「八重の桜」(2013年大河ドラマ)11話「守護職を討て」の感想です。

本当にひどいね。
「天誅!」と言っていたやつらの9割は、いや9割7分は、何も考えていなかったと思う。
100年後の人にわかってもらえると思って生きていくのはつらすぎる。

やっぱりさ、将軍を変えるべきだったのではないか。あんなに重大な局面であんなやつが将軍だったのが、徳川幕府の全ての終わりだったのでは? 家茂とかのほうがよっぽどよくないか。

いったい、京都ではない江戸の幕閣たちは何をやっていたのか。京都の状況のすさまじさと、慶喜の人格障害ぶりに愛想を尽かして、春嶽並みに逃げ込んでいたのか。15代を降ろして16代でもう少しまともな人を就けられなかったのか?

慶喜さえいなければ、鳥羽伏見の逃げ帰りもありえなかったはず。幕府軍の最大の敗因は慶喜だと思う。

あと思ったのは、幕末の会津を見ていると、「頑張っていれば報われる」ということがないように思うというのは前からずっと思っていたが、「八重の桜」を見ていると、さらにいろいろ考える。今日思ったのは、会津も鳥羽伏見で、それか奥羽越列藩同盟のときに、「もうだめだ」って諦めちゃったんじゃないかなって思う。あきらめた瞬間に、弱くなった瞬間に一気に崩れるように思う。それに対し、長州は最後の最後まで諦めなかったんだと思う。あそこまでぼろぼろになっても諦めなかった。ナナキョウオチなんて、平家物語のような有様なのに、そこでもあきらめなかった強さが、明治政府につながるのでは。

蛤御門の変では、「若殿のご出陣あそばす」とかって、戦国時代みたいなことをいっている。長州藩が幕府を転覆したのではない。志士たちが転覆したのだよ。途中までは藩主の以降の元でやっていたのかもしれないけど、おえらがたも藩主も、あまりの情勢のすさまじさに、自分たちでは無理だって気づいたのかな。だから廃藩置県でももめずに、とりあえずの地位を保障しさえすれば、政治の実験は明け渡した、と。まえから老中とかに実権は明け渡していたのかもしれないけど、新政府の重鎮になりたいとか言い出す人もいそうなのに、よく誰も言わなかったな、と。さすがにここまでの情勢になれば理解できたのかね。