色々な出会いや交流を通して
誰の中にもあるどうしても拭い去れないものたちの存在を感じます
感じるというか、浮き上がってきます


その拭い去れないものは
様々で
悲しみだったり、恐怖だったり、哀しみ、幸せ、愛情、寂しさだったりとそれぞれなのですが
それらの状態がそのまま目の前の人が持つ光に影響していると感じます


拭い去れないものを
ぐっと抱きしめているのか
大切にしまっているのか
誰かに預けてるとか
耕してるところよ!
信頼してる人と分け合ってるの
リボンやフリルで可愛らしくしてみたり
じっと見つめてる
好きになってきたとこ
…とか
何が良い、悪いという話ではなく
この世界で活動するために必要な、自分という存在の一部分になっているのですね。
この拭い去れないものに
自分自身が気づいているかは大きなポイントかもしれないな
その何かは外からやって来るものでもなくて
色々な経験を通して、もともと自分の中にあるその存在に気付いていくというシステム…
たとえば、拭い去れない哀しみは誰かのせいで存在するのではなく
自分のなかにある拭い去れない哀しみに気付くため、誰かとの関係性がある
霊魂のゴールと目的は常に定まっているからかなー
ヒストリカルセラピーで注目する部分です
拭い去れないものも自分自身なのですもの。そこに目を向けることで、また一つ自分のたましいの世界観に出逢う
わたしにもあります。
拭い去れないもの




じっと見つめてます