映画はほとんど見ませんが、評判を聞いて『凪待ち』を観てきましたので、感想です。

 

これは大傑作。人生の理不尽さと人間のダメさと、そしてやさしさと希望を描く、本当の傑作だと思いました。

私は今、自分の問題と向き合っている最中で、悔しくて辛かったり悲しかったり憎しみ恨みつらみでどうすればよいかわからないことが時々あります。今週ちょうど『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』というのを読んだけど、悔しくて辛いし憎いけど、でもそれでも自分が悪いんだ、自分が全部悪いんだ、自分なんていなくなればいいのに、死ねばいいのにといつも思っていました。自分がどう改善したら、どう頑張れば、状況が良くなるのかな、周りが幸せになるのかなと思っていました。

それがこの『凪待ち』を観たら、自分が悪くてもいいんだ、というか、自分に悪いところがあっても、それでもどんどんそのまま自分らしくあがいて生きていけばいいんだというか、そのままでいいんだというか、生をそのまま受け入れるというか、ダメなところも弱いところもすべて含めてそれはそれでいいんだ、人生はそういうもので続いていくんだ、ひどい目にあうこと、理不尽な目が続くこと、どうして自分ばかりこんなひどい目にあわなければいけないんだ、どうして誰も助けてくれないどころか攻撃してくるんだとか、でもやっぱり自分が悪いんじゃないかとか思ったりもしたけど、そういうことをすべて含めて、そのまま生きていけばいいんだと思えるような、本当に沁みるというか、ぐっと人生を変えるような、そんなすばらしい作品だなと思いました。

 

木野本郁男(香取慎吾)、前半はいつも通りの香取慎吾で、普通に明るく優しい青年だった。同僚の弱弱しそうな、でもどこかにヤバさを感じさせるナベちゃんを助けるところ、ナベちゃんと一緒に仲良く話しているところ、恋人の娘と仲良くするところなんかは、本当に普通に明るく優しい青年で、いつもの香取慎吾のしゃべり方で、事前評だと、なんか香取慎吾の演技がすごいと聞いたけど、それってファンによる褒めだけであって、別にこれではいつもと全く変わらないのでは?とすら思ったし、最初のころのストーリーは、はっきりいって退屈だった。

 

でも、結局、人間としてはとてもやさしい人で、人を助けて一緒に嫌がらせを受けたり会社を辞めなくてはならなくなったり、お酒飲んで競輪やって、っていう。娘のことも思っていて、亜弓(西田尚美)がひどいこと言うもんだからけんかしたけど、一人で娘を探して、お母さんに電話かけさせるとか、やっぱり普通にいいひとというか。仕事もちゃんとやってるし、ギャンブルだって、2000円とか、そんな別にすごい金額を突っ込んでいるわけではない。へそくりをちょろまかすといっても、あの様子では、いっても1万かな、という感じ。別にヒモなわけでもないし。

 

それが、理不尽な事件で、突然恋人を奪われ、自分のせいだという罪悪感を抱え、娘にもひどいことを言われているにもかかわらず、職場でもあまりに理不尽な目にあい。あれは我慢できないよ。そりゃ、みんな暴力振るった方を悪く言うだろうけど、あの状況で我慢できますか?っていう話。そりゃムカつくし、耐えがたいね。

で、リリーフランキーにやさしくされても、それで、視聴者から見たら、理不尽な目にあっても優しくしてくれる人もいるから、頑張ってほしいと思うけど、そんなの本人からしたら無理だよね。あんなに辛くてひどく苦しくて、そりゃリリーフランキーがやさしくしてくれたのはわかるけど、それで心の苦しさが癒えるわけではなくて、で、ギャンブルに逃避してしまう。で逃避する分、また罪悪感と苦しさが増えていって、で、もう、少ししたら立ち直るのかなと思ったけど、見ていて、ああこりゃダメだっていう深みにどんどんはまっていって、見ていてしくじり先生に出ていたギャンブル依存症の貴闘力の回を思い出して、お金を極力持たないようにしていると貴闘力が言っていたので、本当にお金持たせちゃいけないんだなとか思って。

途中までは、「本当に世の中ひどすぎて、心からひどい理不尽な目にあうことってあるよね!!!」と思ってみていて、本当に世の中ってひどいよねと見ながら共感していたが、そこから郁男本人もダメなひどいことばかりしていって。もう、顔向けできないっていうことだよね、と思って。そこでも手を差し伸べてくれる人がいるにもかかわらず、見ている方としては、ようやくここで立ち直れるかなと思っても、全然立ち直れなくて、これじゃ、助けてくれる人にも顔向けできないし、どんどんやさぐれて、もう立ち直れないよ、このまま孤独で野垂れ死ぬしかなくなっちゃうよ、と思って、でも見ていて、これは傑作だなと思った。

