himikaさんのWithout Youに、アメリカ人クリスチャン?牧師?によるRENTの解説記事へのリンクが貼ってあったので読んでみました。

読んでいたら涙が。最近RENT見てなかったからな。1ヶ月ぐらい見ていないんじゃないだろうか。RENT関連の物を読むとRENTを思い出して涙が出る。

今月はつらいことはなかったんだけど、それでも事務所にいると気分が鬱々とする。特に月曜日が一番ひどくて、週の中頃からだいぶよくなる感じ。今日も相変わらず鬱々してたのだけれども、RENTの記事読んだら、RENTの人々の懸命に生きる姿を思い出して感動して胸が熱くなった。

で、このアメリカ人の方の記事だと、
・AngelがJesusにたとえられ、AngelはCONTACTで復活するとされ
・MimiがMaryにたとえられ、MaryはJesusの復活後最初にJesusに現れられる人物だ(Finale Bの前のTurn around, girlfriendのところ)とされ
・Finale Bではこの瞬間を生きるとしながらも、それでもWill I?やWituout Youのサビが流れるが、それは私たちが常に考えなくてはいけないテーマだとされ、
・What You Ownで、RogerとMarkはDYING IN AMERICAと謳うけれども、でもCOME INTO OUR OWNと歌い
・RENTのコミュニティーは消して政治的にも経済的にも宗教的にも権力を持っている人たちではないけれども、聖書の中でパリサイ人たちが偽善者とされイエズスから責めを受けるように、そしてイエズスは貧しい人、差別される人とともに日々を過ごし、彼らを癒しており
・La Vie Bohemeは最後の晩餐である(裏切り者Benny)
・RENTは家なき弱者が「家」をみつける話である
というようなことが書かれていた。

で、思ったことをつらつらと。

himika様の記事にもあったみたいに、CONTACTって結構難しくて私には最近までよくわからなかった。性と生がかけられているのはわかったけれども、なぜ死の場面で性的なのだろうかと思っていたのだが、Anthony Rappの「Without You」を読んだら、Jonathanは死を性的な意味に描き、苦しんできた人々が解放され新たなステージへと立ち、そしてそれは恍惚的である、といった記述があったので、なるほどな、と思った。

Jonathanって本当に心が優しい人だったんだなと「Without You」を読んでいると思う。病苦からの解放と幸福なステージへの旅立ちとして死を捉えていて、けして死を悲劇だとは捉えていないということだろう。しかしCollinsもRogerも耐えきれないぐらいにAngelの死を悼み、Angelの死にRogerは耐えきれないかのよう。周囲の人は亡くなった人がいなくなってしまったことを嘆き悲しむけれども、でもその後What You Ownで、Angelの死によって今を乗り越えられたRogerとMarkがいるように、死は良い意味でも周囲の人へも影響を与えていくことを描き、そしてCONTACTで死を性的に描くことで、死が単なる悲劇ではなく、病苦からの解放と新たなステージへの旅立ちを表し、Jonathanって本当に人を思いやる人だな、と思った。

死はけして無駄ではない、悲劇ではないって一言で言うととても偽善的だけれども、そしてそれを簡単に受け入れられる人間はいないけれども、Angelの死を悼み嘆き悲しみ、しかしそれを乗り越える仲間を描き、そして死に行くAngel自身についても死を悼み、でも苦痛でも悲劇でも終末でもなく描き、旅立ちと喜びとして描くという、Jonathanの愛情を感じました。

というのが私のCONTACTへの感想だったのだけれども、このアメリカ人の人の記事を読んで、Without YouでAngelが亡くなり、CONTACTはAngelの復活を描いていると捉える見方もあるんだな、と思った。上に書いた私の感想と大筋では一緒だよね、CONTACTでの死が終末でも悲劇でもなく、新たなステージへの旅立ちだということが、Jesusであれば復活になるのだから。

