghai-xiaochi.com/


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●金城武主演の映画『不夜城』のオープニングで使われた歌舞伎町の細い路地の奥、上海小吃はそこに存在します。


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●豚の脳みその煮込みです。
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●ただいま季節メニューの上海蟹です。都内髄一のコストパフォーマンスです。
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●雀のから揚げです。
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●蛇のスープです
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●さそりのから揚げです。
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●かえるのから揚げです。
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●鳩ぽっぽです。
住所 :
東京都新宿区歌舞伎町1-3-10
電話/FAX :
03-3232-5909(ご予約承ります)
営業時間 :
平日18:00 ~ 5:00  日・祝日18:00 ~ 2:00
※クレジットカードは不可。
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●ママです。よくしゃべります。






ドクロドクロ
爆弾アリラン亭

現在の「キムチ横丁」は東京都内で最も長い歴史があるコリア・タウン。
戦後間もない混乱期である1948年(昭和23年)頃までさかのぼり、「御徒町商店街」より枝分かれをして、『上野親善マーケット』として、焼肉店・キムチ店・肉店・民族衣装店等が集中して現在の位置に立ち並んだことを発祥としている。

●台東区東上野にて自然食手作りのキムチ専門店
先代のオモニ(母)が何十件ものキムチ店や飲食店等を食べ歩き、研究に研究を重ねあみだした唯一独自の味です。現在は、二代目自らが先代のオモニから受け継いだ味をしっかりと守りながら、仕込みの段階から本漬けに至るまで二代目主人が責任を持って、きっちりと衛生管理が行き届いた店の裏で手作りをモットーに防腐剤、保存料、着色料を一切使用せず愛情、真心を込めて手作りキムチの製造をしております。




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●ボッサキムチ
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●にらキムチ
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●ひじきキムチ
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●えゴマのしょうゆ漬け



TEL: 03-3832-6550
営業時間: 10:30~19:00 
定休日: 毎週月曜日

場所:東上野コリアンタウン内

銀座線:上野駅 (徒歩 約2分)
日比谷線:上野駅 (徒歩 約2分)
JR山手線:上野駅 (徒歩 約6分)

都営大江戸線:上野御徒町駅 (徒歩 約3分)
JR山手線:御徒町駅 (徒歩 約4分)


ドクロ

爆弾宇ち多
牛ホルモン焼きの店です。
●京成線立石駅前にあります。
●行列がすごいです。
●昼酒飲みながら、もつ焼きかじります。

●東京都葛飾区立石1-18-8 仲見世商店街
03-3697-5738



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●タン
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●シロ
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●ハツ

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●レバ

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●店内風景です

爆弾>みつぼ
焼きとんの店です。
池袋ジュンク堂のわき道にあります。
●近所なので、愛用してます。
ワタクシのピグそっくりの人間がいましたら、それはワタクシです

●豊島区南池袋2丁目16-1
03-3988-1396



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●刺し盛りです
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●ブレイン刺しです。
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●ブレインスープです。



●明治時代の東京の貧民窟をルポルタージュした傑作ノンフィクションがある。
●松原岩五郎の「最暗黒の東京」と横山源之助の「日本の下層社会」だ。


近衛町★爆弾のブログ-最暗黒の東京
近衛町★爆弾のブログ-日本の下層社会

明治30年代の東京には三大スラム街と呼ばれた地域がある。
下谷万年町



近衛町★爆弾のブログ-下谷万年町物語


「僕の言う縁側とは、路地が浮上したものであるという考え方でもいいと思います。今や、路地というものがなくなって久しいかと思いますが。」
「長屋のあいだの路地ですね。しかもそこで遊んでいると、さらに細分化された路地を探し歩くという不思議な戯れの神経を必ずと言っていい程くすぐられる。路地というのは、日本的な迷路なんですよね。そしてメインから外れた裏路地にはトイレがある。まだ木戸なんてあったし、戦前までは、「お穢屋(おわいや)さん」が肥桶を背負って汲み取りに来たものです。」
最近、「変態の現在」というパネル.ディスカッションに呼ばれたんだけど、そういう話題になると、どうしても戦後の町内の話に戻ってしまう。僕が餓鬼の頃、町内に男娼が百人いましたから。田中小実昌の『上野娼義隊』の中に出てくる「おいち」とか「おはる」というのが、上野山に調査に来た朝日新聞の記者と警視総監をぶん殴って、総監の鞄を持って来ちゃったというのが、丁度うちの辺りなんです。その鞄が回覧板のように回って、どこに隠してやろうかという話になったんですけどね。それで、三時になると男娼百人が金盥(かなだらい)を持って銭湯に行くんです。僕等は紙芝居を見ている。振り返って囃し立てる餓鬼もいるんだけど、「おかま!」なんてて言ったらひっぱたかれるから、「おかま屋さん!」って言うわけです。 その時見た町内の風景は、プアーであるとか、えげつないとか言うのとは違う。男娼達は町内の経済の支柱だったし、電蓄からはタンゴが流れてくるし、僕等が寝られないような布団は干してあるし、原色ぎたぎたという感じですね。等身大であることが何故こうも苦痛なのかと考えると、僕がクイアの里から送り出されたということよりは、やっぱり、等身大というものが分からないからなのだと思う。「特権的肉体」なんて現実にないのに、それでも強引にそういうラベルを持ってきたという背景には、たぶん、僕がそういう里から送り出されてきたということも絡んでいるんだろうけれど。」(後略)
唐十郎「超.特権的肉体論」

近衛町★爆弾のブログ-下谷万年町

鮫が橋谷町

近衛町★爆弾のブログ-鮫が橋谷町
芝新網町
です。
当時の貧民窟の生活を覗いてみよう。

●明治32年の『日本の下層社会』(横山源之助)に、新網町の大道芸人一家(妻1、子1)の家計が出ています。それによると1日あたり、

 米代(1升2合)17銭/酒代3銭/薪・炭代2銭/タバコ代7厘/肴代4銭/石油代5厘/子供の小遣い1銭/布団(2枚)2銭6厘/家賃2銭5厘の合計33銭3厘
●で、まさにカツカツの生活。しかしこの大道芸人は、米が食え酒が飲めるだけ幸せでした。収入が少ない貧民窟の人々は、たいてい残飯を食べていたからです。
 やはり『日本の下層社会』によれば、残飯は上等120匁(=もんめ、1匁は3.75g)1銭、お焦(こげ)170匁1銭、残菜1人1度分1厘、残汁2厘でした。

● ではこうした残飯はどうやって調達したんでしょうか?