 

ときどき、ドラマなりなんなりを見ていると、「これ、大丈夫かな?」と思うことがある。このまま、どんどんひどい目にあうんじゃないか、大丈夫なのかなと見ていて不安になることもあるけど、見ているだけでこっちがひどい辛い気持ちになるだけじゃないかと不安になることもあるけど、この映画は、見ていて傑作なので、これは不安にならないで、この映画に身をゆだねて、感情をゆだねて大丈夫という安心感があった。このまま見ていても、視聴者としてひどい思いをさせられることはないというか、なんというか、ひどい展開が続いても、郁男や周りを心配はすれ、この映画大丈夫かなと言う不安はなかった。

 

ノミ屋の店員(奥野瑛太)の、郁男を見る表情が変わっていくのが面白かった。「え?この人大丈夫?」みたいな。

で、ああやってギャンブル依存症の人に借金を負わせるやくざ、さすがだなと思ったし、私は絶対に裏カジノとかそういうものは信用できないと思っていて、だって公営のギャンブルなら当たったときにちょろまかしたりはされないだろうけど、裏カジノとか、胴元がやくざとかって、吸い取られるだけ吸い取って、当たったらバックレられるって絶対あると思うし、当たらないように操作するとかも裏カジノならあると思うけど、競輪なら当たらないように操作はできないだろうけど、でも、これ絶対にありうるな、と思った。

途中、審議待ちになるところとか笑えたっていうか、なんかリアルって思ったし、でも見ていて、こんなひどい目にあって、ようやく郁男はギャンブルを止められるかなと思ったけど、やめられなくて、こりゃひどいというか。

ヤクザも、お釣りくれるんだという驚きがあった。借金とかツケってさ、ちゃんとこちらが計算しとかないと、ぜったいに盛られるというイメージがあったんだけど、ヤクザもお釣りをちゃんとくれるのか。そしてそれを賭けちゃうってさぁ。

 

郁男がダメなのは事実なんだけど、でもそうでもしないと生きられないというか、いや、お父さんと娘にへたくそな字で手紙書いてたけど、リリーフランキーにも言ってたけど、逃避というか緩慢な自殺というか、もうだめなんだろうね。

手紙を聞いていて、太宰治を思い出した。「人間失格」であるシングルマザーと付き合って面倒みてもらってたけど、幸せそうなその親子をみていて、自分さえいなければこの親子は幸せになれるんだって去っていく葉ちゃん。短編の作品でも、なんかもう行き倒れそうな人がようやく助けてくれそうな家を見つけたけど、その家を見たら親子が幸せそうにしていて、自分なんかが入って行ったら幸せを台無しにすると思ってそのまま去っていくという話があったけど、これ、わかるけど、それ考えちゃだめだよね。もう甘えなよ。一緒に暮らしなよ、と思う。そんなにあんた悪い人間じゃないよ。加害妄想っていうの?罪悪感から来る妄想ではないか?大丈夫だよ。

 

悪いところあるけど、それでいいんだよ。もうそれでいいよ、と思った。

で、RENTのGOODBYE LOVE→WHAT YOU OWNじゃないけど、もう要は落ちに落ち切らないと、ダメなんだろうと思う。

そう考えると、私は自分が傷つかないように、傷を小出しにしているから、落ちに落ち切らないから、ぐじぐじしているのかな。一度、2012年ごろ、別の理由でいろいろやって、でももうこれは自分の望むものじゃないなと思ってふっきれたところがあるけど、まあRENTのおかげでふっきれたけど、郁男も、もう「苦しいよー。つらいよー。もう俺は無理だよー。」って全身全霊で辛さを憂さを表して、もうだめにだめになって、落ちに落ち切らないと、感情的に落ち切らないと、吹っ切れないんだろうなと思った。

 

縁日のシーンで、売り物のビール手に取って飲んでけんか吹っ掛けに行くシーンとか、もう見ていて、気持ちわかるけど、そりゃダメだよっていう。郁男の気持ちがよくわかる。

で、リリーフランキーに助けてもらうという。

 

リリーフランキーは、サイコパスというよりは、ある意味いい人の部分も少しは本当にあるんじゃないか。でもメインは罪悪感から、なのか。この人がここまで苦しんで落ちているのは、自分のせいなわけで。

