麻雀のツモ回数についての話です。麻雀をしない人にはぜんぜん意味のわからない話。

麻雀のツモ回数についてなんですが、皆さんはどのくらい関心を持っていますか?鳴きでツモを飛ばされたり、逆に増えたり、そういうことよくありますよね。

麻雀は、配牌をとった時点で良い手が入ることもあれば悪い手のこともあるため、運ゲーだとか不平等なゲームだとよく言われます。しかし実は、配牌をとるよりも前の時点で既に不平等は始まっています。

それは、ツモの回数です。一局の中で全く鳴きが入らなかった場合、東家・南家はツモの回数は18回ですが、西家・北家は17回です。なぜ対局前からこんな不平等が生じるシステムになっているのかというと、王牌という14枚の不使用牌が存在するためです。王牌が存在する由来については諸説あるので省略しますが、こいつのせいでツモの回数が違ったり不使用牌による不確定要素が増えたりと、まったくロクなもんじゃありません。

ロクなもんじゃないというのは、麻雀を囲碁や将棋のような知的競技として質を向上させたいと考えた場合の話です。ギャンブルのひとつとして楽しみたいのなら、運の要素が強いほど刺激的で楽しいかもしれません。

麻雀には様々な偶然性が存在します。配牌の良し悪しもそうだし、ツモ牌もランダムだし、一発やドラなんて役も運に大きく左右されます。ただ、そういった闘牌の中で起こる偶然ならば、麻雀というゲームの特徴として理解出来なくもありません。

しかしあらかじめ設定されたゲームとしての粗、これはちょっと別です。先に述べたツモ回数の不平等もそうですし、点数計算のシステムなんてツッコミきれないくらいめちゃくちゃですよね。

競技麻雀というものがあって、一発・裏ドラ・槓ドラを無くしたルールをそう呼んでいます。プロと呼ばれる人たちがそれを運の要素を低減させた麻雀としてプレイしていますが、俺はその程度で競技と呼ぶとかちゃんちゃらおかしいわと思っています。

確かに巷のリーチ麻雀と比べれば運の要素が削られて腕の差が出やすくはなっていますが、それは比べる対象がめちゃくちゃなのです。囲碁や将棋に近づいたなんてお世辞にも言えません。

競技性を高めた麻雀をアピールしたいのなら、もっと革新的にスタイルを変化させる必要があります。本当は点数計算の部分を大幅変更したいのですが、それは少し労力を要します。そこで俺がオススメするのが、王牌の廃止です。つまり、最後の一牌までツモりきる。そうすれば、ツモの回数が最初から不平等だとか、三萬がまるまる4枚山に寝ていたとかいう理不尽な要素はなくなります。麻雀特有の山読みの要素が飛躍的に光り出すでしょう。王牌無くすだけとか簡単だし。

王牌をなくしたらドラとか嶺上牌とかどうしたらいいの?と思われるかもしれませんが、競技性を高めたいならそんなものはそもそも不要です。カンとカンに付随する役は廃止したらいいのです。とはいえあんまりルールとか変えたら麻雀ではなくなってしまうという保守的な意見もあるかと思いますので、それならドラはもう1セット麻雀牌を用意して設定すればいいし、嶺上牌は連続でツモ山からツモるということでも特に支障はないと思います。闘牌中のツモのズレはポンやチーによっても起こる事象ですしね。

最後の一牌までツモりきる麻雀は絶対面白いと思いますよ。終盤の煮詰まり具合がハンパないと思います。もうぐっつぐつ。ああ、一度やってみたいなあ。