●東京に出てきて、20年以上にります。
●ワタクシは神戸出身です。
●東京と関西をほぼ同じくらいの長さに生きています。
●長年の体験で、自信をもって言えるのだが、関東圏の住民から見ると、京都も、大阪も、神戸もひとまとめに関西人なのだ。
●我々、神戸人から見ると甚だ迷惑な話ではあるが(笑い)
●しかし、関東圏で流布している関西人のイメージは大阪…ということになっているのだが、大阪自体が二重文化圏であることを、知られていない。
●その二つあるうちの一方の大阪人のイメージを最初に全国に広めたのは小説とそれを原作にした、映画である。
●その世界観は、けして井原西鶴や、吉本興業ではありません((笑)
●ましてや、てなもんや三度笠でもございません。あれは時代劇ですから。
●時代は昭和30年代。小説の原作者は今東光。
●今東光こそが二つあるうちのひとつの大阪文化の紹介者なのである。
●今東光は天台宗の高僧であるとともに、著名な小説家である。
●生まれは横浜であるが、僧侶として、河内に赴任する。
●そこで得た体験をもとにして小説化したのが、一連の河内ものである。
●代表作は「悪名」
●勝新太郎主演で16作製作された、大ヒットシリーズだ。
●話はしごく単純で、八尾に住む朝吉という百姓の倅が、盆踊りでセックスして喧嘩するという…たわいもないお話です。
●この物語では、昭和初年度の河内文化が豊かに語られています。
●闘鶏、盆踊り、遊郭、ヤクザなどなど…
●また、今作品では「こつまなんきん」という作品がある。
●
●これは典型的な河内美人のことを指す。
●具体的な身体的特徴は背が低く、グラマラスな女性…
●今の描く、こつまなんきんは、セックス大好きでバイタリティあふれる。
●男は飲む打つ買う、女は生命力の固まり…これが今が全国区に祭り上げた大坂人像である。
●しかし、これは大阪のある一面を紹介しているに過ぎない。
●明治維新以前は大阪は二つの藩に分かれていた。
●摂津国と河内国である。
●摂津は、阪神間、河内はJR天王寺を北点として、門真、東大阪、藤井寺、八尾、守口、枚方を含む地域である。
●今東光が紹介したのは河内文化なのである。
●関西人が下品で、ガサツ、厚かましい…イメージが付いたのは今東光のせいなのだ(笑)。
●ワタクシが小学校の時、「河内のおっさんのうた」という歌謡曲が大ヒットした。
●それに対してケチで計算高い大阪人というイメージもある。これは摂津文化である。
●摂津文化とは何か?
●摂津文化の源流は船場文化にある。
●船場文化とは何か?
●ずばり谷崎潤一郎である。
●谷崎の代表作、細雪は船場の商家の四姉妹の物語である。
●小説の中では、関西の四季折々の催事を織り込みながら、上流生活が描かれる。
●この四姉妹は「こつまなんきん」に出てくるがさつなオンナはいません。
●今がえがいた時代と、谷崎が描いた時代はほぼ同時代。戦前の大阪なのである。
●洗練と野蛮、摂津と河内。二つの大阪の距離は電車で20分(笑)。
●…ちなみに、今は若い時、谷崎の書生をしていたというから笑える。
●実は、今もそうだが、谷崎も関東人…しかも、江戸ッ子も江戸ッ子、日本橋の商家出身なのだ。
●大阪の最大の紹介者が二人揃って、関東人というのも笑えます。
●谷崎の描く船場文化とは?