 

で、本当に郁男は不運というか、ついていない。何もあのタイミングでナベさんのニュース見なくても。ナベさん、明らかにおかしいから何かあったんだろうなとわかるようにはなっていたけど、まさか。

ニュースだけ見ていると、「ああ、この人、ダメな人間だな」と思うけど、世の中には、本当に理不尽なことがいろいろあって、その人にとってももうどうしようもないという部分はあるんだなとも思った。

 

無敵の人、じゃないけど、もうこうなったらあいつらに復讐してやらなくちゃ、どうせ生きていても意味ないんだし、死にたいし、みたいな。ノミ屋破壊のシーンは、見ていて多少気持ちよかった。どんどん壊せみたいな。で、勝美さんが助けてくれる。お葬式にも親分さん来てたもんなー。

 

勝美さんの独白シーンがすごくて、前科があって、奥さんがいなかったらのたれ死んでいたか誰かに殺されていたかって言っていて、そういう自分と郁男を重ねたのかな。

 

ヤクザからの帰りのシーンで、香取慎吾が泣いているシーン、もうあれ見ていたら泣きますよ。DVDだったら借りて号泣ですけど、映画館ってその点辛いよね。

ヤクザの親分とノミ屋の店員の孫写真のやりとりも笑ったけど、娘の父親と病院で会っちゃうところとか笑った。

 

つらいことも山のようにあって、世の中にはつらいことが全然ない恵まれた環境なのにそれに気づかなくて、他人に意地悪をしている性格の悪いおかしい人もいっぱいいて、なんで自分ばっかりこんなひどい目に合うんだとか思うけど、でも、自分もダメだし、とも思うけど、

 

「それでも、生きてゆく」主題歌だった小田和正の歌で

「自分の生き方で自分を生きて 多くの間違いを繰り返してきた

頑張っても頑張ってもうまくいかない」っていう歌詞が合って、本当にその通りで、私の人生まさにそうだと思っているけど、この歌詞だとそのあとに「でも気づかないところで誰かがきっと見てる」って続くんだけど、そこは全然納得いかなくて、誰も見てないし、見てたとしても助けてくれないし、別に誰かに見られたいわけでもないしって思うけど、「凪待ち」見たら、ひどい目にあって、自分もダメでも、それでもそのままでいいんだと思えた。

 

この映画、本当に傑作である。

そして、演者がすごい。勝美さん役の吉澤健さん、圧巻。こういうおじいさん、本当にいそう。無口で余計なこと言わないのに、気持ちが伝わってくる。これはすごい役者さんだと思った。本当に光っている。

娘役の女優さんは、ちょっときれいすぎるかなと思った。もう少しメンヘルっぽいというか、暗い影があって、見た目はもう少し地味な方が、いそうな感じではある。芸能人的な美人差が目立った気がする。香取慎吾が華はすごかったけど、この映画ではビジュアル悪かったので、余計、芸能人的外見はこの娘だけみたいな感じだった気もする。

 

そして、香取慎吾。もう、演技がうまいとかそういうレベルではない。この役をこんな風に体現できる、それはもう天才的。監督が香取慎吾をベタ褒めしているが、これは本当にすごい。私は、三谷幸喜のファンだったので、昔から三谷モノで香取をよく見ていたけど、昔は私香取慎吾が三谷モノに出てほしくなくて、三谷と俳優の好みが私とで合わないなと思っていた。三谷は香取に素直な役をやらせるのが好きだけど、まああの三谷幸喜にあそこまで愛されているから、それはすごい才能が元々あったんだろう。で、「新選組!」は、本当に香取慎吾がへたくそで、周りが上手すぎるからこれまた下手さが浮いていたけど、最終話1話前の、「お久しぶりです、加納君」のセリフにしびれた。あのセリフで、三谷が香取に近藤勇をやらせたいと言っていた気持ちがよくわかって、香取慎吾は天才だろうなと思った。この人は、1-2年、俳優業に専念すれば、本当に化け物みたいな俳優になれるんだろうなと思ったけど、そのあとも特に、仕事忙しいから、そんなね、すごい俳優になったイメージはなかったけど、元々天才だったんだろうね。この映画は本当にすごいわ。まさかいきなりここまですごい演技を見せてくれるとは思わなかった。