近衛町★爆弾のブログ-残飯屋2
近衛町★爆弾のブログ-残飯屋1



●実は、日本軍が捨てた残飯を回収し、格安で転売する残飯屋という職業がありました。四谷には陸軍士官学校があり、芝には海軍大学校があったので、食にありつくには最適だったのです。
(ちなみに下谷万年町の近くには軍部の施設はありませんが、こちらは上野駅にも浅草にも近いという地理上の理由でした。貧民窟でもっともメジャーな仕事は車夫で、ここには多くの車夫が住んでいました)

●さて、明治25年、「国民新聞」記者の松原岩五郎がスラムに入り込み、残飯屋の様子などを『最暗黒の東京』にまとめています。松原は1日3回、士官学校に行って、ひとザル(およそ15貫目)50銭で残飯を引き取り、これを1貫目およそ5~6銭ほどで販売しました。タクアンの切れ端から食パンの屑、魚の骸(あら)や焦げ飯など、膨大な量を荷車で運びました。以下、貧民窟での様子です。





  七 残飯屋

弥兵衛氏の仲介で、その日から私は残飯屋の下男となり、毎日朝は八時、昼は十二時半、夜は同じく午後八時頃から、大八車に鉄砲笊という直径一尺(約30.3cm)あまりの大笊(ざる)、担い桶、半切(はんぎり)という浅い桶、醤油樽などを積んで、相棒二人とともに士官学校の裏門から入り、三度の常食の余り物を仕入れて帰るのだが、何といっても元来箸よりほかに重いものを持ったことのない身が、急にこのような重労働の仲間に入ったので、その労苦は実に容易でなく、力は無理をしても出すべきだが、労働の呼吸に不慣れだから、たびたび子どものような失策を重ねて、ひどく主人の不機嫌を買った。

しかし、これもまた貧大学の前期課程なので、ここの我慢が肝要だとじっと辛抱するうち、まもなくその呼吸も覚え、のちには最寄りの怪人たちから「番頭、番頭」と尊称されるに至った。

それほどに、この残飯は貧民の間にすこぶる関係が深く、彼らはこれを兵隊飯と呼んで、古くから軍隊の兵営の残り飯を意味するものだが、当店で売りさばくのは、その士官学校から出る物で、一笊の飯量およそ十五貫目〔約56.3kg〕を五十銭で引き取り、これを一貫目〔約3.75kg〕およそ五、六銭で売る。

もっとも、これに付いた残菜は、その役得として無料で払い下げるものだが、何といっても学校の生徒をはじめ教官の諸人数、千人あまりを賄う大厨房の残り物なので、ときにはあの鉄砲笊に三本から五、六本くらい出ることがあって、汁とお菜がこれに準じ、沢庵の切れ端から食パンの屑、魚のあら、焦げ飯などを皆それぞれの器にまとめて荷造りすると、ほとんど一小隊の軍備品ほどもあって、一日三度の運搬は実に我々人夫の骨とするところであった。

そして、この残り物を買うのはどのような者かと見渡せば、皆その界隈の貧民街の人々で、これを珍重することは、実に古来中国で最も美味とされる熊の掌や鳳の髄どころでなく、我たちが荷車を引いて往来を通れば、彼らは実に天皇の乗り物を拝するように、老若男女の貧民たちが皆々手に笊、一人盛りの面桶(めんつう)、重箱、飯櫃、小桶、丼、岡持などという手頃な器を用意しつつ、道の両側に待ち受けて、

「いま帰った」

「今日はたくさんあるだろう」

「早く行きたい」

などとそれぞれに囁きつつ、荷車の後を追ってくるかと思えば、店先には黒山のように待ち構えて、車の影を見ると等しくざわめいて、まるでシベリア単独横断を果たした福島中佐の歓迎とでもいうように、さっと道を空けて通すと同時に、われ先にと笊や岡持を差し出し、

「二銭ください」

「三銭おくれ」

「これに一貫目」

「ここへも五百匁〔約1.9㎏〕」

と肩越しに面桶を出し、脇の下から銭を投げる様子は何に喩えよう、大根河岸や魚河岸の朝市に似て、その混雑はなおいっそう奇態の光景を呈している。

そのお菜といい、漬物といい、煮しめや沢庵などはみな手づかみで売り、汁は濁酒(どぶろく)のように桶から汲んで与え、飯は秤量(はかり)に掛けるのだが、面倒なときはおのおの目分量と手加減でする。

飯の余りやお菜の残りは、元来払い下げの節には普通一般に施与的な物品だが、一旦ここへ引き取って販売すれば、これもまたひとかどの商品である。

また、虎の皮、土竈(へっつい)、アライ、株切(かぶきり)などと、残り物の上にさまざまな異名を付けて賞玩するのは、なかなか可笑しい。

株切とは漬物の異名で、菜漬や沢庵、胡瓜や茄子などの蒂(へた)や株が付いた頭尾の切れ端をいい、アライとは釜底の洗い流しでバラバラになった飯を意味するもので、土竃とはパンの切れ端だ。

