アメリカから帰国した友人を囲んでの寿司。舌にとっても至福の瞬間であり、会話も進む。
某大手商社のNY支店ではたらく彼は、ひさしぶり
日本食に涙をながしていた。

「まあ、ちょっとオーバーだけど、かの地の味オンチな国民性は有名だからなあ」
「たしか学生のころから住んでるんだっけ。もう、舌が慣れきって
のか
「年に一回くらいは帰ってくるし、現地には日本食をくわせる店もあるから大丈夫だよ」
「でもねえ。あの肥満率をしったら、よほど気をつけなきゃすぐに糖尿病になっちゃうでしょ」

彼の体型はかわらず、ふしぎと老けこんでいない。飄々とした雰囲気はあいかわらずだ。

「おもしろかったのがグローバル化をめざす会社のくせに、NY支店でも日本語だらけだそうだ」
「それはたんに
従業員日本人ばかりだからじゃないの」
「半々といってたな。とあるポーランド人は、関西弁をたくみに操ってい
そうだ」
「やっぱり日系の企業で働くくらいだから、無理に英語をつかう必要はないのね」

もちろん場合によっては、英語のほうが楽なときがある。感情がシンプルに伝わるからだ。
決断にせまられるときが、まさにそうだろう。イエスかノーかの選択は、日本語ではきびしい。

「ただ、いったん仕事を覚えてしまえば楽だといってたよ。あいつだからかもしれんが」
「そりゃ、二十歳そこそこでNYに単身とびでた人だったら、なんでもすぐに慣れるわよ」
「そんなヤツでも、ついに身をかためたのは驚いたけどな。もう二年前になるか」
「てっきり国際結婚かと思ったら、いかにもな純和風の女性だったよね。どこで出会ったのかしら」

転職をかさねていた時期に、たまたま同じ職場で意気投合した二人。嫁はかなりのしっかりものだ。

「子供ができたら、どっちで育てるのかしら。あの二人なら、どこでも気にしなさそうだけど」
「環境は大事だと思うけどな。まあ、他人の心配をしてもしょうがない。気楽に見守って
こう」
「そうね。でも寿司の味に感動しているのなら、やっぱりこっちで育てたほうがいいんじゃない」

彼女のつくる味噌汁で酔いざまし。俺の願いは、これを未来のオフクロの味にすることだ。