しかし「新選組!」でジャニ枠ではなく、三谷たっての希望で大河主演をやったせいで、ジャニが他の仕事との調整をしてくれなくて、あまりの多忙さにSMAPを止めようと思った、でSMAPを止めたら芸能人でもいられないので芸能界もやめようと思ったといっていた、あの香取慎吾が、山本耕史に支えられ、すばらしい新選組!を完成させ、あの人嫌いっぽい香取慎吾を口説き落とす能力をもった山本耕史が堀北真希ちゃんと結婚したというのも、うなづける。大物スターだと、欲得で近づいてくる人とかも多いしいろいろ孤独もあるんだろうけど、そういう人の心に入れるすごい能力をやまこーは持っていて、それが香取慎吾と同様に堀北真希にも通じたんだろう。その香取慎吾がSMAPを違う理由で辞めるとは、「新選組!」のころにはとても予想できなかった。そして「れいわ新選組」ができるとも思わなかったし、原田左之助が国会議員になるとは。

香取、舞台も出てほしいですね。ドラマだと演技のうまさって伝わらないので、そこは舞台が一番役者を輝かせるので。でも私はもうここ10年ぐらい三谷幸喜から離れているので、この前の舞台もチケット取らなかったし、香取の舞台って「SING LIKE TALKING」しか見たことないけど、あの時は演技力は特に感じなかったけど、華がすごい。やっぱ華がすごいね。

 

マツコ・デラックスが、「SMAPでない3人に魅力を感じますか?」「マンパワーが違うのよ」といったという記事が出てるけど、視聴者がネットに悪口書くんなら、そういうこと書く人いるけど、芸能人同士でそんなディスるとかドン引きだけど、はっきりって地上波出てるコメンテーターとかひな壇の人とか、SMAPよりも知名度ある人なんて一人もいないだろうね。司会やっている人とかドラマ主演している人だってSMAPよりも知名度ない人だっているし。

でもそんな反論とかするよりも、この「凪待ち」見ろよっていう感じ。もうこれ見せつけられれば、「ああ、すごい才能でございました」って平伏すしかないっていうか。この演技できる俳優がどんだけいるんだ?日本に5人もいないんじゃないか?という位のレベルでした。

 

ちょっと感想があちらこちらに飛び散りましたが、本当に素晴らしい作品でした。

 

最後に、昔書いた「新選組!」の最終話あたりの感想でもコピペします。読み返したら、なんか歳三ヲタすぎて、若干自分に引いた。あと昔は文章がそんなに熱こもってないなと思ったけど、三谷幸喜ってやっぱり天才だなとも思った。三谷、久しぶりに見るの再開しようかな…。

 

-----

新選組!「流山(48回)」2004.12.5感想

オープニングのナレーション部分で、試衛館以来の同志は局長と歳様のみと言うところで、既にぐっと来てしまった。平助の斬死と山南さんの切腹という文字を見ていたら思い出してうるうるきてしまった。その後前回の斎藤シーン。すごくすてきだった。感動していたのに、斎藤は尾形につかみかかってまでもあの話をされたくないという、なんだか笑えた。そして島田が流山の話を。流山には行っちゃだめだよ、と思っていたら、なきそうになった。そして主題歌に。「近藤勇(大久保大和)」「土方歳三(内藤隼人)」このクレジットを見たら、我慢できずに泣いてしまった。オープニングと主題歌では、別になくシーンがあったわけでもないのに、もう流山とか考えるだけで泣けてくる。歳さまの女好きぶりは面白かったけど。
そして沖田とお孝。永倉と原田。こんな回なのにちょっと明るすぎやしないかと思ったけれども、後半からしんみりするだろうからまあいいのかな。原田は最高。別の隊に入るつもりはないという。そうだよ、そうこなくちゃ。そして沖田と局長。徳川の世がもう一度来ないことを、あの人だって知っていると言う。総司を天然利心流宗家5代目にして、野試合をもう一度という。楽しそうだ。一方、斎藤は「いつ死ぬんだ?」と聞く。こんなずばりのことを言っても許されるのは斉藤だからだろう。しかしその後の沖田の間がすばらしい。「あなたは死にません」と姉に言われ、局長も総司は良くなるというふうにはなしている。しかし本人はそろそろ死ぬと思っているわけで、周りの人もそんな変な気を使わないではっきり言って欲しいという気持ちもあったんじゃないかな。でも実際ずばり言われると堪える。しかし堪えたのを超える、と。斎藤は総司が幸せだと言う。刀の時代が終わってしまって、今は薩長と戦っていればいいけれども、もし生き延びて、人を斬るだけがとりえの人間はどうやって生きていけばいいのかと。なんとも言えない。京都ではあれだけ刀が力をふるっていたというのに、いざ戦争となれば刀はもう使えない。市街地戦には刀が使えるのだろうか。時勢を読んで上手に立ち回った薩長に対し、義を重んじて時代に取り残されていった新選組。それだけではなく、鉄砲を使う薩長に対し、刀を頼りに時代に取り残されていった新選組。二重の対比だ。