これは中身をえぐった食パンが、まるで竃(くど)のような形をしていることから異名したものだという。

では、虎の皮とは何か。

これは怪人たちの洒落で、実に焦げ飯を異名したものだ。

巨大な釜で炊く飯は、どうしても多少焦げ気味に炊かなければ上出来とならないから、釜の底に祀られた飯が一面に付着して、まるで虎豹の皮か何かのようにまだらに焦げているために、こう名付けたものであろう。

さて、たとえ虎の皮にせよ、土竃にせよ、すでに残飯となれば、貧民街の尊い商品であって、怪人たちが争って買い求めるところだ。

世に「桂を焚き、珠を炊(かし)ぐ」というのは富豪者の奢侈を意味するが、実際には富豪者ではなくてかえって貧民、しかも極貧饑寒の境遇にある者こそ、真に珠を炊ぎ、桂を焚くのである。

試しに、あの貧民たちが常例として買う一銭二銭ずつの炭や薪、漬物がどんなに高値であるか、また彼らの五合七合ずつの米、割麦がどんなに少量であるかを見てみよう。

十人二十人を賄う大厨房の経済では、通常、米や薪の徳用買いというものがあるので、実際には珠や桂のような材料も、会計上は薪や炭の値段となるのである。

これに対して、貧民の台所では、毎日の材料を一銭的な小買いで用立てるので、普通の薪や炭も計算上では実に珠玉の価となるのを免れない。

銭を持たない貧民街の人が、どうしてこの珠玉を炊いで生活できようか。

残飯や残菜は、実にこの一銭的厨房の惨状を救う慈悲の神ともいえ、五人家族で飯二貫目、残菜二銭、漬物一銭、総計十四、五銭くらいで、一日の食料は十分なのだ。

もし強いて一銭的材料によってこれを充たそうとすれば、彼らは日に三十銭を費やさざるを得ない。

こういうわけで、残飯屋の繁盛は、常に最下層の生活談における画図的な光景の一つに数えられるのであった。

   八 貧民と食物

越後屋や大丸屋の飯炊き男が薪を焚くように、少しの注意を払うことで、どれだけ多くの薪を残すことができるか。

小説に書かれた越後伝吉が、厨房が散漫であることで長く無駄な出費をさせた遊郭の大店で、飯炊き男として勤めようと新しい契約を結んだ日から、薪を丁寧に焚き、漬物を器用に切り、わずかな砂糖、わずかな鰹節を倹約し、醤油の残り、味噌のたまり、焦げた飯の一塊を倹約することで、どれだけ多くの費用を省き、それが三年積ってどれだけ多くの資本を作ったかという一事は、我々が常に珍しい説話に分類する特別な題目として、それを扱う芝居や講談が証拠立てている。

しかし、これは決して特別な題目ではない。

都市の下層に住んで常に厨房を神聖にしようと注意を持つ人は、越後伝吉よりもより多く倹約し、なおより多く器用であろうとするのが事実である。

とはいえ、彼が倹約によって養われた質朴な心を持ったまま、奢侈な問屋を料理しようと走ったときに、極端な相互の習慣の違いから闘いが生じるのは、どれほど奇異な見物であったことか。

事実は常に極端なものの結び付けによって珍しくなる。

しかし、私の境遇は、平凡なものの結び付けによって「越後伝吉」だった。

私はまだ残飯屋に入る以前に、焦げ飯や魚のあらがどれほど価値を持つかを疑っただけでなく、漬物の残りは常に捨てるものと思っていたが、「特別」な人々の生活は、見るにしたがって食物が貴重なものであることを悟らせ、彼らが飢えて仕方ないときは、粉になったパン、枯れた葱の葉も、なお立派な商品として通用するのを見た。

貧民の群がどれほど残飯を喜んだか。

そして、これを運搬する私がどれほど彼らに歓迎されたか。

私は常にこの歓迎に報いようと、あらゆる手段をめぐらして厨房を捜し、なるべく多くの残り物を運んで彼らに分配しようと務めた。

士官学校の厨房に運搬できる何物もなかった朝は悲しく、飯やお菜の新しい残り物が三両の荷車に余るほど積まれた夜は嬉しかった。

私はいつもこれらの潤沢を表すときに「豊年」と呼び、払底を表すときに「飢饉」と呼んで、食物を渇望している彼らに向かって予告した。

ある朝―それは三日間一ポンド〔約453g〕の飯も運べなかったほどに、哀れな飢饉が続いたある朝―、厨房を捜して運べる何物もなかったときに、私は大いに失望して立ちつくし、どれほど貧民を嘆かせることかと思った。

しかし、私はただでは帰らず、わずかの食物を争うように賄い方に向かって嘆願を始めた。

「今日に限って貧民を飢えさせない部屋頭閣下、どうか、あのパンの屑でも」

このとき、彼は

「お前がそれほど頼むなら、そこに豚が食う餡殻(あんがら)と畑を肥やすのに適当なジャガイモの屑が、後で来るゴミ屋を待っている」

と言った。

見ると、イモ類で作られた餡がやや腐敗して酸味を帯びたのと、洗った釜底の飯と、絞った味噌汁の滓(かす)であった。

たとえこれが人に食わすべきものでないとはいえ、数日間の飢えに対しては多少の饗応となろうと、注意を払ってそこにあったすべてを運び去った。

こうして私が帰ったとき、飢えた人々は非常に喜んで迎えた。

「飢饉」

と私が一言予告したとき、彼らの顔色は皆失望に包まれた。

「ええ、どうして。そこにたくさん食物があるよ」

と荷車を見て一人が叫んだとき、店主が好奇の目を注いだ。

「飯なら早く分配しろ」

「我々はお菜だけでもいい」

と催促が始まったとき、荷が解かれて並べられた。

人々は三日の飢饉から、そこにどのような豊年のご馳走が湧いたかを疑うように覗いた。

腐った餡を名付けて私が「キントン」と呼んだとき、店の主人がどれほど高価な珍菜であるかを聞きただし、それが一椀五厘で売られた。

味噌の糟(かす)が、なお多くの需要者を持った。

饐(す)えた飯は、売ろうにも足りなかった。

ああ、どれほどこれが話したように奇態な事実であったことか。

私は内心、残飯を売ることは確かに人命救助の一つであり、自分は小さな慈善家だと思っていた。

しかし、ときには、腐った飯や糟ばかりの味噌、つまり豚の食物や畑の食物で銭を取るという、してはならないことをせざるを得なかった。

もしも、あなたがたが世界に向かって大きな眼を開くなら、あの貧民救助を唱えて音楽を鳴らす人、慈恵を名目として旗を立てている尊い人々が、常に道徳を語り、慈善を行うことは、必ずしも道徳や慈善でないことを見るであろう。

