13日に行われた麻雀最強戦2020で、多井隆晴プロが優勝しました。

 

麻雀最強戦は、ほぼ1年間をかけて行われる麻雀界最大規模のタイトル戦です。12月13日がその決勝戦でした。多井プロ、強かった。

 

強かったと言っても、誰にも出来ないと思えるような天才的な一打を繰り出したりとか、派手さが光ったりとか、そういうのではないんです。どちらかと言えば泥臭く、ひたすらに地味。但し正着。正着の一打をコツコツと繰り返していた感じ。もっと端的に言えば、ただひたすらにミスが無い。一人だけ。これって、すごいことだと思いませんか。何をミスと呼んで何をミスとしないのかは見ている人の基準次第ですけれど、俺の目からはそのように映りました。

 

以前、俺はある人に自分の麻雀スタイルを聞かれて、多井プロに近いと言ったことがあります。でもそれは、多井プロに近い実力があるという意味ではありません。自分の麻雀が最高に高まった時、或いは目指すものが、多井プロの麻雀にあるというような意味です。今はまだというか、いまだ下手の極みの真ん中に立っているので、多井プロの麻雀と比べるべくもありませんが。多井プロと比べるような発言をしたこと自体が、思い返すと恥ずかしいですが。

 

そんな俺でも、小さなオンライン麻雀の世界の中で「最強」と呼ばれていた頃がありました。多井プロが優勝した瞬間、俺の中に沸いた率直な思いは「ますます苦しくなりそう」でした。それは俺が最強と呼ばれていたとき、とにかく苦しかった思い出があるからです。最強って、それを目指している時が楽しいんであって、なってしまったら苦しい場所だと感じていました。多井さんは元々既に最強と呼ばれる立場にあるところから更に最強を揺るぎないものにするようなタイトルを獲得したので、俺だったら苦しくて全然嬉しくないわと思ってしまったのです。なので俺はその頃も、誰かに最強と呼ばれるたびに違いますといちいち否定していました。まあ実際、俺の場合は弱いのに最強と呼ばれていると感じていたので、そのギャップの分だけ余計苦しかったのかもしれませんが。ただ、最強という言葉で俺の道の先を閉ざすなという思いは強くありました。

 

 

最強ってたぶん、自分の中でどこまで突き詰められるかという戦いなんだと思います。俺は心のどこかで、最強と呼ばれることに満足しちゃってる部分もあったんだろうなあ。満足しちゃうと後は守るだけになるから苦しい。最近「闘龍」という、オンライン麻雀としては場末に位置するソフトでしか遊んでいないのは、一番の理由は知った人もいなくて気楽だからです。今は麻雀は勝ち負けというよりも癒しとしてあればいい感じ。きっと、小さな栄冠に満足したり負けることに恐れを成さずにずっと足を止めない人だけが、本当の最強への道を歩んでゆけるんでしょうね。