そして流山。実際の流山はこんなだったのかもしれないな、と思った。兵もその場にいなく、ろくに応戦もできなかったらしい。大久保大和に会いたいと官軍に言われても、別人を大久保大和に仕立ててだせばいいと思ったけれども、あんな感じでやってこられたら、とりあえず局長にあわせるだろうな、と。そして本陣へ。捨助がむかついて、捨助のせいで近藤勇だとばれることになったら、三谷のことを恨んでやると思っていたが、さすがにそんなことがなくて本当によかった。しかし今日一番笑ったのが、歳さまが捨助を殺そうとしていたこと。まじでうけた。かっちゃんを守るためなら捨助なんかいつでも殺すぞという気迫満々。もうおかしくておかしくて笑ってしまった。
そして古田新太との対峙。薩長は国を思うままに動かそうと帝を利用し戦を起こした。確かに我らは戦で負けた。しかし勝負は時の運。正義はわれらにあり、と今でも言うことができる。薩摩は幕府を助けるふりをして最後に幕府を裏切った。新選組はいろいろあったけれどもまっすぐに生きてきたんだ。古田新太にばれようが、新選組の心意気を伝える局長。ここは本来なら大泣きするシーンなんだろうが、いくらなんでも官軍兵士が敵ながらあっぱれと言うかな、逃がそうとするかな、と思ってそこまで入り込めなかった。しかし生き延びるためにあそこで適当なことを言うのではなく、きちんと自分の信念を伝えた近藤勇。それは本当にステキだった。

そして投降。歳さま泣きそう。山南さんのときの泣き顔でも、河合のときの泣き顔でもなく、もう本当に悲しくて泣きたそう。あそこで戦って死ねばよかったのではないかと思う。切腹をするという勇に、死ぬなというとしさま。なんとか騙せることができれば、もう一度新選組として会津で戦えることができる。でも、あそこで戦って死ぬか、切腹すればよかった。歳さまは悪気は全然なく、勇のために思っていったことなんだろうが、結末を考えるとどうなんだろうかという感じ。周平との別れのシーン。周平だけに命を惜しめというが、他の人たちは武道派だから言わないでいいのか、とちょっと気になった。その後の歳さまとの別れのシーン。別れの言葉なんかいらないぜ。新選組なんかを作っちまってあんたの重荷じゃなかったかと思った。楽しかったという近藤勇。二人で抱き合ったときの歳さまの表情。もう半ばあきらめの感情もあったのだろうか。穏やかな表情だった。局長は対照的な表情。何が何でも白を切りとおして帰ってきてほしい。
しかし加納鷲雄。とんがり帽子を被ってずいぶん軽い身分だな。薩摩に入って楽しいのかと思ったが、伊東先生は薩摩派だったのだから、加納としてもこれが義なのかと少し納得した。そして局長を見た加納。伊東が殺されたとはいえ、恩がある局長。なにも言わない加納。加納が嘘つけばいいのに、と私は思ったけれども、嘘をついたことがばれて加納の立場が悪くなったらいけないと局長は思ったのか。悩む加納を助けてあげようと思ったのか。局長から話しかける。だからなんだ。だから、局長をあそこまでいい人にこの1年間してきたんだ。今までは局長がいい人すぎて、何がなんだかよくわからない。局長のキャラがへぼすぎると思ってきたが、今日の放送を見て、これまで1年間の局長のキャラの意味がよくわかった。この人は本当にまっすぐで、心根が優しくて、人を信じて、義を貫いて、そういう人なんだ。だからこそ、加納を見て自分から声をかけてしまうんだ。声をかけたことを後悔もしない、加納を恨むこともない、そんな朗らかな人なんだ。多摩の頃から、コルクを拾った頃から何にも変わっちゃいないんだと思った。しかしいいところで終わりすぎ。いきなりこんなところで終わられたら、私は一体どうしたらいいんだ。来週は最終回。勝に歳さまは、近藤を助けにいくなと言われていた。助けに行ってほしいよお。代わりに捨助が助けにいくのか?不精ひげを生やしていた勇。ふでが声をかける。どんな最終回なんだろう。しかしたとえ斬首でも近藤勇にとっては悔いのない人生だったのだと思う。まっすぐ自分の信念を貫き、義に生きた。この生涯に悔いはないのだ。

