「ただいま。いやあ、今夜もおもしろかった。ぜひ会話に参加してほしかったよ」
「私が英語をまったく使えないのをしってるくせに。でもいいよね、そんなサークルって」
「うん。老若男女問わず誰でも気軽に参加できるし、実際バラエティ豊かなんだよな」
「たしか何回か食事にも行ってるわね。今度は私も招待してよ、絶対に面白そうだから」

異なる言語で話すだけで、性格まで変わるのが愉快だ。ボディランゲージはその象徴だ。
文法的に、まず自分が何をしたいのかを明確にうちだす必要がある。あいまいさは許されない。

「そう思うと、文化や慣習って言語がもとになっているかも。一人称で立場をしらせるようにね」
「俺、僕、私、儂とかで相手との関係がわかるんだも
なあ。覚えるのに面倒くさいけどな」
「年齢や地位とかで使いわける必要がないから、自己主張がやりやすいのかな。実際どうなの」
「もちろん各々の言語で敬語表現はあるけど、尊敬語や謙譲語まではないだろうなあ」

ふだんから悩みながら敬語をつかう者からすれば、英語のシンプルさには感動するだろう。
細かすぎるところまで気をやる必要はなく、行動がすべてを証明する。世界言語になった所以だ。

「とはいっても、もちろん欠点はあるけどな。さっきもいったけど、細かい表現にかけるところだ」
「だからこそボディランゲージが必要なわけね。でも、伝わればそれでいいような気がするわ」
「どっちを取るかだよな。いますぐキスするか、それとも月が
綺麗ですねと照れながらいうか」

うーん、とうなる彼女。洒落た表現は、そのセンスを相手へ押しつけることにもつながる。

「むずかしいとこね。その日の気分によるかなあ。とりあえず夕食は和風にしてみたけど」

今夜は曇り空。月はみえないが、にこやかに微笑む目の前の満月に、綺麗ですねといってみた。