コリアン・ヌーベルバーグとは何か
○かつて1960年代にヌーベルバーグという映画運動があった。
○フランスを中心に発生した映画の新潮流である。
○特徴は
①戦前のフランス映画の批判
②即行演出や、ロケ撮影
③オーソドックスなモンタージュ撮影から逸脱した、ジャンプカットや、手持ちカメラでの撮影
④アメリカB級映画の再評価
…元々は「カイエデュシネマ」という映画批評雑誌のライター達が一斉にカメラを手にとって街に出たのがきっかけだ。
ゴダール、トリュフォー、レネ、ロメール、マルなどの名監督を輩出した。
○これと並ぶとも劣らないヌーベルバーグが韓国で起こっている。

●ゼロ年代の韓国映画
○韓国映画が世界の映画祭を賑わすようになったのはここ10年である。
○「オールドボーイ」「シークレットサンシャイン」「オアシス」「うつせみ」「渇き」が世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)で受賞している。

○これら傑作が輩出したのにはいくつかの原因がある
①国策
韓国政府は1984年に国立映画アカデミーを開校した。ここから著名監督が輩出している。
②民主化
韓国映画の質が向上したのは民主化が影響している。1988年から、大統領選挙が行われ、表現の自由が浸透した。日本の音楽や映画が正式に解禁されたのはここ10年である。
③386世代の台頭
386世代とは90年代に30代で、80年代に学生運動を経験した60年代生まれの韓国人を指す。実際、韓国映画四天王と呼ばれる監督たちもこの世代に当てはまる。これは学生運動を経由して、政治問題を映画のテーマに持ち込んだ、日本の松竹ヌーベルバーグの大島渚、吉田喜重らにも当てはまる。彼らは以前の映画監督と違って高学歴のインテリが多く、それゆえの教養の深さや、問題意識も高い。

●386映画はここから始まった・イ・チャンドン
○典型的なコリアン・ヌーベルバーグ映画はイ・チャンドンの「ペパーミントキャンディー」である。


○ストーリーはIMFショックで混乱する現代韓国を基点に、経済的にも、家庭的にも破綻し、自殺した主人公が過去を振り返るという構成を取っている。
ソル・ギョング演じる主人公の回想の基点は80年の光州事件。これは全斗換の軍事政権に対して起こった学生運動で、200人が射殺された。主人公は当時、軍隊で国民を弾圧した側で、そのときのトラウマを持つ。
○その後、刑事となった主人公は組合運動家を拷問したり、転落人生を歩むことになる。
○韓国には兵役製があり、兵役制の存在が、386世代にも禍根を残している。
○イ・チャンドンは1960年生まれの386世代の代表的監督だ。
○ペパーミントキャンディーはヌーベルバーグにおける「勝手にしやがれ」といえるマイルストーン的な作品だ。

○次作「オアシス」では韓国社会の病巣である、身体障害者差別を取り扱った。
○社会不適応者(こちらもソル・ギョング)と脳性麻痺(ムン・ソリ)の恋愛を描いた本作は世界中のどこにも扱えないテーマを深く掘り下げたコリアンヌーベルバーグ代表作といえる。
○韓国に障害者差別禁止法が制定されたのはこの映画から4年後だ。

○次作の「シークレットサンシャイン」は韓国社会の特徴でもあるキリスト教がテーマだ。


○韓国ではカソリック、プロテスタントを足すと、人口の三分の一がキリスト教徒である。東アジア最大のキリスト大国である。
○しかし、イ・チャンドンはこのキリスト教の制度的欠点の核心に迫る。
チョン・ドヨン(本作でカンヌ映画祭主演女優賞)演じる主人公は夫と死別し、一人息子と地方都市・密陽で二人暮らし。
○ある日、息子が誘拐され、殺される。
○犯人は地元の青年。
○心のよりどころを失った主人公は、いつかキリスト教会にたどり着く。
○信仰に心の平安を見出した主人公は、牧師に進められ、犯人に面会に行く。
○すると、犯人も改宗して、「自分は神に許された」と心の平穏を得たいたのだ。
○犯人の様子を見た主人公は絶望し、キリスト教の集会を妨害するようになる…
○イ・チャンドンは韓国社会に深く浸透するキリスト教の欺瞞性を鮮やかに抉り出す。
○信仰を内面的問題として、戒律や律法のないキリスト教世界では凶悪犯でも神に赦されることは可能なのだ。
○世界的に見ても希なキリスト教批判映画の傑作である。
○かつてはパゾリーニの「ソドムの市」や「テオレマ」、最近ではラース・フォン・トリアの「アンチクライスト」など、ヨーロッパではキリスト教批判作品はあるが、これらと比べても遜色がない…というより、むしろ凌駕している世界的傑作である。

