●お悔やみ申し上げます。
●・・・今更、偉大な落語家のことをワタクシごときが云々行っても仕方がありません。
●たまたま、談志師匠が亡くなられた翌日、とある映画を観ました。
●「鬼の詩」という映画です。
●原作は藤本義一。明治末期に活躍した桂米喬という落語家をモデルにした小説です。
●談志師匠もよく、落語の狂気を語っていたが、この米喬という男は狂人そのものといってもいい落語家です。
●かつて上方落語界を席巻した狂気の落語家について、一席お話を申し上げますので、しばし、お付き合いください。
●以下。wikipediaから抜粋
2代目 桂 米喬(2だいめ かつら べいきょう、1860年 - 1904年5月25日)は、落語家(上方噺家)。本名: 井上新二郎(辮次郎、辮二郎とも)。享年45。
古物商から噺家になったという。
初め、初代桂文我門下で文蝶を名乗る。1885年、2代桂文團治(後の7代目桂文治)門下に移り、初代桂米紫を経て、1892年に2代目桂米喬を襲名。1886年中頃には正鶴を名乗ったこともあるらしい。
21歳の時、天然痘に罹り、あばた面であったため「鰐皮」とあだ名された。十八番は『鋳掛屋(いかけ屋)』だったが、噺が終わると立ち上がり、三下がりの『逢いたさ』を踊り、ぶら下がっている電球を舐めるなど、そのおかしさは抜群だったらしい。
初代桂春團治が芸の目標としたほどの爆笑派で一時3代目米喬の襲名をもくろんでいたが実現しなかった。
三友派内の人気者であったが、死去の前日に3軒の寄席を掛け持ちし、「辻八掛」「崇禅寺馬場」「小倉船」を演じたのが最後で、その翌日、脳溢血で若くして亡くなった。
藤本義一の直木賞受賞作『鬼の詩』の主人公「桂馬喬」のモデルともなった。
米喬はふざけた芸風であったが、自己にも他者にも、芸に対する態度は非常に厳しかった。それを恨んだ初代桂春團治(当時は我都)ら前座の数人が帰りの俥を待ち伏せし、棍棒を持って襲い掛かった所、俥に乗っていたのは、米喬と同じ末広橋西詰の路次に住んでいた初代文の家かしく(後の2代目桂文之助)であった。かしくがその事を米喬に話した所、翌日、我都らを呼び寄せて曰く、お前たちが怒ったのがうれしい、もっともっと怒らせてやるから、殴りはせずに、俺以上の人気者となって、俺を蹴落として仇を討て、と。このことを感謝し、肝に銘じた春團治は、それから精進したが、その高座は全て米喬の呼吸そのままだったという。
●初代・春団治と言えば、江戸落語の三遊亭円朝とならぶ、上方落語のカリスマです。
●そのカリスマにカリスマ視されているから、いかにすごい芸人かが分かると思います。
●映画の中では米喬→馬喬が天然痘の顔にキセルをぶら下げるというなんともグロテスクな芸を披露する。
●さらに客の要望に応じて、馬糞を食ったり、巫女姿で舞台に立ったり、まさに狂気の芸風と言える。
●映画の中では顔にキセルを付けたまま死んでいきますが、実際の米喬は余りもの売れっ子ぶりに、三亭を掛け持ち中に死んでしまいます。
●馬喬を演じた桂福団治は現役の落語家です。
●師匠は三代目春団治。
●惣領弟子ですから四代目春団治を襲名するかもしれません。
●上本町の繁盛亭で舞台に立ってますから、関西圏のかたはご覧になってみってください。
●興味がある方はTUTAYAの大型店に行って探してみてください。
