●ザ・マンザイ放送記念ということで、マンザイの過去・現在・未来について考察します。




①プレモダン・万歳時代~漫才は被差別民族が発祥
漫才の発祥と言われる萬歳(まんざい)は、平安時代から始まった芸能で、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌舞である。2人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、1人片方が打つ鼓に合わせてもう1人が舞う。江戸時代には、全国各地でその地名を冠した尾張万歳、三河万歳、その後、大和万歳などが興り、歌舞のみでなく言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味を増し発展していった。しかし、第二次世界大戦後にはほとんど行われなくなった。今では保存会などが復興・継承している(Wikipedia)。

②モダン・漫才時代~万歳から漫才へ
●漫才はしゃべくりに特化することによって、人気を確立した。大正末期には、吉本興業の芸人である横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが、万才を会話だけの話芸「しゃべくり漫才」として成立させ、絶大な人気を博した(同上)。
●エンタツ・アチャコ以降、漫才は急速に普及し、他のスター漫才師も生みだした。東京ではエンタツ・アチャコと懇意にしていた柳家金語楼が触発されて、一門の梧楼と緑朗に高座で掛け合いを演じさせ、これが今日の東京漫才の祖とされるリーガル千太・万吉に繋がった。一方、砂川捨丸・中村春代や東京の松鶴家千代若・千代菊など、お囃子を取り入れた古典的なスタイルを崩さなかった漫才師もいた。(同上)。
●1970年代においても、上方では中田カウス・ボタンコメディNo.1、レツゴー三匹などが台頭して新たな笑いを築いていったが、東京はコントに笑いの主流が移ってしまい停滞気味になっていった。1980年には、関西テレビの番組『花王名人劇場』や、フジテレビの番組『THE MANZAI』から漫才ブームが起こり、横山やすし・西川きよし、B&B、ザ・ぼんち、星セント・ルイス、ツービート、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人などの中堅や若手漫才師が人気を集めた。彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い(同上)。
●モダン漫才の歴史はBPNの進化問題である。
●BPMとは音楽用語で、BEAT PER MINITSという意味で、一分間に何泊うつかという意味です。
●要は、一分間で、ギャグを何個詰め込めるか合戦になった。
●エンタツアチャコから、飛躍的にGPM=GAG PER MINITSを高めたのが、やすしきよしである。
●やすきよのGPMを誰が超えるのか、というのが、THE MANZAIブームの基底音だろう。
●そこに登場したのが、ツービート、紳助竜助だ。
●この時代、GPMチャンピオンがB&;Bだ。
●当時の漫才を見ると、もはや客が笑うのが、間に合わないスピードである。
●こうやって、漫才は一つのピークを迎える。

③ポストモダン・MANZAI時代~HIPHOP化するしゃべくり
●現在のMANNZAIは、
①やすきよのGPMを競うオールドスクール漫才
②ダウンタウン系の脱しゃべくり漫才
③東京系のコント漫才

に大まかに分類される。

①オールドスクール(天丼漫才)
br class="codelinebreak"コントのようなストーリー展開にならないオーソドックスな漫才。正統派漫才とも言われる。コントに入ってもコンビの片方のみが役に入りきる場合や、同じシチュエーションを繰り返すこと=天丼が多い。当てはまるのは中川家、ますだおかだ、タカアンドトシ、品川庄司、スピードワゴンなど。ザ・MANZAIのナイツもその系統だ。

②脱しゃべくり
●先のオールドスクールスタイルを脱構築するスタイル 。しゃべくり漫才における、暗黙の了解を否定して、笑いを産む。
●先駆者であるダウンタウンが、新人時代、故・横山やすしに「お前ら、ぼそぼそ喋るな! 下向くな! お前らのは漫才とちゃう。チンピラの立ち話じゃ!」ときれられた松本が「チンピラの立ち話がおもろかったら、客は聞いてくれますわ」ときれ返したという伝説がある。
●脱しゃべくり漫才は以降、細分化されていく。
●典型的な脱しゃべくりを紹介しよう。

①ノリツッコミ
即座にツッコミを入れず、ツッコミ役がボケを更に広げた後にツッコミを入れる「ノリツッコミ」と呼ばれるものも存在するが、これは実質的にツッコミが笑いを誘う役割を担うため、本来のツッコミとは異なる。