Angelが一人で天国への道を歩むシーンも本当にAngelが美しくて、凛としていて、神々しくて、この辺りの演出・ストーリーも、Angelへの敬意を感じるし、ひいては死者や死への経緯を感じる。Jonathanはあくまで悲劇ではなく、希望に満ちあふれた劇を作ろうとしたのだと思う。たとえ死が訪れても、たとえHIVは治らなくても、貧困で苦しんでも、孤独で悲しくても、先が見えなくても、それでもそれぞれの人生の美しさを最後まで一貫して描いていてくれる。本当に希望に満ちあふれた話だと思う。


長くなりましたが、CONTACTからFilane Bの感想へ。映画初見時は、あんな希望に満ちあふれたFinale Bの中になんでWill I?とWithout Youが入っているのかわからなかったのだけれども、私の今の感想としては、このアメリカ人の人の意見とは違って、たとえ
I can’t control my destiny
I die without you
Will I lose my dignity, will someone care?
であって、事実それ自体は一幕、二幕の時と変わっていなくても、それでもこのすばらしい今があるじゃないか、今日という限りなく輝いているこのすばらしい日があるじゃないか、だから生きていけるんだよ!という意味のように思う。
これらの問いがあの明るいFinale Bのメロディーに乗ることで、事実自体は変わらなくても、それでもこんなに人生はすばらしいんだと思える、そんなミュージカルであるように思う。


あと、What You Ownは、LIVING IN AMERICAでは、考えずに流されて生きていって、恥も何も流せっていう歌詞だけど、でもやっぱりそれは違っていて、(世俗的に成功しているかのように見える)ソングライターは耳が聞こえない(真実が聞こえない)し、フィルムメーカーは目が見えない(真実が見えない)けど、でも自分はMimiへの思いにまっすぐに、Angelへの思いに正直に生きていきたいと思い、あの夜の心からの気持ちを思いだし、仲間とのことを思い出し、DYING IN AMERICAだからこそ自分らしく自分として生きていこうと思える、そんな歌だと思う。

LIVING IN AMERICAとDYING IN AMERICAでは、表裏なのに、それだけでこんなに違う。ある意味、生きていこうと思えば、漫然と終わらないこの日常が続くかのように思えて、だから保身に走ったりしてしまうけれども、でもいつか死ぬわけで、死をみつめたらやはり自分に後悔のないように生きていこうと思えるのかもしれない。武士道とは死を見つめることでしたっけ?違ったっけ?それじゃないけど、死があるからこそ、人生は有限だからこそ、懸命に生きようという思いにつながるのかもしれない。永遠に続くだろうと思うつまらない日常だと思えば、漫然と保身に走って生きていくかもしれないけれども、いつ死ぬかはわからない。そんな限りある人生を精一杯生きていこうと思えるのかもしれない。


ああ、あとRENTコミュニティーが罪人や弱者であるというのは納得。聖書の中ですら、権力者のパリサイ人は腐っていたのだから、正直者が勝つわけではないのが人生だけれども、でも神の国で紙の椅子に近いのは、パリサイ人ではなく、心から正直に生きる弱者なのであるという聖書の教えを思い出しました。
私はぶつぶつ文句をいって、正直者が報われないとか、偽善者が多いとか書いてるけど、それって聖書の中ですらそうなんだから、そりゃそうかなという気もしてきた。まっすぐ生きて報われるわけがない。でもだからこそまっすぐ生きることには意味がある、価値があるということなのだろうか。


あと最後に、RENTはhomelessかalmost homelessの弱者たちが「home」を見つける話であるというアメリカ人の人の解釈は、なるほどなと思った。この「家」は比喩であり、居場所のことであって、神から生を受けて肉体を神から借りている人間が、自分らしく生き、自分の居場所を見つけ、自分の属する場所を見つけ、愛を見つけ生きていくという話というのは、まさにそうだな、と。

La Vie Bohemeとか見ていると、ややキリスト教への反逆的なところがあるので、キリスト教から見るとどうなんだろうかとちょっと心配だったが、しかしRENTのストーリーは愛に満ちているので、それはキリスト教の教えと合致するんだな、と思った。

しかし、RENTはすごい話ですね。何度見ても何度聞いても何度考えても、様々なことを感じさせられる。