●船場文化の女性は細雪に書かれたとおりだが…
●近年の小谷野敦の谷崎伝によれば、細雪はほぼ実話であるそうだ。
●谷崎が放蕩のあげく、松子夫人と結ばれたのは、文学史に有名な話であるが(興味のある方は松本清張の「昭和史発掘」をお読みください)、細雪は松子の実家のお話です。
●谷崎が描く船場文化の男性像は「悪名」とは正反対。
●遊びずき(これは朝吉と同じ)であるが、意志薄弱、生活力に乏しいオタク(主に、ファッションやグルメが多い)…
●これを大阪では「ぼんち」と呼びます。
●そのままズバリの漫才コンビがいましたが、同名小説があります。
●山崎豊子「ぼんち」は上記の船場の商家に生まれ、戦争で身上を潰して、滅びゆく船場商人を描ききった傑作です。
●今日では「沈まね太陽」「大地の子」で知られる山崎氏ですが、彼女も元々は船場生まれです。
●「ぼんち」は山崎氏のデビュー作です。
●映画で市川雷蔵が名演を披露してます。
●文芸評論家の福田和也氏は山崎の最高傑作は「ぼんち」と断言しています。
●「華麗なる一族」も「白い巨塔」も舞台は関西。両作とも、摂津文化が根底描かれています。
●ぼんちと言えば、織田作之助の「夫婦善哉」も船場文化を描いた傑作です。
●こちらも森繁久彌の名演が歴史に残ります。
●これは織田作之助の実姉夫婦の実話で、当時は裁判沙汰になったノンフィクションです。
●織田作之助…通称、オダサクは「源氏も西鶴も秋成も近松も文学は昔から大阪のもんや」と豪語しました。
●大阪と言っても市内の話ですが、ここにも分断する二つの文化があります。
●いわゆるキタ・ミナミ文化です。
●こらは「大阪学」で有名な大谷晃一氏の説です。
●キタは武士文化…近松門左衛門(この人は元々、武士でした)
●ミナミは商人文化…井原西鶴
●という分かりやすい色分けをしていますが、盛り場がキタとミナミに二極集中するようになったのは戦後です。
●戦前は高麗橋を中心とした船場や、河内文化の拠点である天王寺界隈のほが中心でした。
●船場…現在の住所で言うと本町や、当時の蔵屋敷は中之島…つまりキタとミナミの中間点にあるので、大谷氏の分析には無理があります。
●特にキタなんていうのは梅田を中心としたビジネス街として、戦後、小林一三の都市計画のターミナルシティとして急速に発展した新興都市です。。
●キタに文化らしいものがあるとすれば、近松門左衛門の「曽根崎心中」ですが、戯曲を読むと分かるのですが、当時の曽根崎は結構な田舎=郊外として描かれています。
●また、近松作品はキタを舞台にした作品はこれだけで、ミナミを舞台にした作品も多数残しているので、キタの作家というには無理があります。
●心中天の網島は京橋、女殺し油の地獄は天満。近松作品の掛る劇場の竹本座はナンバ・戎橋=通称ナンパ橋のそばにありました。
●戦後の日本料理を席巻した三ツ星料亭「吉兆」本店もキタでもミナミでもない、その中間点の高麗橋が発祥です。
●…ちなみに、吉兆の創始者かつ、和食界のスティーブ・ジョブズこと湯木貞一は大阪人でありません。
●湯木の実家は花隈(神戸にある旧城下町。現在は廃墟です)にある料理料亭の跡取り息子でした。湯木は当時の古臭い料亭料理に我慢ならず、実家を飛び出して、当時、まだ、船場文化の香りが残る大阪で、カウンター割烹を出店しました。
●現在、銀座に限らず、日本中の繁華街に見られるカウンター割烹のスタンダードを作ったのがこの湯木です。
●ミナミの代表的作家と考えられる井原西鶴ですが、彼の実家がどこにあるのか実はわかっていません。
●代表作「好色一代男」の世の助がキタの商家なのかミナミの商家なのも実はわからないのです。
●しかし、西鶴が所属した談林(俳句グループ)の拠点は天満宮で場所はキタにありますので、ミナミ限定の文化人とは言えないでしょう。