ちなみに加納との対面シーンはスタパに行ったときに撮影をしていた。スタパで見たときは、官軍の黒いずらと赤いずらが気になって気になってコントかと思ってしまった。しかし加納が出てきて、加納が涙ぐんでいるので、「これはまずい。もしや投降の際、大久保大和ではなく近藤勇とばれるシーンか?」と思い、こんな重要シーンを放送前に見てしまうのはどうかと思った。そしてスタパではその後板場に勇が引きずり出されるシーンをやっていた。斬首シーンかと思いスタパ騒然。私とQさんは、さすがに斬首シーンを見てしまってはまずいと帰ることにした。しかしどうやらあの時スタパでやっていたのは斬首シーンではなくただ単に板場でのシーンだった模様。それは来週の最終回ですね。
そして来週の最終回の前にスマステ。やまこーは大阪で「リンダリンダ」ですが、他の人たちは生で出演するのかな?スマステが終わって、最終回が終わったら、もう総集編しか残っていないわけで、DVD発売を楽しみに生きる以外道がない…。

 

-----

流山2 2004.12.6

昨日あの後もう一度「流山」を見た。オープニングの魚釣りの場面は朗らかでのどかですごくよかった。しかし和装の局長と洋装の歳さまが並んでいるとなんか不思議。山本耕史がスタパで、皆和装の中洋装の格好をするのはすごく勇気がいることだと言っていたが、本当にそうだなあと思った。ここで新選組を作るという歳様に対し「まだやるか」という局長。うれしそうに笑顔で返す副長。ほんとに良かった。
そして斉藤のシーン。皆が斉藤を都度都度見て「なぜオレを見る」という斉藤がおかしくておかしくて、はずかしそうでやっぱり面白い。その後の沖田と斎藤のシーンもいい。藤原竜也を見ていると、天才といわれる所以がわかる。本当に仕草とか表情とかがすばらしい。ちょっと片足だけ上げて楽な感じに座っているところなんて、その姿勢だけですごい雰囲気が出る。そしてあの表情。藤原竜也は役によってすごく変わるというわけではなく、自分のスタイルの中にそれぞれの役を入れていくというようなことを読んだことがあるが、本当にそんな感じ。声とかは他の役と変わらないし、一見他の役と変わらないのに、表情仕草で完璧な役を作り出している。しかしそんなに演技がすばらしいのに、どうも沖田のキャラが弱くて、あの沖田のキャラだとちょっとなあ、という感じ。前半の無神経な子供キャラがひどすぎたのかな。斎藤とかへーすけの方がよっぽどキャラ立ちしている。もうちょっと沖田のキャラが良ければよかったのになあ。勿体ない。
そして局長と古田新太との対峙シーン。今回はなぜか泣けた。生まれ変わっても何度でも戦う、正義は我らにある。やっぱり心を打ちます。古田新太ももちろんいい。古田新太の役の実際の人は、近藤を庇った人らしい。なんかの本で、彼が近藤を見ている間は庇われていたし処刑もされなかったのに、別の人になっちゃった後で閉じ込めておくのもお金がかかるので処刑したと読んだのを思い出した。最初「流山」を見たときは、敵があんなふうなことなんかあるか、と思ったけれども、事実は小説よりも小説だなあ。あと「再会」で多摩の人たちと再会するシーンも、事実を知らないで見ると、いかにも小説にありがちなパターンで、死ぬ前に懐かしい面々を登場させる感じがするけど、あれが事実なんだからなあ。事実は意外と小説っぽかったりもする。

歳さまと局長の別れのシーン。局長が敵の本陣に行くと聞いて、もう大取り乱しの歳さま。もう大変です。そして局長が支度をしながら周平と別れの挨拶をしているのを廊下で待っている。ここからして、結構クル。そして「別れの言葉は言わない」。くーっていう感じ。局長は歳さまにお礼を言って、そして辛いこともあっただろうけどよく支えてくれたと歳さまをねぎらう。これだな。このねぎらいは大事だな。どんなときでも人に対しそういうふうに接するというのは大事だと思った。しかし歳さまはそんなことを言われてもうれしそうではなく、逆に新選組を作ってかっちゃんに重荷をしょわせたのではないかと不安そうに。局長は明るく否定。楽しかったという。すばらしい別れだ。今生の別れとなるわけだけれども、二人とも別れ際を悔やむことなく過ごせるんだと思った。そして抱き合う。最初見たときは歳さまの表情にあまりにびっくりして諦めも入っているのかと思ったが、二度目に見てみたら「慈母」のような表情だ。かっちゃんを信じているのかな。「これからだ」と言っているし、ただまっすぐかっちゃんを信じてかっちゃんが帰ってくることを信じて抱き合っているのかと。一方かっちゃんは、歳さまと抱き合いながら、決意を胸にというか、決意を固めていくのだろうか。固めていくというか、より強くする。最初にこの「流山」を見たときは近藤勇に死んでほしくなくて、そればっかり考えてしまって、歳さまファンなのに、投降を進める歳さまが嫌で、投降したら死ぬじゃん、とか思って、そればっかりだったが、二回目はようやく冷静に話を見ることができた。
そして加納シーン。あの局長の思いやり、優しさ、表情にぐらっときて、そして次回予告。ふでの「近藤勇、がんばりました」でかなりやばかったが、新選組紀行の「近藤、土方別れの地」という文字で我慢できず泣いてしまった。