○最新作の「ポエトリー」でも、密陽の中学生集団暴行事件をテーマにした作品で、韓国社会に問題定義をし続けている。



●ペニンシュラ(半島)のドストエフスキー・キム・ギドク
○そのイ・チャンドンと同い年、しかも同じ村出身なのがキム・ギドクだ。
○しかし、イ・チャンドンとは逆に貧困で中卒。
○これが、キム・ギドクの作家性の下支えになっている。

○出世作「受取人不明」はギドクの少年時代を描いている。


○1970年の地方村落が舞台。
○米軍の基地があり、住民は複雑な感情を持っている。
○主人公は三人の男女。
○一人は朝鮮戦争の落とし子。母を韓国人、父を在韓米兵にもつ黒人とのハーフ。帰国した夫に手紙を送り続けるが、いつもADRESS UNNKNOWN(受取人不明)である。進学できずに、犬肉の売買の手伝いをしている。
○畑の脇の米軍バスで生活する路上生活者で、母は精神に異常をきたしている。
○一人は朝鮮戦争の負傷兵を父に持つ。進学できず、画廊でバイト生活をしている。中卒後、画家を目指したギドク自身が投影されている。
○もう一人は、幼少時に事故で片目に障害を持つ少女。
○物語はこの三人と、米兵が絡み、悲劇へと展開していく。
○同じく国内に米軍基地を抱える日本と比較すると、この映画のレベルの高さに驚く。
○邦画は戦後65年をもってしても、基地を通してアメリカをここまで強烈に、描いた作品を持ちえてない。
○沖縄を舞台にした映画はあるが、基地問題にここまで踏み込んだ作品は一作もない。
○今村昌平が監督した「豚と軍艦」は横須賀の基地を舞台にした作品があるが、ギドクが企図した複雑さ、深遠さには及ばない。

○もう一本、自らの軍隊経験を映画化した「コーストガード」も傑作だ。


○北朝鮮の海上進出を警護する、湾岸警備隊駐在する漁村が舞台。
チャン・ドンゴン演じる上等兵が地元のカップルを誤射する。
○このことがきっかけで上等兵は精神に異常をきたしていく。
○また、誤射され死んだ男の彼女(ムン・ソリ)もまた、狂って、湾岸警備隊の男達とセックスしまくり、挙句の果てに妊娠する。
○軍隊は事態を隠蔽しようとして、女性に強引に堕胎手術を施す。
○最後は発狂した上等兵がソウルで、市民を刺殺し、射殺される。
○兵役制を外から描いたのが「ペパーミントキャンディー」なら、内側から描いたのがこの「コーストガード」だ。
○翻って軍隊の恐怖を描いた作品では「兵隊やくざ」「フルメタルジャケット」「プラトーン」など多数あるが、ここまでリアルに描いた作品はない。

○一方、ギドクは韓国の現代風俗にも鋭い切れ味を見せる。
「絶対の愛」は韓国社会特有の整形がテーマだ。

○主人公の女性は、ふと、自分が彼氏(ハ・ジョンウ)に愛されているのか、不安になり、整形を施術する。その新しい顔で、別人として彼氏の前に登場する…
○この後、二人の関係は二転三転して、二人は自分探し地獄に陥る。
○人間のアイデンティティを扱った作品として世界的に有名なのはジョセフ・ロージーの「パリの日は遠く」「暗殺者のメロディ」だ。
○前者は同姓同名の人物(原題はミスター・クライン)と間違われ、ユダヤ人だと疑われる。アラン・ドロン演じるクラインはもう一人のクラインを探すために、アウシュビッツ行きの列車に乗るところ映画は終わる。
○後者はトロツキーを暗殺した歴史上の人物だ。こちらも主人公はアラン・ドロン。ソ連から送り込まれた暗殺者は政治取引で、鉄のカーテンの向こう側に消えていく。
○「絶対の愛」は映画史上でも貴重なアイデンティティの喪失と崩壊をテーマにした傑作である。