●ここで仮に、キタ、ミナミ双方に共通する、摂津人を河内人とは対象的な憂鬱な大阪人と定義します。。
●摂津一体に蔓延する、大阪人は繊細で、臆病な気質があります。
●その代表は川端康成や、上田秋成です。
●「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な日本情緒を代表する作家が天神橋生まれであることを忘れてはいけません。
●また、リリカルな文体で熱狂的ファンの多い梶井基次郎土佐堀生まれです。
●文学者だから繊細だろうという反論も成り立ちますが、やはり摂津と河内では作風でも隔たりがあります。
●現在、河内文化を代表する作家に中場利一がいます。
●岸和田少年愚連隊だ有名です。
●この大河小説は映画化されて有名ですが、作者自身が書いてますが、基本的に実話がベースです。
●小説最高のキャラクターで、スピンオフ映画で竹内力が快演してシリーズ化されたカオルちゃんは実在の人物です。
●今の八尾の朝吉もモデルがいたでしょうが。
●岸和田まで行くと、河内とは言えませんが、本家・河内地方よりも、色濃く河内文化が残っています。
●河内文化のキモである酒と博打と祭りと喧嘩が色濃く残っています。
●また、岸和田にはリアル八尾の朝吉…清原和博もいます。
●今や「だんじり」は全国区のお祭りとして有名です。
●岸和田はこのだんじりを中心に廻っています。
●その姿は、同じくお祭りを中心にセックス、喧嘩が起こり、地域の社会性の基盤である、昭和初期の河内の愚連隊の姿を彷彿とさせます。
●だんじりは河内・摂津地方に見られるお祭りですが(神輿を担いでスピードを競います)、摂津地方~吹田市、尼崎氏、芦屋市~辺りで今日も行われていますが、さして話題にならない(笑)。
●人の死なない祭りは祭りではありません。
●祭りとセックスと喧嘩と死はセットなのです。
●阪神工業地帯という近代化と船場文化というブルジョア文化…さらには寺内町から発展した仏教文化を縫合した摂津文化は洗練されすぎていて、だんじりという日本古来の祭事を漂白してしまいました。
●小説家の五木寛之氏が指摘するように、元々、大阪は浄土真宗の石山本願寺を中心医に街が発達した歴史があります、
●キタトミナミを繋ぐ幹線道路、御堂筋は元々、北御堂と南御堂という寺院を繋ぐ、門前通りでした。戦争で燃えてしまい、現在は存在しませんが、もともと大阪市はキタもミナミも宗教都市として発展し、船場商人の商売道も、仏教と深く関わりがあることを、大阪を代表する作家・藤本義一も指摘してます。
●それとは別に、河内国というのは古大阪です。
●古墳時代の河内は現在の内陸部がほとんど、水面下に覆われ、住吉大社辺りは当時は海岸沿いでした。
●河内地方は当時から渡来人に占拠された地域で、仁徳天皇や、崇神天皇などのいわゆる河内王朝が発生した地域で、往時を偲ばせる巨大古墳を現在でも散見できます。
●演芸評論家の武智鉄二は現在の歌舞伎の荒事の源流が河内地方にあるという興味深い指摘をしています。
●河内地方の民間芸能が大阪の中心で上演され、その荒くれぶりを取り込んだのが、初代團十郎だそうです。
●武智は現在では、イロモノ扱いを受けてますが、関西歌舞伎を一人で支えた男として、関西歌舞伎会では一目置かれています。
●当代の坂田藤十郎も武智に私淑した一人です。
●そういった意味では河内文化というのは、勝新太郎~市川海老蔵~清原和博といういかにも日本人語のみののアウトロー像を古代から、現代に至るまで提供し続けた、日本文化の重要なリソースのひとつです。
●仏教伝来以前の原日本文化を色濃く残す、その河内文化が最近注目されています。
