哲学を持って生きる
経験したことを言語化しないと、哲学は生まれないから
言語化をするかしないかで、哲学の数は変わるんだけど
自分の哲学を持っている人って
飛躍した言い方をすれば、
努力人で
生きる楽しみ方を知っている、と思う。
経験に基づかない、弁者もいるんだけれど
それはすぐにわかる。
哲学を聞けるというのは
その人の生き様を知り、自分の経験の1つにすることができるから
それだけで価値のあることだと思う。
今、
「どうして頑張って生きなければならないのか」
「現状維持でいい」
と平気で言う人が増えたらしい。
その人に、生きる楽しさを与えられなかった環境に罪は大きい。
今、
努力することの良さを与えられる環境があり
哲学を伝えられる人が増えること
これが、すごく大事だと思う。
努力している人は輝いている。
もし、それすら実感できない環境を与える社会が実在しているなら、その先は闇だ。
自分の人生も、愛するものも無限ではない。僕たちは、それを震災で突きつけられた。
自分の人生も、愛するものも無限ではない
僕たちは、それを震災で突きつけられた。
とある方の言葉。ぐさっときた。
一番のライフラインは水や食料ではなく「人」なんだなーと。
その原点は「家族」
ちなみにtwitter上での調査では、
震災前に比べて、結婚したいといった記事が10%増えたらしい。
「結婚する」 から 「家族になる」
への変化
「相手は自分にとってどうか」 から 「相手に対して自分は何ができるか」
への変化
だんだんカップルの心的変化が起こり始めているかもしれない。
結婚式そのものへのイメージも、少しずつポジティブな意見が増えつつあるんだとか。
結婚観の変化
結婚式という場の「幸せを感じる場」 から 「幸せを与えあう場」
への変化
絆という言葉は既にありふれているけれど
もっと大切にされていく言葉になりそう。
素敵な世界が醸成されていく一方で
反対に「自分はまだ結婚できない」って思う人も増える気もするんだけれど。