○他にも売春と愛の盲執の狂気を描いた「悪い男」や援助交際とその父親の愛をテーマにした「サマリア」など、多作でもある。
○しかし、2008年の「リアルフィクション」からスランプに陥り、3年の沈黙を経て「アリラン」という自身の隠遁生活を撮影したドキュメンタリーで復活後、最新作の「アーメン」が公開された。

○ギドクのテーマは上記の作品に見られるようにアイデンティティと愛の絶対性の探求にある。
○自己(アイデンティティ)と他者(愛)の狭間を揺れ動く作家性は映画作家での類似ではラース・フォントリアが挙げられるが、むしろロシアの文豪・ドストエフスキーに近い。ギドク作品が常にヨーロッパの映画祭で評価されているのも、こうした点にある。
○むしろ、上記のラース・フォン・トリアや、ミハエル・ハネケなど、ヨーロッパの巨匠が袋小路化する中で、ギドクのストレートな人間探求の迫力は特筆に値する。
帝政崩壊、農地解放、社会主義の波及など、混乱を極める19世紀後半のロシアと、民主制の導入、東西分裂、グローバル経済などで同じく、混乱が続く、現代の韓国社会とは共通点が見られる。

●恨流バイオレンス・パク・チャヌク
○先行する両巨匠に継ぐ三人目の巨匠が同じく386世代のパク・チャヌク。
○現在、世界を席巻する韓流バイオレンスというジャンルがある。
○このジャンルを確立したのがパク・チャヌクの復讐三部作にあるのは間違いない。

「復讐者に哀れみを」


○生まれつき話すことも聞くこともできない障害を持つ青年リュ(シン・ハギュン)。友だちもいなくひどく内気な彼は、両親を失った後、大学進学をあきらめて自分の面倒をみてくれた姉を、心から愛し、感謝している。
○そして、自分とはちがって自信たっぷりに生きている恋人ヨンミ(ペ・ドゥナ)ができ、リュは人生で初めて幸せを感じる。しかし、姉は長い間腎臓を患い、移植を受けないと危険な状態にあった。リュは自分の片方の腎臓を姉に提供したいと願うけれど、検査の結果は不適合。
○さらに、姉の看病のために欠勤したことが響いて、勤務先の工場から解雇されてしまう。退職金はわずか1千万ウォン(7千ドル)
○その後も災難は続く。臓器取引の闇組織を訪れるが、1千万ウォンを奪われたうえに、麻酔から目が覚めると、なんと自分の腎臓を摘出されていた。そんなとき、病院から姉の移植にドナーが現れたと知らされるが、もう金はない。「革命的無政府主義者同盟」のメンバーである過激派のヨンミは、金持ちの子供を誘拐して身代金をとることを持ちかける。
○「正しい理由のための誘拐なら、犯罪じゃないわ」とささやいて…。身代金を無事に手にし、あとは子供を親に帰すだけ。だがリュの姉は、自分のために弟が犯罪を犯したことを知ってしまい、自責の念に駆られて自殺してしまった。だが、偶発的な事故で子供まで溺れて死んでしまい、リュは全世界を敵に回す…。電気技師から工場経営者の地位まで上り詰めた、努力の男ドンジン(ソン・ガンホ)。美しい妻との間には、かわいい娘がひとり。
○だが、家庭を顧みない夫のもとを妻は去り、工場の経営は暗礁に乗り上げていた。彼に残されたのは、ひとり娘のユソンだけだ。そのユソンがある日、何者かに誘拐されてしまう。
○彼に送られてきたのは、人形を抱いた娘の写真。
○悩みぬいたドンジンは犯人からの指示通り警察に通報するのをやめ、身代金を用意する。しかし、その翌日、ユソンは湖で溺死体となって発見される。最愛の娘の冷たくなった体を前に、犯人への復讐を誓うドンジン。
○一方で、姉を失ったリュも臓器密売組織への復讐を決意する。こうして終わりのない復讐とその悲劇は幕を開けるのだった。
●抜き差しならない偶然や、悪意の積み重ねが全てを滅ぼす悲劇へと発展する映画と言えば、わが国では山下耕作の「博打打 総長賭博」に代表されるやくざ映画が有名だが、パク作品に義理や人情はなく、恨という感情の暴発の連鎖反応と血まみれの画面で構成される。
○いわゆるギリシャ悲劇やシェイスクピア演劇に見られる普遍性とは程遠く、あくまでも朝鮮文化の通低音が奏でられる。
○ほとんどの外国人が朝鮮の恨文化を映画を通して知ることになる。