●先のだんじりもそうですが、最近は河内文化の北限、天王寺や、ジャンジャン横丁は大阪のガイドマップの巻頭を飾るようになりました。
●一昔前なら、ジャンジャン横丁のショップマップなんかありえませんでしたが、最近はカップルのデートコースに組み込まれています。
●天王寺駅前も再開発され、ショッピングモールのQ’sコートがオープンし、近鉄百貨店もリニューアルし、2014年には地上300mのメガ百貨店に生まれ変わるそうです。
●ワタクシは神戸出身です。
●東京と関西をほぼ同じくらいの長さに生きています。
●長年の体験で、自信をもって言えるのだが、関東圏の住民から見ると、京都も、大阪も、神戸もひとまとめに関西人なのだ。
●我々、神戸人から見ると甚だ迷惑な話ではあるが(笑い)
●しかし、関東圏で流布している関西人のイメージは大阪…ということになっているのだが、大阪自体が二重文化圏であることを、知られていない。
●その二つあるうちの一方の大阪人のイメージを最初に全国に広めたのは小説とそれを原作にした、映画である。
●その世界観は、けして井原西鶴や、吉本興業ではありません((笑)
●ましてや、てなもんや三度笠でもございません。あれは時代劇ですから。
●時代は昭和30年代。小説の原作者は今東光。
●今東光こそが二つあるうちのひとつの大阪文化の紹介者なのである。
●今東光は天台宗の高僧であるとともに、著名な小説家である。
●生まれは横浜であるが、僧侶として、河内に赴任する。
●そこで得た体験をもとにして小説化したのが、一連の河内ものである。
●代表作は「悪名」
●勝新太郎主演で16作製作された、大ヒットシリーズだ。
●話はしごく単純で、八尾に住む朝吉という百姓の倅が、盆踊りでセックスして喧嘩するという…たわいもないお話です。
●この物語では、昭和初年度の河内文化が豊かに語られています。
●闘鶏、盆踊り、遊郭、ヤクザなどなど…
●また、今作品では「こつまなんきん」という作品がある。
●
●これは典型的な河内美人のことを指す。
●具体的な身体的特徴は背が低く、グラマラスな女性…
●今の描く、こつまなんきんは、セックス大好きでバイタリティあふれる。
●男は飲む打つ買う、女は生命力の固まり…これが今が全国区に祭り上げた大坂人像である。
●しかし、これは大阪のある一面を紹介しているに過ぎない。
●明治維新以前は大阪は二つの藩に分かれていた。
●摂津国と河内国である。
●摂津は、阪神間、河内はJR天王寺を北点として、門真、東大阪、藤井寺、八尾、守口、枚方を含む地域である。
●今東光が紹介したのは河内文化なのである。
●関西人が下品で、ガサツ、厚かましい…イメージが付いたのは今東光のせいなのだ(笑)。
●ワタクシが小学校の時、「河内のおっさんのうた」という歌謡曲が大ヒットした。
●それに対してケチで計算高い大阪人というイメージもある。これは摂津文化である。
●摂津文化とは何か?
●摂津文化の源流は船場文化にある。
●船場文化とは何か?
●ずばり谷崎潤一郎である。
●谷崎の代表作、細雪は船場の商家の四姉妹の物語である。
●小説の中では、関西の四季折々の催事を織り込みながら、上流生活が描かれる。
●この四姉妹は「こつまなんきん」に出てくるがさつなオンナはいません。
●今がえがいた時代と、谷崎が描いた時代はほぼ同時代。戦前の大阪なのである。
●洗練と野蛮、摂津と河内。二つの大阪の距離は電車で20分(笑)。
●…ちなみに、今は若い時、谷崎の書生をしていたというから笑える。
●実は、今もそうだが、谷崎も関東人…しかも、江戸ッ子も江戸ッ子、日本橋の商家出身なのだ。
●大阪の最大の紹介者が二人揃って、関東人というのも笑えます。
●谷崎の描く船場文化とは?
