海外ドラマ&映画のセリフ集

海外ドラマ&映画のセリフ集

ここでは、デスパレードな妻たちを始めとする、作品の中の心打たれるセリフをまとめています。
海外ドラマや映画を愛する方と少しでも共有出来ればと思い立ち上げました。

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人は皆、誰かに支えられて生きている。


誠意ある友達や

精力的な弁護士や

愛情いっぱいの家族に。

でも、ずっと支えてくれると思っていた人が居なくなってしまう事も時にはある。


そうなった時の連れ戻したいという想いは、留まることを知らない。
この世に大勢いる良き父親達。


その良さが分かるのは、存在が大きすぎて、居なくなるなり家族がバラバラになってしまう時だ。


生まれ出るずっと前から、愛情を注ぐ良い父親もいる。

迷子になった時、探しに来てくれるのももちろん良い父親だ。

この世には良き父親が大勢いる。


中でも最高の父親は、パートナーである女性に母親としての自信を与えてくれる。
イメージの世界に身を委ねることは誰にでもある。

その方法は人によって様々だ。


仕事と家庭を両立出来ているイメージを作ろうとする者。

過去の恋愛関係に、実際よりも大きな意味を持たせようとする者。

自分達が抱えている秘密は、それほど大変な事ではないと思い込もうとする者。


イメージの世界のルールは簡単だ。

まず自分で嘘を信じこむ。


その嘘を他人に信じ込ませる事が出来たら、勝者となる。
自分の思い通りに、相手を動かす主導権を得るために人は策を練る。

偽装工作したり

ペテンに掛けたりする者もいれば

ゆすりという手に出る者もいる。


そこまで必死になる理由は一つ。

主導権を握り損ねると、他人に人生を委ねる事になるからだ。


そんな危険な事が他にあるだろうか。
私の自殺から一年が経ち、ウィステリア通りも様変わりした。


新しい花、新しい家、新しい隣人。


まさに理想の隣人を絵に描いたようなタイプだ。
自分の居ない世界で生きている友人達を見守るのは不思議なものだ。

誰もがそれぞれのやり方でたくましく頑張っている。

崖っぷちに追い込まれながら。


職場復帰の崖っぷちで失うものの大きさを痛感したり。

欲しいものに手を伸ばして崖っぷちに

本当に欲しいものが何かも分からないというのに。


もはや崖っぷちの完璧な人生は、どんなに望んでも二度と元には戻らない。


明日の身も知れぬ崖っぷち

今日のこの苦境から脱出できればいいのだが。


私は見守るだけでなく、彼女たちの事を心から応援している。

それぞれがなりたい自分になれるように。

だが、人生はままならないもの。

残念だが望みの叶うものばかりじゃない。


ハッピーエンドを迎えるのは、ごく一部だ。
何事にも終わりが来る。


その時が来たら、さよならを言って立ち去るしかないのだ。

それまで当たり前だと思っていたことでも

ずっとそばに居てくれると信じていた人でも。


そうやって変化の時を迎えると、馴染みの顔が姿を消し

馴染みのない顔が取って代わる。


私達に為す術はない。


挨拶をして、向かい入れるだけだ。
結婚の誓いは簡単だ。

生涯を共にすることを誓い合う。


殉教においても、逆境においても

富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も

互いを敬い慈しみ、ただ1人を愛し続ける。

死が二人を分かつまで。


そう、誓いは簡単だ。

難しいのは、そう誓い合える相手を見つけること。


でも出会いから、末永き幸せがそこから始まるのだ。
今年もウィステリア通りに春がやってきた。


でも、誰もが咲き誇る花に足を止めるわけではない。

将来への不安で押し潰されそうな者もいれば

過去の過ちを悔やむ者もいる。

人目を凌ぐのに必死で花どころじゃない者もいる。

なんとか人の尻尾を掴まえようとする者も。

もちろん数は少ないが、春の贈り物を堪能することを忘れない者もちゃんといる。


その一方で、ひたすら暗闇に身を潜めて失ったものに執着し続ける者もいる。
そう、人生は旅だ。


その行程には道連れが居るに越した事はないし

もちろんどんな人だって道連れと成りうる。


お向かいに住んでいる隣人や

ベッドの隣にいる男や

子を想う善意の塊の母親かもしれないし

悪意に満ちた子供という事も。


だが、どんなに心がけを良くしても途中で道連れを失う者が必ずいる。

そこからの旅はまるで苦行だ。


人間は幅広い適応力を備えているが、孤独に対しては例外のようだ。