   九 貧民倶楽部

文学者と交われば文学者の話を聞き、政治家と交われば政治家の話を聞くのと同じく、貧民と交われば聞くのは貧民の話だ。

人はおのおの皆、その社会での秘密を語り合い、語り合わずにいられないものだ。


私がいる残飯屋は、まるで彼らの社交倶楽部ともいうべきもので、下男の境遇にあった私は、つまりここの書記であった。

どれほど貧民倶楽部が多くの社員で賑わっていることか。

彼らは各自、面桶一個、笊一個、小桶や味噌漉しを手に携えて、倶楽部の庭にしゃがみ、腰掛けたり、立ったりしながら、若干の時間を待ち受ける間に、各自の日頃の実験談を材料として、例の談話会を催すのであった。

どれほど彼等の談話が材料に富んでいることか。試しに、その二、三種を編纂してみよう。

運動会の恩恵

かつて青山の練兵場で某法律学校の春季大運動会が催されたとき、賄い方から弁当として生徒一人に一個ずつの折箱を配ったが、多くの学生の中にはこれを食う者が少なく、千二百人前の弁当を配付して三、四百も残したので、その幹事である人が心得て、早速その最寄りで見物していた一人の貧しい子どもを招き、

「今日の恩恵としてお前たちにこの土産を遣ろう。ほら、多くの仲間を集めてこないか」

と言ったので、子どもはおおいに走って檄を伝え、

「原っぱで学校のお葬式があるよ。みんな行かないか」

と触れまわると、すぐに集まった者が百余人。

かつて施しに福があったことで、これ以上の日はなかった。

這うような幼児の手にも一つずつの所得があって一家五人一日の食膳を儲け、

「近年珍しい施餓鬼だった」

と言ってその実直なご馳走を喜び合ったが、他の貧民街の人々がまたこれを聞き伝えて遅ればせに駆けつけると、練兵所の中央に山のように弁当殻が積み重なったのを見出して、その中から飯の残りを拾い出して持ち帰ったが、これもまたひとかどの所得であった。

最後に五、六人の乞食がどこからともなくこのことを嗅ぎつけて来て、残り物をつつくそばから食いつくし、ついには蟻の所得も残さなかったと。

ああ、たかが学校の運動会でこれほどだ。

もしあれが戦争であったなら、どれほどこの人々が潤ったことだろうと語り合った。

施与米

「ある頭取から府下の貧民一同へ玄米五十石を施与するから、貧窮人どもは誘い合せて高輪泉岳寺へ集まるよう。ただし、一人につき米五合ずつのこと。○年○月○日 行司」

とあちこちの辻でお触れが出た。

「なんと玄米五合の施し。すぐに行って、この賜物をもらおう」

「五合といえば少ないが、一家三人一日の急場をしのぐには足りるだろう」

と遠い泉岳寺までの道のりをもろともせずに行くと、どうして予想しようか、今日は切符の配布で、現物の受け渡しは明日だとは。

ああ、なんと施主が「貧民」を知らないことは甚だしいことか。貧民には決して明日の我慢はない。

もし貧民に明日の我慢があるほどの余裕があるなら、どうして始めから貧民であることに甘んじよう。

貧民とは、実に今日今夜の忍耐もできないほどにせわしなく、苦しいものである。

貧民救助として単に物を与えるという主意は、実にこの苦しく、せわしない場合を救うことを肝要とするのだから、その取り扱いは極めて直接的で、与える物はなるべく今すぐに要る物でなければならない。

つまり、衣類よりは食物、米よりは飯であって、施主の手が貧民の手に触れるほどに直接行わなければならない。

そうすれば、貰う者もそれが今すぐに要ることを喜んで、遠い道を遠いと思わず、二里三里を厭わずに走っていき、その日の危急を塞ぐことができる。

それなのに、これを為替にして明日を待たせるというのは、せっぱ詰った苦しみを知らず、せっかくの救米を無益にするものだ。

切符や手形は物品の引換券で、すでに世間の余裕のある者が利用するところだが、これを今日の御救い米に使用するとは、施主は貧民に余裕があると思ったのだろうかと語る者がいたが、なるほどもっともだと聞いた。

昔は御救い米と称して広い庭に俵を積み出し、難渋する人が頼むのに任せて、かりにも袋の口を空けて来た者には誰かれの区別なく施し与えたものだが、これでは貧民の狡猾な者がしばしば姿を変えて、空袋の取り次ぎをする者があるのを思わず、得るものは過分に得て、一人一升の主意がまんべんなく行き渡らないことを危ぶんで、こういう規則を立てたのであろうか。

いやしくも施主として万民の上に立とうと欲するなら、当然その心眼をおおらかにするべきだ。

たとえその中に狡猾な者があって、人の三人前や五人前を貪り取ることがあろうとも、決して驚くに当たらない。

いやしくも貧民として彼が生存する限りは、到底彼一人で数人前の分配を占領するというケチなことは許されず、必ずやその日一番の働き者として周囲の称賛を博するとともに、その貪り獲った物品は、すぐに近所に散じ、まんべんなくその土地の潤いとなるのは、ほとんど共産主義に似通ったことがこの社会に行われているからだ。