●船場文化の女性は細雪に書かれたとおりだが…
●近年の小谷野敦の谷崎伝によれば、細雪はほぼ実話であるそうだ。
●谷崎が放蕩のあげく、松子夫人と結ばれたのは、文学史に有名な話であるが(興味のある方は松本清張の「昭和史発掘」をお読みください)、細雪は松子の実家のお話です。
●谷崎が描く船場文化の男性像は「悪名」とは正反対。
●遊びずき(これは朝吉と同じ)であるが、意志薄弱、生活力に乏しいオタク(主に、ファッションやグルメが多い)…
●これを大阪では「ぼんち」と呼びます。
●そのままズバリの漫才コンビがいましたが、同名小説があります。
●山崎豊子「ぼんち」は上記の船場の商家に生まれ、戦争で身上を潰して、滅びゆく船場商人を描ききった傑作です。
●今日では「沈まね太陽」「大地の子」で知られる山崎氏ですが、彼女も元々は船場生まれです。
●「ぼんち」は山崎氏のデビュー作です。
●映画で市川雷蔵が名演を披露してます。
●文芸評論家の福田和也氏は山崎の最高傑作は「ぼんち」と断言しています。
●「華麗なる一族」も「白い巨塔」も舞台は関西。両作とも、摂津文化が根底描かれています。
●ぼんちと言えば、織田作之助の「夫婦善哉」も船場文化を描いた傑作です。
●こちらも森繁久彌の名演が歴史に残ります。
●これは織田作之助の実姉夫婦の実話で、当時は裁判沙汰になったノンフィクションです。
●織田作之助…通称、オダサクは「源氏も西鶴も秋成も近松も文学は昔から大阪のもんや」と豪語しました。
●大阪と言っても市内の話ですが、ここにも分断する二つの文化があります。
●いわゆるキタ・ミナミ文化です。
●こらは「大阪学」で有名な大谷晃一氏の説です。
●キタは武士文化…近松門左衛門(この人は元々、武士でした)
●ミナミは商人文化…井原西鶴
●という分かりやすい色分けをしていますが、盛り場がキタとミナミに二極集中するようになったのは戦後です。
●戦前は高麗橋を中心とした船場や、河内文化の拠点である天王寺界隈のほが中心でした。
●船場…現在の住所で言うと本町や、当時の蔵屋敷は中之島…つまりキタとミナミの中間点にあるので、大谷氏の分析には無理があります。
●特にキタなんていうのは梅田を中心としたビジネス街として、戦後、小林一三の都市計画のターミナルシティとして急速に発展した新興都市です。。
●キタに文化らしいものがあるとすれば、近松門左衛門の「曽根崎心中」ですが、戯曲を読むと分かるのですが、当時の曽根崎は結構な田舎=郊外として描かれています。
●また、近松作品はキタを舞台にした作品はこれだけで、ミナミを舞台にした作品も多数残しているので、キタの作家というには無理があります。
●心中天の網島は京橋、女殺し油の地獄は天満。近松作品の掛る劇場の竹本座はナンバ・戎橋=通称ナンパ橋のそばにありました。
●戦後の日本料理を席巻した三ツ星料亭「吉兆」本店もキタでもミナミでもない、その中間点の高麗橋が発祥です。
●…ちなみに、吉兆の創始者かつ、和食界のスティーブ・ジョブズこと湯木貞一は大阪人でありません。
●湯木の実家は花隈(神戸にある旧城下町。現在は廃墟です)にある料理料亭の跡取り息子でした。湯木は当時の古臭い料亭料理に我慢ならず、実家を飛び出して、当時、まだ、船場文化の香りが残る大阪で、カウンター割烹を出店しました。
●現在、銀座に限らず、日本中の繁華街に見られるカウンター割烹のスタンダードを作ったのがこの湯木です。
●ミナミの代表的作家と考えられる井原西鶴ですが、彼の実家がどこにあるのか実はわかっていません。
●代表作「好色一代男」の世の助がキタの商家なのかミナミの商家なのも実はわからないのです。
●しかし、西鶴が所属した談林(俳句グループ)の拠点は天満宮で場所はキタにありますので、ミナミ限定の文化人とは言えないでしょう。
●ここで仮に、キタ、ミナミ双方に共通する、摂津人を河内人とは対象的な憂鬱な大阪人と定義します。。
●摂津一体に蔓延する、大阪人は繊細で、臆病な気質があります。