「オールドボーイ」


1988年のある日、平凡なサラリーマンのオ・デス(チェ・ミンシク)は、気がつくと狭い私設監禁部屋にいた。
○理由が全く分からない彼だったが、ある日テレビのニュースで、妻が惨殺されたことを知る。しかも容疑者は自分。半狂乱に陥りつつも、監禁部屋で肉体を鍛え、テレビで情報収集しているうちに、15年が経過し、ついに解放された。
丸街に出たデスは、謎の敵に復讐を誓いつつ、鮨屋の板前の若い女性ミド(カン・ヘジョン)と知り合う。彼女の協力を得たデスは、監禁部屋のあるビルを捜し出す。デスは管理人パク(オ・ダルス)を拷問し、自分を監禁するように依頼した男の録音テープを手に入れた。
○そしてついに、長身の謎の男(ユ・ジテ)と対面する。男はデスに、監禁の謎が解けたら自分が死ぬ、解けなければデスとミドを殺すという死のゲームを持ちかけた。
○期限は残り5日。そんな夜、デスとミドは初めて結ばれる。必死に回答を出そうとするデスは、やがて謎の男が、自分の高校の後輩イ・ウジンであることに気づく。
○ウジンは高校時代、実の姉であるイ・スア(ユン・スギョン)と愛し合い、肉体関係を持った。
○二人の逢瀬を目撃したデスによって悪い噂が広がり、ウジンの姉は橋の上から身を投げたのだった。愛する姉を助けられなかったウジンは、それからずっとデスへの復讐に燃えていたのだった。そしてデスは、実はミドが自分の娘であることをウジンから知らされる。
○実の娘と愛し合ったことにデスはショックを受け、自ら舌を切断してウジンに許しを乞う。
○デスへの復讐を終えたウジンは自殺した。冬、すべてが終わったあと、デスはミドと再会を果たすのだった。
●本作は原作は日本の漫画だ。
○原作はユ・ジテが学校で空気のような存在であったことが犯行動機であったが、パクは大幅に改編した。
○それは儒教社会である韓国では犬にも劣る近親相姦という原罪にテーマ設定を換えている。ここらあたり、我々、日本人には辟易する部分であるが、逆にこういうえげつなさがコリアンヌーベルバーグの長所だ。

「親切なクムジャさん」




サンタクロースの衣装を着た聖歌隊と伝道師が、“親切なクムジャさん”と呼ばれている女性を待っている。刑務所から出所した女たちは、待ち構えていた家族と抱き合ったり、「心を白くして二度と刑務所に戻らないように」豆腐を食べている。
○そんな中を、冬だというのに水玉のワンピース姿の女性が無表情で歩いてくる。
○イ・クムジャ(イ・ヨンエ)。20歳のときに「ウォンモ君誘拐事件」の犯人として逮捕され、その美貌と残忍な手口により世間を騒然とさせた女だ。
○13年の刑期を終えた彼女は、逮捕された時と同じワンピースを着て出てきたのだった。刑務所にいた時からクムジャを支援してきた伝道師(キム・ビョンオク)が差し出した豆腐の皿を、彼女は片手でひっくり返し、「余計なお世話です」とぴしゃりと言って、立ち去っていく。
○刑務所の中で、クムジャは、他の囚人にいじめられた新入りの代わりに復讐を施したり、老いた元北朝鮮スパイの世話をして、この世の天使のように崇められ、“親切なクムジャさん”と呼ばれるようになったのだった。
○その顔からは光が放たれていたという。だが、出所した彼女からは、刑務所にいたときの聖母のような微笑みは消えていた。3年前から心に決めていた作戦を、開始する時が来たのだ。
○クムジャはまず、ソウルに出てウォンモ君の両親を訪ね、その目の前で自分の指を切断し、許しを請う。それから、刑務所でケーキ作りを教えてくれたチャン氏(オ・ダルス)のケーキ店“ナルセ”で働き始める。
○刑務所時代、クムジャは粗末な材料で極上のケーキを作り上げ、チャン氏を絶句させたのだった。そして、先に出所していた囚人仲間たちを訪ねる。
○みんな彼女に恩義を感じていて、彼女の頼みなら何でも聞いてくれるのだった。クムジャは18歳の時に妊娠し、教育実習に来ていたペク先生(チェ・ミンシク)に助けを求めた。
○そのペク先生は、身代金目当てにウォンモ君を誘拐して殺した上、クムジャが罪をかぶって自首しなければ幼い娘を殺すと脅したのだった。
○そして彼女が刑務所に入ると、ペク先生は娘をオーストラリアに養子に出してしまった。今、彼女は養子斡旋所から書類を盗み、娘の居所を突き止めてオーストラリアに飛ぶ。
○元ヒッピーの養父母に溺愛され、ジェニー(クォン・イェヨン)は13歳に成長していた。ジェニーはどうしてもクムジャさんと一緒にソウルに行きたいと言い張り、2人は一緒にソウルに戻ってくる。
○ペク先生は子供相手の英会話塾の教師になっていたことを、先に出所したスギョンが探しあて、その塾に就職したソンウンが、彼が車を買い替えることを聞きつけ、美貌の自動車販売員イジョンがペク先生を訪ねて、結婚したのだった。
○だが、あの伝道師がクムジャを尾行し、イジョンと一緒にいる写真を撮り、ペク先生にその情報を売り渡す。
マル彼は男2人を雇い、クムジャとジェニーを夜道で襲わせるが、クムジャは冷静に対処して男たちをやっつける。イジョンはペク先生にさんざん暴力をふるわれたが、クムジャが彼らの家に踏み込み、ついにペク先生を拉致する。
○そして、ペク先生を乗せた車が雪深い山奥の廃校に到着する“親切なクムジャさん”の本領発揮は、そこからが始まりだった。