これを考えずに眼前に窮屈な方法を設けるとは、施主は貧民の炊煙的組織をどう見ているのだろうか、云々。

これらの例は、毎日の新聞の雑報ネタとして私が倶楽部の談話を筆記したものに過ぎない。

しかし、ここで私がいっそう奇異な事実として感じたのは、往年私が○○義塾の末席で修行中、当時、お坊ちゃま育ちの間に賄い退治ということが流行したが、一度その徒党に加わって大変な乱暴を働き、広い食堂でまるで一揆が起こったように、飯櫃、皿、膳、茶碗の区別なく、手当たり次第に投げ捨てた狼藉は、今なお記憶して忘れられないが、これが図らずも貧民社会の潤いとなったことを、数年の歳月を経て、今この貧民倶楽部で聞こうとは思いも寄らないことであった。

また、彼等の中の年老いた者の記憶には詳細な残飯の歴史があって、これが時々の貧民叢話の傍証として常に引用されるのを見た。

彼らは言う、二十年前の東京の開き始め、つまり軍隊というものが置かれた当時は、さすがに江戸的な貧民は兵隊飯など食うものではないといって、賄い方は常にその始末に困り、ときにはわざわざ舟を漕いで品川の海に投げ捨てることさえあったが、今はそれさえ銭で買うことが容易でなくなったのは、まったく世の中が逼迫した証拠だろう。

狡猾な商人どもが厨房へ出入りして残り物の競り買いをし、ケチな賄い方が彼らと通じて利益を図り、貧者にますます値の高い食物を食べさせるようになったと。

確かに、商人がいない場合は、惜しい食物を海中に捨てる不始末がある代わりに、常に貧民は無料の食物を食えるが、商人がその間に入って仲介するようになれば、大切な食物は乱暴に扱われないが、貧民は常に飢えざるを得ない。

ああ、恐るべきものは経済の原理だ。

翼なくて飛び、足なくて探り、ついにこの暗黒界に潜り込み、この残飯という乞食飯を仲介するようになろうとは。

要するに貧民倶楽部の雑報ネタは、もしフランス革命の指導者だったダントンやマラーのような人がいて、他日、貧民新聞を発行する計画があるとすれば、私はさしずめその編集長として、その材料を収集しよう(笑)。

こうして残飯屋に留まった数日、半身は貧民倶楽部の書記となって彼らの生活の実地報告を編纂し、また半身は飯炊き男の越後伝吉となって、焦げた飯、乾いた沢庵を塩梅して、彼らの万一の場合に供給することを努めたが、太平の世の中ではほとんど無用な私も、ここではすこぶる有用な人となり、一日も欠かすことができない店の宰領として遇された。

しかし、本来これは、一個の世界探検船である。

同じ港に長く停泊するのは広い世界を観察する道でないと程なく碇を引き揚げ、一週間の給料二十五銭ともらった下駄一足を航海費用としてここを出帆し、また例の労働者の宿所である弥兵衛氏宅を埠頭として、ここでしばらく出発すべき航路の羅針盤を考えた。



彼らはほとんど字が読めず、また心に一つの偽計のない純朴な人々で、故郷に通信しようとするときは、二銭あるいは二銭五厘の書き賃を払って文言を依頼し、木綿の四幅風呂敷に柳行李を包み、その中に衣類や足袋などを収めて固く用心し、一枚の柱暦、荒神暦とか称して「彼岸」「八十八夜」「土用」「盆」「二百十日」などの厄日が象形文字で描き出された農事暦、氏神鎮守の「守り札」、善光寺如来の「護符」のようなものを携帯して、五年から七年間で稼ぎ出した金がどれほどかに上り、その金で数段歩の田地が購入できるのを目的として労働する人々だったが、十人に八、九人は大抵その目的を遂げるものであった。

戦争では炊き出し方となり、軍隊では運送方となり、田舎では耕作人であり、都会では厨房の人であり、どのような場合でも常に人生生活の下段で働く彼らの覚悟がどれほど健全で、その日常がどれだけ安逸であることか。

身を働かせるほかに希望を抱かず、賃金を求めるほかに大きなことを貪らず、蒼々とした故郷の山々、穀物が豊かに稔る田間の沃野を最後の楽園として想うほかには何物も見ない彼らの生涯には、一篇の小説もなく、一話の伝奇もないとはいえ、彼らの朝夕には摩滅しない一冊のバイブルに当たるものがある。

どれほど彼らの血液が清潔であることか。

ああ、私にもしもこの不治の病(学問をしたことによる一つの病)がなかったなら、すぐに進んで彼らの群に入れたものを。





 明治の3大貧民窟は、その後どうなったのでしょうか?

日露戦争後、都市の拡大とともに、貧民窟には様々な圧力が加わります。
 下谷万年町や芝新網町では、地価の高騰で家賃が上がり、多くの人々は場末の細民街に移動しました。特に屑物屋は営業規則の施行で、荒川区の日暮里三河島へと移転していきました。四谷鮫ケ橋では、新宿南町の長屋へ移動していく人が多かったようです。
 そして、いずれも大正12年の関東大震災で跡形もなく消滅してしまいました。震災後は、浅草や深川・本所あたりに貧民窟が再興するも、多くは市外(現在の板橋区、豊島区、新宿区、墨田区あたり)にひっそりと移動していくのでした。
●さて、ここで考えてほしいことがあります。
 現在、世の中では格差問題が議論されていますが、格差が劇的に進行するとどうなるか。家賃の払えない貧乏人はまずはホームレスになってバラバラに暮らしますが、さらに貧困が進めば、次第にまとまって住むことになります(その方が食糧確保の効率が高まるから。行政による強制移住もあるかもね)。それはつまり「現代の貧民窟」の誕生です。