②Wボケ・Wツッコミ
ボケとツッコミの基本形式を破壊するスタイル。
典型例は、M-1第一回目で衝撃の全国デビューをした笑い飯

③スロー漫才
やすきよ、ツービートなど、速射砲のごとくテンポアップするのが、モダン漫才としたら、わざとテンポを遅くして、笑いを生むスタイル。
その例はM-1で一躍メジャーになった、スリムクラブ;。おぎやはぎもこのジャンルに入る。

④妄想&暴走漫才
ボケ担当が被害妄想(ブラマヨ・吉田)、エロ妄想(チュートリアル・徳井)を膨らまして、暴走するスタイル。
両者は2007、2008で連続優勝した。

⑤不条理漫才
ボケと突っ込みの会話がかみ合わないスタイル。2009で優勝したNONSTYLE=オールドスクール漫才系、高速GPMで勝負=を押しのけ、ブレイクしたオードリーが典型。
実際、ノンスタよりも売れたのは、漫才が常に進化を求められていることの証明でもある。
この時期、GPMで勝負したキングコングがことごとく、敗退したのも、0年代は高速GPMの時代の終焉を象徴している。彼らは時代を読み違えたのだ。

⑥ノリボケ漫才
ノリツッコミの進化系。ボケのほうが自分で自分のボケにツッコミを入れるスタイル。
ハライチの澤部が確立した。

③コント漫才
●かつての関西漫才は、俄(にわか)というショーコントスタイルの演芸が流行した。
その後、ショートコント要素を排除して、しゃべくり漫才を完成させた。
最近、漫才の技術をベースにしつつもボケ、ツッコミ共に役になりきりストーリー展開になるコントのような漫才が復活している。
いわば漫才ルネッサンスともいえるのが、このコント漫才だ。漫才のネタをコントとして使用する場合もある。
アンタッチャブル、フットボールアワー、トータルテンボス、サンドウィッチマン、麒麟など。

④漫才の未来

結局、今日の漫才を作ったのは吉本興業と言える。
ただし、留意したいのは、吉本興業はお笑い文化を育てたと言うわけではない。
むしろ、単なる金儲けの道具としてしか見なしていない。
戦後、漫才師たちは、相方の戦死・病死・消息不明などに見舞われる。
吉本興業は映画会社へ転身を図り、ほとんどの専属芸人を解雇した;。
それ以外にも、平成元年には吉本新喜劇の重鎮を一斉解雇した。
当時のスター、岡八郎や室屋信男、木村進が出演機会を失い、失意のうちに悶死した岡八郎を筆頭に世間から消えていった。
そもそも、吉本興業の立役者でもある、関西落語界のカリスマ、桂春談冶を破滅させた過去がある。
今日のテレビ局の吉本の支配力は、音楽事務所のバーニングやジャニーズと並ぶ圧力団体と化している。
昨今の、東京における劇場の乱立ぶりもこの会社の志の低さを感じさせる。
ブームに便乗して、芸人の粗製濫造がひどく、結果的には今期の劇場興業は赤字転落したそうだ。
●故・立川談志は現代落語論をこう締めくくっている「落語はこのままでは能・狂言になる」
●しかし、漫才は古典芸能にすらなりえない。
●かつての名作、エンタツ・アチャコの早慶戦をオールドスクール系では最も巧いと思われるナイツが今日、演じてもおもしろくないのだ。
●落語で言うと古典落語・芝浜は現在でも、立川談春が、東京国際フォーラムのチケットがソールドアウトできるほどの集客力がある。
●漫才は、パソコンのソフトウェアや、スマートフォンのアプリと同じで、最新のものだけが価値がある=面白いのだ。
●今日のお笑いブームも静かに終焉を迎えている。
●全国ネットでネタ番組は今年、全て終了した。
●吉本興業ほどの政治力があれば、ネタ番組を維持管理することは可能なはずだ。
●最後に、スイスの時計メーカー・ジャガー・ルクルトの会長がプレゼンで使う言葉で締めくくりたい。
「開発か、もしくは死か」