しかし副長ファンなのに、話に入り込みすぎると、副長よりも話の流れが気になって、副長が時々嫌になってしまう。河合の切腹の時も副長が嫌だったが、それはまあ副長の行動に問題があったからで、今回は別に副長は悪くはないんだけど、局長に死んでほしくなくて、なんかもうそれでいっぱいいっぱいになってしまった。
香取慎吾はすごいと思った。もう今回の演技は完璧だよ。というか二条城ぐらいから素晴らしくなってきている。実際の近藤勇や歳さまが、ただの農民、剣士から大名格の役にまで上り詰め、その働き振りがすばらしかったように、香取慎吾もあんな演技が下手だったのにここまで演技がすばらしくなるとは。人間の可能性というのはすばらしいと思った。三谷は香取にこの才能があることを見越していたのだろうか。すごすぎる。いや、もう、ほんとに今回の加納シーンはすごいよ。あれは脇を固めている演技派俳優だってそんなにはできないような演技だよ。すごいと思う。人間の可能性って無限なんだなあ。

 

-----

新選組!「愛しき友よ(49回)」2004.12.13

最終回にふさわしい回だった。もう色んな感情でいっぱいになり、悲しかったり泣いたりもどかしかったり、でも穏やかで、ああ、もうこれで終わりなんだな、と。でも一方で激しく、そして爽快感あふれる回だった。新選組、今まで本当にどうもありがとう。尽忠報国の士あっぱれなり。
まずオープニング。勝をかばう近藤勇にうるっと来た。江戸から遠ざけようと勝沼に行かせた勝をかばう。ああ、本当に武士なんだと思ったら、泣きそうになった。そして主題歌。最後の主題歌だから泣いてもよさそうなのだが、クレジットに懐かしい人たちがいっぱい出てくるので、「おお、懐かしい」と思っていたら泣けなかった。桂先生と幾松姉さん、のぶ姉さん、たま、旧沖田、旧土方、そしてクレジットラストはふで。ふでの名前を見て予告を思い出しちょっと泣きそうに。
しかしその後はやけに穏やかな展開。「流山」の方が良かったんじゃないかとちょっと不安になるような穏やかさだった。でも、どうにか局長を助けてほしくて、歳さまより捨助の方が正しいと思ってしまう。奪還に行ってよ、皆で助けにいってよ、と思う。奪還失敗してもいいから、皆で局長を助けに行って板橋で皆で死のうよ。局長一人を殺させる気かと思ってもう辛くて辛くて。土方は勝に頼みに行く。とても嫌そうな顔の勝。除名嘆願ならいくらでも書いてやるけどだと?本当に書くのかよ。勝先生でもできないことはできないだと。ふざけるな。しかし勝先生の台詞がまたすばらしい。近藤勇の死は無駄死にではない。薩長土の恨みを一身に背負って死んでいくんだ。あいつでなきゃできないことだ。一方容保さま。もうね、容保様は最高。そりゃそうだ、自分が殺されそうなんだし、容保様に近藤勇を助けることなんてできない。しかし余にできることは、近藤勇の首を取り戻し丁重に会津で葬ることだと。そして薩長を許しはしない、仇は討つと。なんだろう。自分にできることを精一杯やろうとする容保様の姿勢、純粋でまっすぐな思い。胸を打つ。
宇八郎は最悪。お前に何がわかるというのだ。近藤さんを悪く言うことは許さない。沖田のシーンはちょっと長すぎていらなかったかなとも思う。お孝が沖田をかばって死に、血の中を進む蟻を今度はつぶさない沖田。しかしこの大事な回に沖田のシーンがちょっと多くないか。まあいいけど。
土方歳三は宇都宮へ。どうせ死ぬ気なら北へ行ってくれないかと勝に言われる。先にいった奴らのために戦い続けるのが俺たちの役目なんだと言う。最初の宇都宮のシーンでは、やっぱりまだ捨助の方が正しくて、奪還にいってほしいと思った。戦い続けるのではなく局長を奪還に行ってほしいと。でも、局長のことをあえて言わず、黙ってコルクを見る土方。島田たちに見られお守りだと言う土方。宇都宮がおちても会津がある。会津がおちても蝦夷地がある。戦い抜かなければいけないんだと言う。
そして捨助。局長の優しさが身にしみる。ああ、局長は本当に優しい人なのだと思った。そして左之助と尾形。左之助がここで死んでも局長は喜ばないと尾形が言う。確かにこの局長なら本当にそう思うだろうな。そもそも奪還しにくるぐらいなら、流山で戦って死ねばよかったわけで。だから歳さまが奪還しにいかないのも正しいのだとようやくこのぐらいの場面から納得できてきた。もうずーっと局長に死んでほしくなくて、局長に助かってほしくて、皆で奪還に行ってほしくて、土方もあんなに局長が好きなら局長の代わりになればいいのに、とまで思ったけれども、こうなった以上死んでいったものたちのためにも最後まで戦い続ける、官軍に一泡ふかせてやるのが、残ったものの使命なのかもしれない。会津に行き函館に行き戦い抜く。何も逃げるために行くわけではなく、本当に死んでいったものたちのために官軍に一泡ふかせてやるためだけに戦い続け、函館が落ち榎本が降伏しそうなところで一人攻めに出て戦死した。死に場所を求めていたとよく言われるが、死に場所を求めていたわけではない。先にいったものたちのために戦い抜いたんだ。戦うことで近藤勇を思っていたのだと思った。しかしいくらそうは言っても、一人で死なせるのはあまりに悲しくて、そこへ捨助。捨助が一緒にいってくれて、勇は一人じゃないんだと思った。あそこで捨助がいなかったら、やっぱり見ているほうはとっても辛かったと思う。
板橋の民家の人に対しとても丁重な局長。最後まで人柄があふれ出ている。そして「近藤勇、よく戦いました」「多摩の誇りだ」。左之助の「尽忠報国の士、あっぱれなり」。誠の旗があがり、最後に「トシ」…。志、忠義、友情…。すばらしいものを1年見せてもらえたと思う。