 ●実際に『日本の下層社会』には、当時の統計資料である賃金や生活費等の職業・階層による調査結果が掲載されているが、これらを現代の貨幣価値に換算すると凡そ、コンビニや、ファーストフードでの食事レベル、住居費もワンルームから1LDKのマンション相当、そして、学歴は、義務教育から高卒レベルの人達に当て嵌まってくる。労働者専用の寮もあり、教育(職業教育というよりも一般教育)が受けられる。この点では、日本の「下流社会」よりも、ずっと恵まれている。

●結局のところ、この本で扱われている労働者達は、現在のフリーターの人達もしくは、定職で賃金搾取が無い労働者は、フリーターよりも社会階層が上であり、私たちが、現在イメージする下層社会とは異なっている。

●むしろ一般市民が下層労働者階級として位置づけられ、明治30年代には、軽工業の熟成期を迎え、日清戦争の勝利等を経て重工業へと発展して行く中での労働者の生活変化が描かれている。

●著書の横山氏は、当時としては、非常に客観的、数値的手法を中心に量的研究・質的研究の両面からこうした労働者階級の生活実態を分析している。

●もし、横山氏が今の世の中におれば、フリーターや派遣労働者の生活文化の実態について表していたろう。

●企業エリートの官僚化による失策、つまりアメリカ型グローバリズムの選択の結果、もたらされた社会の経済・文化・生活的環境の後退の結果、生き残ったもっともエゲツナイ寡占型(カルテル・コンツエルン)企業によって、ソーシャルキャピタルの商品化や収奪が進行している中で、我々「落層生活者」である一般庶民が「下流」としてのラベリングが行われている実態について、問題提起をしてくれる筈だ。


●そして、2011年の東京で新貧民窟が存在する。
足立区「竹の塚」である。

http://tokyodeep.info/2010/07/23/204728.html

近衛町★爆弾のブログ-竹塚
近衛町★爆弾のブログ-竹塚

「改革に棄てられた家族を見よ~就学援助児42%ショック」
文藝春秋2006年4月号に掲載。
●著者の佐野眞一はノンフィクション作家である。

●論考の舞台となっているのは、人口64万の“貧困地域”である、東京都足立区である。とにかくとてつもないスラムがそこにはある。生活保護世帯は約1万1千世帯、大阪市西成区ほどは凄まじくはないが、この数は全日本全体の約1%にのぼっている。

●生活レベルはかなり低い。それは子供たちの学校生活にも影響、成績もそれに合わせて低下している。低所得者層が多いということは、またそういう人たちを呼び込むための土壌にもなる。まさに悪循環が繰り返され、スラム化は加速度的に進むことになる。


●区内の小学校教師の話として、「消しゴムやノートを親に買ってもらえないこどもも、ごく少数だがいます。そういう子のノートを見ると、計算問題などの数式が、本当にちっちゃな文字で隅っこに詰めて書かれているんです。そのノートが終わったら、もう親に買ってもらえないとこどもなりにわかっているからなんでしょう」

●これは、インドやベトナムの話ではない。まさに日本で現実に起こっている状況なのである。佐野は取材をするうちに、トルストイの「幸せな家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸のさまもそれぞれ違うものだ」という言葉を思い出している。正確には佐野の引用は正しいとは言えないが、まさにトルストイが似合う世界であることには違いない。

●日本という国は、多くの国民が気付かないでいるうちに、経済的に二極化し、裾野の果てしなく広い、下層社会が急速に立ち上がってきている。人々が早くこのことに気付き、理解し、そして対処しないと、日本はとんでもない方向に向かってしまう。佐野は繰り返し警鐘を鳴らし続けている。


●・・・暗い話ばかりでしたので、最後に明るい唄を!
●足立区のゆるきゃらアダチンのテーマソングです!
●本日はこれにて!
東京スカイツリーの内部がいよいよ公開されました。
●書店に行くと、スカイツリー目当ての東京下町ガイドが平積みになっております。




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東京下町おさんぽマップ (ブルーガイド・ムック)/著者不明

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東京下町案内 (エイムック 2068)/著者不明

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●スカイツリーは東武伊勢崎線押上駅です。
●この東武伊勢崎線、都民にもなじみの薄い電車です。
●そして下町ガイドには載らない私娼窟のたまり場がいまだに残る街です。
●そこで、帝都のダークサイド、赤線の街をワタクシが紹介します。

曳船「鳩の街」


昭和3年に作られた当時のままの日本でも珍しい商店街です。
●商店街の裏手には、旧遊郭跡が散見散見されます。
●実際に行って見るとわかりますが、リアル三丁目の夕日です。
●本当に昔ながらの佇まいを残してます。

●散歩の途中で、こぐまカフェで休憩しましょう。




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●旧遊郭の外見的特徴は
①エンタシス(円柱)がある。
②カラフルなタイル張り
③外壁がカーブしている。

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です。
●スカイツリー見学の後は、旧遊郭探しはいかがですか?

東向島「玉の井」



●小説家・永井荷風「墨東奇談」の舞台になった町です。



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●今、日本で一番、ストレス抱えているのは野田ドジョウ総理ではなく、芦田愛菜ちゃんだと思う。

ドキドキこんちゃーす

まずは一曲





●I once had a girl, or should I say, she once had me...

She showed me her room, isn't it good, norwegian wood.

She asked me to stay and she told me to sit anywhere.

So I looked around and I noticed there wasn't a chair.

I sat on a rug, biding my time, drinking her wine.

We talked until two and then she said, "It's time for bed"

She told me she worked in the morning and started to laugh.

I told her I didn't and crawled off to sleep in the bath.

And when I awoke, I was alone, this bird had flown.

So I lit a fire, isn't it good, norwegian wood.

●私はかつて彼女と付き合っていた、、彼女はかつて私とつき合っていた...

