地震発生日② | Dramatic-life 3rd

地震発生日②

3/14 夕方~夜

原発に異常有。
政府の緊急事態宣言。

このニュースを聞いた時、背筋が凍る思いをしました。

ちょいと話が横にそれますが、、
祥の母親はそれなりに読書が好きなほうで、よく図書館から本を借りてきていました。
そうした本について、祥も暇なときはそれとなく読んでいたりしたのですが、
それらの中には原子力関連・放射能関連の小説が何冊かあったと思います。
(多分、母親の当時の興味がそちら方面にあったのでしょう)

そんな訳で、放射線障害の悲惨さについては小学生のころから叩き込まれていました。
10歳ぐらいから、放射線障害での死に方を詳細に知っていた訳ですから、、
(今、思えば、それもどうかと思うけれど、、、)

この、妙な教育については、姉に関しても同じような事が言えます。

ちなみに、祥の姉は現在、結婚して富山に居を構え、
祥の両親は父の仕事の都合で兵庫に家がある状態です。
(祥の育ちは千葉・東京ですが、、)

が、実は3/13には、祖父の3回忌が横浜で行われる予定で、両親・姉ともに横浜にこの日は来ていました。
(もっとも、この時点では家族の無事は確認できていましたが、、)

さて、話をもとに戻しますが、、

こうした事情から、政府が「緊急事態宣言を出す原発事故」には、
当初から、相当の恐怖と関心を抱きました。

印象的なのはNHK。
職場のテレビはNHKをずっと流していたのですが、原発関連のニュースが一切出てきません。

そのくせ、インターネットのニュースサイトや各新聞社のサイトからは、
「民放でこんな情報が出た!」と飛び交っているのです。

報道規制。

それが敷かれている可能性を祥は感じました。
実際、民放に変えてみたら枝野の原発についての発言を解説したりしていました。
(NHKがきちんと原発について報道しだしたのは、翌日ぐらいからだったと思います)
予算を国に握られているからか、NHKは、実は一番政府に弱いのではないかと感じました。

避難範囲は2km。1号機~3号機で冷却システム作動せず。
電源車が向かっている。到着まで時間がかかる模様。

その後、2kmが3kmになったように思いますが、大きな進展はありませんでした。
夜は着々とその帳を下ろし始め、テレビは被害情報を報告しはじめます。

300人ほどの遺体があがった。津波被害者か。
気仙沼で大火事が起きている。

気仙沼の大火事を見ながら職場ある人間が、他の社員の方に、
「賭けようか、これは死者一万人は超すな」と平然と言っていました。
どこにでも下衆というのは存在します。

夜になると妻もやっと家に帰れたようで安心しました。
電気を使用するようなことは今日中にやっておくこと、
念の為、エアコン・換気扇は使用せず、ヒーターなどで暖はとることを伝えました。

気がつけば、夜も12時を回り、職場での雑魚寝が始まりました。
幸いにも職場には、災害用毛布(真空パックされている)の備蓄があり、それに包まり寝ることとなりました。
寝る場所は、社長室が開いていたので社長室で雑魚寝しました。

まさか、社長室で寝る日が来るとは、、人生とは不思議です。
ていうか、社長室はもう祥の部屋のようなもんだと思いました(錯乱)

個人的には空いているソファの上で寝たかったのですが、祥の直属の上司も雑魚寝をしていたので、ソファは諦めました。
さすがに、そこをぶった切る勇気なんてありません。。