そしてその後、走馬灯のように1年間のシーンが。あまりに懐かしい面々に驚いてしまう。しかし出てくる人出てくる人ほとんど死んでいる。ああ、こんなにも皆死んでいったのかと。やまこーも好きだといっていた、かっちゃんが歳に「うちの道場に来ないか」というシーンでちょっと停止。そして京で何が起こるか楽しみという沖田。本当ならあの場面で終わることで悲しさが出てもいいはずだけれども、そんなことはない。京に行ったこと、京で戦い抜いたことを近藤勇はちっとも悔いていないから、だからあの場面で終わって逆に爽快感が残る。斬首を穏やかに映しながらも、その後京を駆け抜けた新選組の歴史を振り返ることで懐かしさとともに爽快感が生まれる。そして京へ行く希望に満ちた場面で物語が終わる。

「新選組を行く」も、まるで計算されたのような内容だ。あの近藤勇の詩、本当にあの人は武士だったのだと思った。慶喜が逃げて、幕末の恨みは近藤勇と会津藩が全て背負った。しかしあの近藤勇の詩は、本当にすばらしい。心の底から武士なのだろう。あんな詩を作ることは普通はできない。尽忠報国の士だ。この1年本当に楽しかった。ここまでの強い思い、志、忠義、国を思う心、純粋に相手を思う心、友情…。ひたむきに駆け抜けた新選組近藤勇の生涯を通し、思い、そして友の大事さを見せてもらった。負けても賊軍と言われても、他人の評価なんて関係ない。自分が信じた道をただまっすぐ生きていけば、悔いのないすばらしい生涯となることを教えてもらった。くだらないことで悩んだり迷ったり、他人の目を気にしたり、大きい物語が見えなくなったり、人が嫌になったり。私にはそんなことが色々あるけれども、新選組のように自分を信じてまっすぐ進んでいこうと思った。
そして大河ドラマは本来そういうドラマだったことを思い出させてくれた。歴史上の人物の半生を通し、自分の生き方を振り返る、そんなドラマだったのだなあと思い出させてくれた今年の大河ドラマだった。