ごきげんよう
ハンドメイド作家のりっぴーと申します。


私事ですが、本日誕生日を迎え
33歳になりました。

 

 

 

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まさか33年も生きているなんて
驚きです…!!
生きててえらいぞ!わたし!笑




誕生日は両親に感謝をする日
と決めています。



両親がいてこそ
今こうして生きているわけで



なので

母親には「産んでくれてありがとう」
父親には「育ててくれてありがとう」

っと毎年メールを送っています。


(直接言うのはいまだに恥ずかしい…笑)





こうして感謝の気持ちを
文章だけど伝えることが
出来るようになったのは
親元を離れてから。


もちろん両親の有り難みを
強く感じたからっていう
理由もあるんだけど



もう1つ大きな理由があります。


その理由がね
母親にひどいことを言ってしまったから。


今でも思い出しただけで
涙が溢れて止まらなくなるんだ。



なので今泣きながらこれを書いてます。



文章がごちゃごちゃだけど
残しておくね。




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高校卒業し就職した会社で
上手く仕事ができなくて

うつ状態になってたの。

多分もうこの頃から
うつ病は始まってたんだと思う。



そんな中で
一度母親と口論になったことがあって



そのとき言っちゃったんだよね




「なんで産んだの
生まれたくなかった」



って



当時は本当に辛くて逃げたくて
生きてる意味もわからなくなってて
心の底から出た言葉だった。

間違いなく本心だった。



でもこれは伝えなくていい本心だった。



言葉は凶器と一緒。
簡単に人の心を傷つけ殺せる。



当時の私は自分のことで精一杯で
母親のことを考えられなかった
大バカ者だね、本当に。



きっと…いや、絶対傷ついただろう。



今こうして言った側の自分が覚えてる。
はっきりと。色濃く染みになるくらい。



そんなひどいことを
言ってしまったのにも関わらず
母親は毎日いつも通り接してくれていた。




でもそれから何かあるごとに


「好きなことさせて
あげれなくてごめんね」



っと言う回数が増えていった。


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本当に親不孝者にも程がる。



「好きなことさせてあげれなくてごめんね」
って言うのも


7人きょうだいの長女として生まれ
裕福とは言えない家庭で…

中学生の頃に声優になりたくて
高校には行かず専門学校に行きたいと
両親に伝えたのだけど

「高校卒業してからでもいいんじゃない?」
っとやんわり反対され



高校に入って進路の話になる頃には
「就職の道」しかなかった。



妹や弟は
専門学校や大学に行っており
正直羨ましかったし、ずるいとも思った。



きっと母親は気にしてくれてたんだと思う。
だからあの言葉なんだって。




でもね、今はこの道で良かったって思う。

大好きな人と結婚できたし
私のことを理解してくれる友達と出逢えて
これから頑張りたいお仕事と出逢えて
支えてくれる講師と仲間と出逢えて



きっと専門学校へ行っていたら
出逢えてないことばっかり!



だからあの時反対されて感謝してる。


そして、ごめんねって気持ちも込めて
誕生日に感謝の言葉を伝えてる。




取り返しのつかない言葉を
言ってしまったことは一生消えないから



「産んでくれてありがとう」
は今の本心だから伝える。



生きてるから色んな感情を味わえてる。
生きてるから色んな出来事がある。


生きてるから。




お母さんへ

不甲斐ない娘でごめんね。
でも今幸せに生きてるよ。
ときどき落ち込むこともあるけど
それでも今生きてるよ。

命を授けてくれてありがとう。
そしてひどいこと言ってごめんね。

今とても幸せです!!
あなたの娘でよかったです。

帰ったらビール一緒に呑もうね。
あっ説教はやめてね
もう7人分の説教を一人で聞くのは
お腹いっぱいです。


大好きです。


里歩より