「なんかさ、今日はちょっとした発見があって複雑な気分だ。人間、いろいろあるんだなって」
「そりゃそうよ。平々凡々な人生なんて、そうそう送れないと思うわ。誰しもドラマはあるはずよ」
「そうだよなあ。じつは会社でバイトに来てるオバサンが辞めることになってさ。ちょっと話したんだよ」

帰りに喫茶店で、しばらく身の内話をきいた。ながく離れてくらしていた母親から連絡があったそうだ。

「その人が物心つかない頃に離婚したそうなんだよ。で、末期の癌にかかったとの知らせがあった」
「ちゃんと母親として認識していたのかしら。どういう環境でそだったのか、気になるわ」
「彼女のおばあさんが母親がわりに育てたそうだ。年齢から、ハタチすぎのころに亡くなったらしい」
「そうなるとよけいに赤の他人感覚だよね、いまさら母親といわれても。私なら会おうと思わないわ」

その女性もかなり葛藤したらしく、返事をするまで一ヶ月ほどかかった。父親に相談できない状況だ。

「結局、とりあえず会うことにしたんだって。で、最初のひとことが『はじめまして』だったそうだ」
「やっぱりそうなるよね、彼女の人生に絡んでこなかったのだから。でも、少しは育ててるのか」
「母親としては、なんだかんだいってもお腹を痛めて産んだわけだからさ。いつまでも忘れないよ」
「それはわかるんだけどね。でも何ひとつ思い出がなければ、赤の他人になるのはしかたないわ」

そのあたりを女性も認識していたが、血のつながりという事実が徐々に考えを変えていったそうだ。

「最初は戸惑いがあったそうだが数週間くらすことで、最後にはその溝がすっかり埋まったそうだ」
「どうなんだろう。嫌味をいうつもりはないけど、末期患者への同情心が多くを占めてたんじゃないの」
「その人も娘役を演じたといってた。だが人を思う気持ちは、血のつながりは関係ないともいってた」

どういう事情で離婚したのかが問題だわ、と彼女がヤケにからむ。めずらしく引っかかりがあるようだ。

「でも、彼女をこの世に授けた事実は変わらないよね。私も寛容になれるかな、その彼女のように」

過去より現在を尊ぶ心を大切にしたいと、その女性は別れ際にいった。素晴らしきリアリズムだ。
私の過去も許してくれるよね、と彼女が呟く。妙な告白を許すまじと、その唇をふさいでやった。