●その代表は川端康成や、上田秋成です。
●「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な日本情緒を代表する作家が天神橋生まれであることを忘れてはいけません。
●また、リリカルな文体で熱狂的ファンの多い梶井基次郎土佐堀生まれです。
●文学者だから繊細だろうという反論も成り立ちますが、やはり摂津と河内では作風でも隔たりがあります。
●現在、河内文化を代表する作家に中場利一がいます。
●岸和田少年愚連隊だ有名です。
●この大河小説は映画化されて有名ですが、作者自身が書いてますが、基本的に実話がベースです。
●小説最高のキャラクターで、スピンオフ映画で竹内力が快演してシリーズ化されたカオルちゃんは実在の人物です。
●今の八尾の朝吉もモデルがいたでしょうが。
●岸和田まで行くと、河内とは言えませんが、本家・河内地方よりも、色濃く河内文化が残っています。
●河内文化のキモである酒と博打と祭りと喧嘩が色濃く残っています。
●また、岸和田にはリアル八尾の朝吉…清原和博もいます。
●今や「だんじり」は全国区のお祭りとして有名です。
●岸和田はこのだんじりを中心に廻っています。
●その姿は、同じくお祭りを中心にセックス、喧嘩が起こり、地域の社会性の基盤である、昭和初期の河内の愚連隊の姿を彷彿とさせます。
●だんじりは河内・摂津地方に見られるお祭りですが(神輿を担いでスピードを競います)、摂津地方~吹田市、尼崎氏、芦屋市~辺りで今日も行われていますが、さして話題にならない(笑)。
●人の死なない祭りは祭りではありません。
●祭りとセックスと喧嘩と死はセットなのです。
●阪神工業地帯という近代化と船場文化というブルジョア文化…さらには寺内町から発展した仏教文化を縫合した摂津文化は洗練されすぎていて、だんじりという日本古来の祭事を漂白してしまいました。
●小説家の五木寛之氏が指摘するように、元々、大阪は浄土真宗の石山本願寺を中心医に街が発達した歴史があります、
●キタトミナミを繋ぐ幹線道路、御堂筋は元々、北御堂と南御堂という寺院を繋ぐ、門前通りでした。戦争で燃えてしまい、現在は存在しませんが、もともと大阪市はキタもミナミも宗教都市として発展し、船場商人の商売道も、仏教と深く関わりがあることを、大阪を代表する作家・藤本義一も指摘してます。
●それとは別に、河内国というのは古大阪です。
●古墳時代の河内は現在の内陸部がほとんど、水面下に覆われ、住吉大社辺りは当時は海岸沿いでした。
●河内地方は当時から渡来人に占拠された地域で、仁徳天皇や、崇神天皇などのいわゆる河内王朝が発生した地域で、往時を偲ばせる巨大古墳を現在でも散見できます。
●演芸評論家の武智鉄二は現在の歌舞伎の荒事の源流が河内地方にあるという興味深い指摘をしています。
●河内地方の民間芸能が大阪の中心で上演され、その荒くれぶりを取り込んだのが、初代團十郎だそうです。
●武智は現在では、イロモノ扱いを受けてますが、関西歌舞伎を一人で支えた男として、関西歌舞伎会では一目置かれています。
●当代の坂田藤十郎も武智に私淑した一人です。
●そういった意味では河内文化というのは、勝新太郎~市川海老蔵~清原和博といういかにも日本人語のみののアウトロー像を古代から、現代に至るまで提供し続けた、日本文化の重要なリソースのひとつです。
●仏教伝来以前の原日本文化を色濃く残す、その河内文化が最近注目されています。
●先のだんじりもそうですが、最近は河内文化の北限、天王寺や、ジャンジャン横丁は大阪のガイドマップの巻頭を飾るようになりました。
●一昔前なら、ジャンジャン横丁のショップマップなんかありえませんでしたが、最近はカップルのデートコースに組み込まれています。
●天王寺駅前も再開発され、ショッピングモールのQ’sコートがオープンし、近鉄百貨店もリニューアルし、2014年には地上300mのメガ百貨店に生まれ変わるそうです。