○これら三部作に共通する復讐心を韓国ではの文化と呼ぶ。
○恨の文化は負の連鎖を誘い、何時しか悲劇へと繋がる。
○韓国映画の特徴の一つにサッドエンディングがある。
○サッドエンディングとは、さびしい結末ではあるが、観客はそこから何がしかの学びを得ることが出来るという啓蒙的結末のことだ。
娯楽的カタルシスを誘うハリウッド式ハッピーエンドとは違う芸術性の高さもコリアンヌーベルバーグの特徴である。
○先ほど、ギリシャ悲劇やシェイクスピアとは違う残虐性を持つと書いたが、一部のギリシャ悲劇やシェイクスピア作品には復讐三部作に近い作品がある。
○エウリピデスの「メディア」は夫の浮気に逆上し、わが子を惨殺する。
○シャエイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」は復讐のため、娘を犯され、手足を切断し、木の枝を挿される。さらに敵に自分の息子を食べさせる…まさにパク的な世界観だ。
○では、なぜ、復讐三部作が傑作なのか?
○それは哲学者ニーチェが指摘する「深淵をのぞく者は、深淵からのぞき返される」という箴言に代表される哲学的境地にまで到達しているからだ。
○単なる殺し合いの連鎖なら、ハリウッドのB級ホラーにいくらでもある。
○殺し合いの連鎖の傑作と言えば深作欣二の「仁義なき戦い」が有名だが、こちらは喜劇として描かれている。
○これらの実録やくざ映画と韓流バイオレンスを比較してみるのも面白い。

○これらの作品群を恨流バイオレンスと定義する。
○ポスト・パク・チャヌクの若手の監督は次々と恨流バイオレンスムービーの傑作を生み出す。
●イ・ジョンボム「アジョシ」


ウォンビン主演の韓流「グラントリノ」もしくは「シェ-ン」。最近では「ドライブ」と近似性が高い。
○一連の高倉健のやくざ映画と比較しても遜色ない傑作。
ナ・ホンジン「チェイサー」「哀しき獣」




○ポスト四天王の一番手として評価が高い。そのあまりなノンストップアクションはハリウッドを越えている。
チャン・チョルス「ビーデビル」


○儒教社会・韓国に根深く救う女性差別をテーマにした恨流バイオレンス。
ヤン・イクチュン「息もできない」


○私財を投げ打って製作したデビュー作が驚愕のクォリティで、評論家の度肝を抜いた傑作。
○監督自身が主演して、ソウルの貧民街の青春を描く。
○青春映画としても歴史的傑作だ。

キム・ジウン「悪魔を見た」


○ウォンビンとチェ・ミンシクが殺しあう恨流バイオレンスの集大成。

○…など、今やコリアンムービーと言えば、この恨流バイオレンスが、事実上のメインストリームとして世界を席巻している。

●ウリとナムの間・ポン・ジュノ
○386世代の次世代の巨匠としてすでに評価の高い監督がポン・ジュノだ。
○出世作「殺人の追憶」はコリアン・ヌーベルバーグの代表作のみならず、ゼロ年代の世界的傑作だ。


