「八重の桜」(2013年大河ドラマ)第8-10話の感想です。

楠木正成以来のゴシンカン、織田信長以来の馬揃え、こんなにも天皇のご信頼厚い忠義に生きた会津を見ると、どうにもなんとも。こんなにも一生懸命生きているのに、どうしてあんなひどい目にあわなければいけないのか。貧乏に喘いでいた公家と宮中が、長州と薩摩ほかの金印が流入して、天皇はもう誰を信じればいいのか、偽勅は発せられるわ、直接人としゃべれないわ、情勢はわからないわ、怖いわ、誰を信じていいか分からないなかで、会津中将だけは信じられた、そういう気持ちじゃないかと思う。孝明天皇の会津好きは特異。本当に信頼していたのだと思うよ。ゴシンカンを走って女中に届けされるとか、馬揃えとか、やっぱりありえないもん。ここまで頑張って報われれば、もっと頑張りたいと思う会津の気持ちもわかるし、会津には重荷すぎるという正論をいう頼母の気持ちもわかるし、なんともいやはや。

こんなにも頑張ってひどい目にあう人って、会津以外めったに見たことがない気がするが…。徴収もかなりひどい目にあったが、会津のような話ではない。会津はあまりにもかわいそすぎる。仁義のためにがんばって、義に反して討たれるとは。

しかし、時代は想像以上に動いているのかもしれない。それは現代でもそうなのかもしれない。自分は必死でやっているつもりでも、しかし会津は、時代は見ていなかった。義は見ていたけど時代は見ていなかった。長州や薩摩のお殿様ではなく、せごどんや大久保どんは、時代を見ていたように思う(西南戦争はどうかと思うが)。義に生きても、しかし開国して近代化せねば、清のようになることは確か。薩摩は汚い戦術をとったが、日本の近代化のためには必要だったのかもしれないとも思えなくもない。

しかし、欧州に追いつけ追い越せでやったら、ABCD包囲網に囲まれ、太平洋戦争に突入と。敗戦後は経済立国に挑み、アメリカに次ぐ経済成長を遂げたも、伸びなやみ、と。

経済成長以外にも必要なことはあるという風潮になってきているし、それはそうだと思うが、明治維新と戦後を見ると、「これ!」という明確な目標が見つかるまでは、ぐだぐだしている国なのかもしれない。その明確な目標が何かはわからないけど。

しかし会津は悲劇だ。あまりにもひどい目にあった会津を奥羽越列藩同盟が支えてくれたのだけが、救い。

いやいや、でも今思ったのだけれども、幕末の歴史に会津が登場していなかったら、もし登場していなかったら、長州と薩摩と幕府軍とで内乱になっていたかもしれないね。会津という仁義に厚い第三者がいたから、長州も薩摩も、会津を仮想敵(妄想敵)において、戊辰戦争を戦えたわけで、長州と薩摩と幕府しかいなかったら、長州と薩摩の内ゲバになって、結局フランス革命みたいに、幕府に揺り戻しとかあったりしそう。混乱短く近代化をなしとげたのは、会津の存在ゆえかもしれない。と思ったり。会津、がんばれ。