「なにかやらなきゃと思うときほど、なにもできなくなるもんだよな。まったく自分自身が情けない」
「そんなにお年寄りへ席を譲れなかったことを悔いているとはね。それはタイミングの問題よ」
「まあな。でも、やっぱりカッコつけたいじゃないか。ほんのすこしの親切でヒーローになれるんだ」
「まったく偽善もいいとこだけど、結果よければいいかもね。でも、親切の押しつけもどうかだわ」

電車での移動中に、大きな荷物をかかえた老婆が乗りこんできた。座る目の前に進んでくる。

「やっぱり、ためらっちゃったんだよな。ここでいくべきかどうかって。足が固まってしまった」
「私も思ってはいるんだけど、なかなか体が動かないのよね。よけいなことを考えちゃうから」
「本当の行動力って、ああいうことをいうんだろうな。慣れの問題だろうが、なかなかなあ」
「自然と態度にでなくちゃダメよ。わざとらしく見せつけるようじゃ、譲られるほうも照れちゃうわ」

そう、このムダに照れることが日本人の欠点だ。なにごとも厚顔無恥な態度で望む必要がある。

「たとえばカツラがずれている人がいたら、すかさずセットしなおすとかな。男前になりましたよ、と」
「それこそ余計なお世話よ。でも、そういうのって一番こまるよね。どうしたらいいか、わからないわ」
「なんせ本人の気づかないところでカミングアウトしてるだからな。その勇気に乾杯、といってみるか」
「火に油をそそぐだけよ。そっとしてあげればいいのよ、あくまで自然にね。絶対に笑っちゃダメよ」

といいつつ、思いだし笑いをしている。なにやら似たような経験があるようだ。ズレてはなさそうだが。

「バカ。私がそんなのつけるわけないじゃない。第一、なんで自分自身のがズレてて笑うのよ」
「それだけスマイルを提供してるってことさ。どんな困難な状況でも、あの光景は笑わずにいられない」
「私をどうしたいのか、よくわからないけど。そういうあなたはどうなの。まだ当分は大丈夫そうだけどね」

それは禁句だ。私のを譲ってあげるから安心してと笑いながらいうが、そんな優先座席はゴメンだなあ。