彼女はわたしに部屋を見せた。部屋の家具はよくない。ノルウェーの木材ではない、。

彼女はここにいるかと、私に尋ねた、彼女はどこに座ってもいいと、私に言った。

だから私は周りを見回した、私は椅子がないに気づいた。

私は彼女のワインを飲んで、私の時間は敷物に座っていた。

我々は2時まで話し、その後、彼女は"睡眠時間だ"と述べた

彼女は午前中で仕事をして笑ったと、私に言った。

私はお風呂でゆっくり出来なかったと、彼女に言った。

私が目覚めた時、私は一人でいた。鳥が飛んでいた。

わたしは、あまり出来のよくないノルウェーの木材ではない家具に、火をつけた。

●要するに、女の家に泊まって、朝起きたら、安物の家具を燃やした…というとんでもない男の話です。

●一応、異論が出ないように、英日両方の文章を掲載します。
●が、ノルウェイの森は意図的にしても誤訳も誤訳、どう考えてもノルウェイの家具です。
●もちろんビートルズ案件なんで、暴露本満載なんで。この歌はジョン・レノンと当時の奥さんのレズビアンのシンシアとの醒めた結婚生活を歌った内容だそうです。
●まあ、この後、オノ・ヨーコと結婚して、ポールが激攻して、ビートルズは解散してしまうのですが。
●しかし。もし。あれをノルウェイの家具だとしたら、日本を代表する作家が生まれていなかったかもしれません。

●タイトル作だけではなく、納屋を焼くという初期短編の傑作にも重要な示唆を与えているのは間違いありません。
●ノルウエイの森の舞台は目白…つまりワタクシのハンドルネームの近衛町の由来の町です。
●村上春樹は目白三丁目の和敬塾という学生寮にいました。小説に出てくる桜とか、ほとんど村上春樹が実体験した実話です。


●映画は映画です。観てませんが。

Haruki Murakami: How a Japanese writer conquered the world


●という興味深い記事がBBCニュースで見つけました。
●ほぼ、全文掲載します。

来週、アメリカでロンドンの真夜中および同時に、書店は、熱望しているファンに村上春樹の最新の小説を売るためにそれらのドアを開けるでしょう。
これはハリー・ポッターではありません。それは日本語からの1,600ページの翻訳です。

村上春樹の新しい本(1Q84)が中へリリースされた時、日本、2年前に、単に1日で売り切られた印刷部数の中でほとんど-国の最大の書店(紀伊国屋)は、毎分1冊以上を売りました。
100万のコピーが最初の月に入りました。
フランスでは、出版者は8月に70,000部を印刷しましたが、一週間で再版しなければなりませんでした。
本は、既にオンライン書店amazon.comのトップ20のリストに載っています


"
彼はこれらの東洋通期待を通り抜けた最初の日本人著者でした。読者は彼を日本人著者ととらえることをやめました。

小説は出版を促進するために2人の英国の翻訳者によって作用されました。
1,600ページで、本(それは英国で2部で出版されるだろう)は、軽く得ることができません。
その2人の主役、男性小説家および女性の連続殺人魔、平行宇宙に存在するが、それらの世界間に小説風として互いをそのなりに捜している。
古典的ムラカミ・テーマは、新しい小説にここにあります-愛および孤独、選択肢および超現実的な世界、不可解なキャラクター、および平気に見えるが、感激によって撹拌される人々
初めてではなく、問題は自由意志と新興宗教について提起されます。
彼は完全に異なります」とダンPryce(ロンドン中心部中のウォーター・ストーンズの書店の販売職員のメンバー)が言います。
「私は、彼が何が起こっているか実際に説明しない方法が好きです、彼はプロットを示し、それらをち流れさせます。
さらに、実際の解決はありません。それは読者をもっと望ませておきます。
「彼は専念を励起します。
彼はルーチン、およびそれがどのように死ぬほど彼を退屈させるかに引き続き取り掛かります。
彼は完全なです。彼は実際に奇妙です。」

現在まで、ムラカミの仕事は、韓国からオーストラリア、イタリア、ドイツおよび中国へ42言語に翻訳されており、世界中でベストセラーのリストに現われました。
本記を読み続けます。


しかし、小説の英国の翻訳者、ハーバード教授ジェイ・ルービンのうちの1人によれば、日本のフィクションは、西洋において伝統的にポピュラーではありません
戦後の小説家三島由紀夫はこの規模で広い称賛を得ました。
村上は彼の5番めの本、ノルウェーの森で1987年に日本で文学の主流を打ちました。
ビートルズの歌にちなんで命名されて、それは、京都の郊外の丘陵の療養所に住んでいる若い人々のグループに関するノスタルジアのラブストーリーでした。
それは日本だけで400万を超える部数を売って、若い日本人の間のカルト古典になりました。

「ノルウェー森はまあ完全に現実的小説を書くための実験でした」とアリゾナ大学(IQ84に取り組んだ別の翻訳者)のフィリップ・ガブリエルが言います。
彼の初期・後の作品を特徴づける超現実的な変人を回避したのは営利上、気にかけられた小説でした。
ピカデリーのウォーター・ストーンズの書店は、新しい小説の買い手を歓迎します。
初期の小説は、日本人批評家によってよく受け取られませんでした。
「彼は、既成文壇が驚かせており当惑するスタイルで書きました」とガブリエルが言います。
日本の文学的伝統に対する彼の軽蔑、彼の会話の文体および西洋の文化への一定の言及は、日本の文学的慣習に対する攻撃と見なされていました。
軽量のポップ才能として彼に最初にブランドを付けられたノーベル賞受賞者大江健三郎のような作家。
しかし、フィリップ・ガブリエルがそれを置くとともに:
「彼の初期の作品は、彼の世代の精神を捕らえます。それはポスト学生運動時代の倦怠です。」