○1980年代にソウル近郊で起きた未解決連続殺人事件を扱ったクライムサスペンスだ。
○ジュノはこの現実に起きた事件を通して韓国社会の問題点を浮かび上がらせる。
○主人公はソン・ガンホ演じる地元の刑事と、ソウルから来たエリート刑事。
○民主化して間がない地方警察は、軍事政権時代の暗黒捜査の残滓を残す。
○それに対抗するか科学的捜査に重点を置くエリート刑事。
○この二人の刑事を描くことによって、ジュノは土着と近代の相反する文明を抱合する現代韓国の矛盾を浮かび上がらせる。
○ジュノは韓国のスピルバーグと言われるが、ジュノの映画的テクニックはハリウッド映画だ。
○そのスマートなテクニックを駆使して描くのが、朝鮮文化の根幹とも言えるウリとナム問題だ。
○朝鮮思想史家の古田博史が指摘しているが、朝鮮人はウリ(仲間)とナム(それ以外)という明確な人間関係を持つ。
○本作も様々なウリとナムを奏でている。
○例えば土着の村民がソウルのエリートに対しての排他的態度。
○容疑者に対する土着県警のウリ的態度。
○そうした中、土着と近代、ウリとナムが錯綜し、捜査は混迷を極める。
○同じような原因で矛盾を抱え続ける現代韓国社会の写し絵として描かれる本作はペパーミントキャンディとならぶ重要作である。
○次作の「グエムル」でも同じくウリとナムがジュノのテーマだ。




○今回のウリは家族、ナムは漢江に現れた怪物だが、この怪物は米軍が放出した化学薬品が原因だ。
○ゴジラと同じタイプのモンスターパニック映画であるが、ジュノが主張したいのはその背景にあるアメリカというナムである。

○その次の「母なる証明」でのウリは息子、そしてナムは社会であり、法律…つまり近代社会そのものだ。


○息子が殺人事件の容疑者として逮捕され、母は法律を踏み越えてまで、ウリを守ろうとする。
○法律を踏み越えるどころか、殺人、放火、犯人隠匿と凶悪犯罪を重ねる母。
○過失致死を犯すウォンビン演じる、知恵遅れ気味の息子。
○ジュノは社会や、法律という市民的義務がウリである母にとっては単なるナム(外界、他人事)に過ぎない朝鮮人の精神を的確に描いている。
○エンターテインメントの技術を駆使し、韓国社会のエッセンスを描き続けるジュノはいつでも新作が待ち遠しい名匠だ。

●ポスト四天王
○これら四天王に影響を受けて新しい才能が次々と作品を発表している。
○上記のイ・ジョンボム「アジョシ」
○ナ・ホンジン「チェイサー」「哀しき獣」
○チャン・チョルス「ビーデビル」
○ヤン・イクチュン「息もできない」
○キム・ジウン「悪魔を見た」
などのほかにも

「クロッシング」キム・テギョン
●北朝鮮の悲惨さと脱北を描いた社会作。


「ハウスメイド」イム・サンスン
●ヌーベルバーグ以前の韓国映画の古典「下女」のリメイク。



「友へ・チング」クァク・キョンテク
●韓国版「ガキ帝国」もしくは「ワンスアポンアタイムインアメリカ」



「生き残るための三つの取引」リュ・スンワン
●ハードボイルド汚職刑事アクション





「冬の小鳥」ウニー・ルコント
●養子大国・韓国の実態を自ら養子で海外に移籍した監督のドラマ。



など、人口4000万人で、これほど層が厚いのは驚愕に値する。

●現在では資金不足や、興行収入の低下で、彼らが定期的に新作を製作できるわけではない。
ただ、韓国映画は漸進を続けるであろう。
元々、韓国は中国、ロシア、日本という大国に囲まれて、常に蹂躙され続けてきた。

○したがって、韓国映画が暴力的なのではなく、地勢環境が暴力を顕在化させているとビーデビルのチャン・チョルス監督は語る。

○さらに、世界で唯一の分断国家
38度戦を挟む同胞は世界最後の左翼独裁国家である。
○現在も北朝鮮とは休戦条約ではなく一時停戦状態でしかない。
○それにともなう国民皆兵制度の重さ。
○コリアンヌーベルバーグは暴力描写のみならず、観る者に痛みを強いる映画ばかりだ。
○回廊国家として現在もその痛みを背負い続ける韓国映画が世界に発信している最大のメッセージは「痛みを知れ!」だということは間違いない。