今年の春、夫が海外赴任に行ってしまう前、我が家の崇敬神社⛩️に私の髄膜腫の事、夫の赴任に伴う安全を祈願しに行った帰り。
振り返ると人生意外と長く歩いてきたもんだ。
19歳から一緒に歩んできた夫。長男が初めて夫に出会った年齢になった。
まだ幼い子供達を連れて1度目の海外赴任に着いて行き、無我夢中で家族一丸暮らしたこと。
帰国してからは息子たちの進学に奔走し、なんとか道をつけたこと。
夫とは初めて離れ離れになるけれど、これもまた私たちの歴史の1ページになるのかな。
寂しいと言えば寂しいけど、今は持ち場を守る時。
物理的には支え合えないけれど、気持ちは共にいる。
そんな事を思いながらの帰り道ドライブ。
子育ても終盤。
夢を見ていたみたいな海外赴任から帰国してきたら、急に「老後」なんて事が視野に入ってくる日がきてしまった。
無我夢中で生きてきたけれど、それでもまだ忙しいんだけれど、数年先の緩やかな時間の展望をして、
老後はゆっくり2人で旅行したいなぁ。
美味しい物食べたいなぁ
だから髄膜腫には負けられないんよね!
そんな事を呟いたら、夫から。
「生きとけよ」
え
髄膜腫がそこまで命に関わる事がない、根治も可能な病気だという事を知るまでは、命に向き合ってしまいどん底に落ちた私。
今はまだ手術もしてないけれど、大きな節目となった髄膜腫との出会い。
改めて生き直ししているような気持ちはあるのです。
命には限りがあるなんて当たり前のことだけど、向き合うには重すぎる。
でも、おざなりにしてきた自分を愛しむことを気づかせてくれた髄膜腫。
色んな想いの中でもがく私へ、不器用な夫からの最高のエールに思えた
「生きとけよ」
性格に恐ろしいほど接点のない私と夫。
共通点は真面目なとこくらい。
それでも、あまりにも違いすぎて面白い(腹もよく立つけれど)
母は還暦の歳に旅立ってしまったから、身近な女性が老後を過ごす姿が想像でしかわからない。
母が見れなかった景色。
母が楽しみたかった老後。
絶対に夫と楽しむねん!
その気持ちだけは自分の中にガーンと持っているから、未来が見える
甘い言葉は頂いたことはあまりないけれど笑、
「生きとけよ」これが私には大事なラブレター💌になっていることに夫は気がついてない