●村上春樹の言葉
何人かの人々は、文学がハイ・カルチャーで、それが単に小さな読者数を持っているべきである、と考えます。
私はそう思いません...私は、テレビ、マガジン、映画およびビデオゲームを含む大衆文化と競争しなければなりません。

- タイム誌、2002
私にとって、小説を書くことが夢を見ることに似ています。
私がまだ目が覚めている間、小説を書くことは私を故意に夢見させます。
私は今日昨日の夢を継続することができます、日常生活の中で通常することができないこと。
私が小説を書く場合は常に、音楽、単なる種類、当然忍び込む(非常に猫のように、行う、私は推測します)。
私は、朝早く4時起きます。また、私は机、および私が行うことで座ります、単に夢です。
3時間あるいは4時間の後、それは十分です。
午後に、私は走ります。

- サンフランシスコ・クロニクル、2008

私の文体は、めったに日本語のキャラクターに依存しません。
したがって、私は、翻訳の過程で失われるものは比較的ほとんどではないと思います-

ジャパン・タイムズ、2008年
ムラカミの本は日本、孤独の彼の主題、退屈およびロスでセットされますが、読者のための重要性をどんな場所でも持ってください。
「あなたは、社会、だが人間の脳の見方のためのムラカミに行きません」
とジェイ・ルービンが言います。
アンナZielinska-エリオット(ムラカミのポーランド翻訳者(ボストン大学))は、ノルウェーの森のポーランドの読者と言います「ある種の日本の神話」を、だが速く捜して、始められた、異なる方法で彼の真価を認め始めました。
「あなたが初期の数年で彼の作品の調査のタイトルを見れば、いくらかは桜の花および他の日本のステレオタイプの、および徐々にそれらが消える時以上のいくつかの言及をしています。
「彼は、読者が持っているこれらの東洋通期待を通り抜けた最初の日本人著者でした。
それらは彼を日本人著者ととらえることをやめました。」
村上は、ノルウェーの森を英語(2000年にのみ現われる十分な翻訳)に翻訳する困難を持っていました。
しかし、彼の本は米国だけで今250万部を売りました。
仮想隠者
日本では、ムラカミは、それが開始した前に、IQ84の詳細のうちのどれもリリースしない広告戦略、明らかなのは、タイトルおよび公開日だけでした。
しかし、ファンは、ムラカミ・フェースブック・ページについての1章をリリースするように出版者に促して、インターネットにしばらくの間自分の英訳版をポストしています。




彼はインタビューにほとんど応じません。
6月に、福島核災害の結果として、彼は原子力に反対を唱えました。また、言葉は日本のメディアの中で広く報告されました。

世界の状態に関する彼の見解を通信するための彼の主流は、彼の本のままです。
彼の最後の長時間番組小説(海辺のカフカ)は6年前に米国で30,000冊の本の印刷部数でリリースされました。
1Q84の最初の印刷部数は95,000です。
フィリップ・ガブリエルは、彼を現代の作家(本当にグローバル化された世界と話をする人)と考えます。
「いくつかの小説は国家の共有される文化で結ばれすぎるので、容易に翻訳の中で評価することができない。村上はほとんど例外です。」

●とてつもない量が海外で売れている。
●評価の軸というのが、一種の隠者小説として読まれているらしい。
●先日、自身のブログ、分断する大阪で、と摂津文化河内文化について論じたが、村上春樹は芦屋生まれの摂津人だ。
●摂津人の隠者文学といえば、上田秋成、近松門左衛門…そして、川端康成
●朝日新聞とNHKの選挙活動で受賞した大江健三郎を除くと、摂津の文学者はレベルが高い。
●東京生まれの摂津人、谷崎潤一郎も生前は毎年、候補だった。
村上のパンチライン「やれやれ」は実は「ぼちぼち」に似てます。

●数学者・藤原正彦「中世からノーベル賞があったら日本は百回取ってます」と豪語したが、そうならば、そのうちの80回は上方文学が占めているだろう。
●また、藤原氏が尊敬する数学者の実家を訪ねたら、そのインドの小さな村にノーベル賞学者が3人も出身だったことを書いている。
●村上春樹が受賞したら、それと同じ現象かもしれない。
もし、村上が受賞すれば、阪神地方はノーベル文学賞多発地帯としてNASAが調べに来るはずだ(笑)


●村上春樹はストックホルム(ノーベル賞授賞式場のある都市)にいけるのか?


●毎年、この時期に話題になるが、今年の文学賞はスェーデンの詩人だった。
●まあ、ワタクシは知りませんが、年齢的には功労賞でしょうか。
「日本にノーベル賞が来る理由」の著者、伊東乾「今年のノーベル賞の裏テーマは女性だ」と発言しました。
理由はキュリー婦人の女性初受賞からちょうど100年だからだそうです。
●そう考えると、ノーベル平和賞も昨年のリュウ.ギョウハや、一昨年のオバマが典型例だが、政治的プロパガンダの側面がある。
●そう考えると、村上もアジア枠としてライバルは中国の莫言だろう。

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スウェーデンと中国はガチガチで喧嘩してますから、政治的には村上春樹の受賞というのは十分にありえます。
●ただ、孔子平和賞も一年で終わりました。
腹黒い中南海(中国共産党本部)のことですから、とりあえず、ヨーロッパの価値観に恭順したふりなのかも知れません。
●ということは、村上に文学賞を与える必要も下がります。
●もう十分、お灸は据えて、しかも、効果があったという話ですから。

そんな政治的な忖度はさておき、現在の世界文学市場において、村上春樹がトップオブザワールドなのかを検証します
●現在の現役作家でノーベル賞候補はイギリスではイアン・マキューアンカズオ・イシグロではないかと思う。




●アメリカではトマス・ピンチョンコーマック・マッカーシーか?

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●…それでは今日はこの辺で。
●お別れの一曲は村上の大好きなBEACHBOYSのKOKOMOです。