先日、ピグ麻雀で2000戦打ったよという記事を書きました。

 

【2000戦結果】

 

1位:667回

2位:584回

3位:454回

4位:295回

得点:686万点

 

最終結果だけ見れば常に勝っていそうな好成績ではありますが、この先も勝てる保証なんてどこにもありませんし、100連敗が待っていないとも限りません。実際に短いスパン、例えば50戦単位で抜き取ってみると

 

1位:13回

2位:13回

3位:13回

4位:11回

 

という凡庸な成績の期間もありますし、100戦という単位でみても1位25回という平凡な結果の時期もあります。

 

俺は麻雀に「流れ」があるとは考えていませんが、「偏り」はあると思っていて、それは1局1局の手牌の偏りはもちろん、先に示したように50戦100戦という単位でも成績の波があるのですから、1戦なんていう単位ではどうあがいても勝てない半荘というものが当然のように存在すると思っています。

 

麻雀は一手番毎に最大14種類の打牌選択肢があり、鳴きやリーチといった動きも含めればその選択肢はさらに広がります。なので、自分なりの打ち方で勝てなかったからといってそれが必ず勝てなかった半荘とは言い切れませんが、あの時普段とは全く違うトリッキーな選択をしてみていれば勝てたかもしれないなというような考察は、俺の場合は基本しません。自分の中での正解が不明瞭になり長期的にみてデメリットのほうが大きいと思うからです。

 

ただし、対局の中で自分らしくない選択をしていなかったかどうかという考察はします。加えて、選択に迷った場面をクローズアップして、その選択がほんとに正しかったのか、また対局中に用いた根拠は本当に正しかったのか、を考えます。

 

根拠を検証するというのは、例えば七対子のイーシャンテンでは鳴かないほうがお得という一応のセオリーがあったりしますが、実際には鳴いたほうがお得な形というものも存在すると思っています。それを一様に七対子のイーシャンテンでは鳴かないものだと決めつけていては、正解率の精度が下がります。

 

或いはセオリーそのものが怪しい場合もあります。昨今は麻雀も統計学で語られることが多く、数値で示されるといかにもそれが正しいように思えてしまいますが、実際にはデータの抽出、解釈が怪しいものも少なくありません。

 

今年発売されたとある麻雀統計学の戦術書には「開局で2千点アガったときのトップ率は30%!すごく高い!麻雀の絶対正解!」という言葉が表紙に大きく載せられています。本の中身まで読んでいないので間違っているとは言いませんが、ではこの表紙の言葉そのままを鵜呑みにしてセオリー化して良いかと言われれば、それは少々荒っぽいように思います。東1局で2千点アガってトップ率が30%になるのなら、東2局で2千点アガっても、東3局で2千点アガってもその結果だけを統計的にまとめれば、トップ率30%近い数値が抽出されると思います。またそれならば逆に、東1局でノーテンだとトップ率は20%なんてデータも解析すれば出そうですよね。東2局、東3局でノーテンでも同様でしょう。

 

何が言いたいのかといえば、「開局で2千点アガったときのトップ率は30%!」を鵜呑みにして、そのデータのパフォーマンスにまで気が回らないことと、東2局で一人ノーテンだったけどそんなデータは知らないからとりあえず東1局で2千点アガった自分のトップ率ってまだ30%なんだよね?なんていう痛い誤解が生じたりしないようにも気を付けましょうということです。こういった間違いは意外と生じやすいことなんですよ。人の脳は基本的に自分に都合よく考えるように出来ているので。

 

さて今更ですが、俺のいう「流れ」と「偏り」の違いについてですが、どちらも大きな意味では運の存在を指すのですが、違いとしては流れは「こういう流れだから次はこうなるよねと未来を予測できる」という捉え方で、偏りとは「偏りもランダムの一部であり、ランダムは予測できない」という捉え方だと思ってください。

 

また、「普段とは全く違うトリッキーな選択をしてみていれば勝てたかもしれないなというような考察は、俺の場合は基本しません。」と書きましたが、自分なりの麻雀がまだ確立出来てない人、または今の成績に納得出来ていないという人は、色々と考察してみることをお勧めします。

 

 

それでは最後に、麻雀の唄を歌います。

 

 

ある日 森の中 九萬さんに 出会った♪

 

ドラ咲く索子の道 九萬さんに出会ったー 捨てる♪