ふと、南の島にいきたいと思うことがある。日がなベンチに腰かけ、本を読む。
トロピカルジュースで喉をうるおしながら、島人との談笑に身をゆだねる。
なにも考えずに、ゆったりとした時間を贅沢につかいきってみたい。

「でもね、あなたはすぐに飽きると思うわ。そんな生活」
「そうかなあ。すくなくとも三日は我慢する自信があるぞ」
「我慢する時点で、もうダメじゃない。その空気へ自然に溶けこまなきゃ」

なにかと焦りがちな性格は、おそらくそれを許さないだろう。
いつも語彙の定義をかんがえながら、その行動にうつしてしまう。
のんびりとは、ゆったりとは、自然とは。どこかに基準をおかないと落ちつかない。

「なんで男は、そんなに理屈っぽいのかしら。流れに身をまかせたらいいのに」
「本能のままに生きろってこと?メシ、金、女、みたいに」
「そうじゃなくて価値観をぼかすのよ。あれもあるんだ、これもあるんだって」
「多趣味になれってことか。オレは不器用だからなあ」
「もう。そういう一つの言葉に要約するクセを、まずはなくさなきゃダメね」

男女の違いは、右脳と左脳の差といわれている。ロジックとイマジネーション。
未来という時間の把握を戦術的にとるか、それとも戦略的にとるかの違いもある。
結局その差は、子供をつくる能力に還元されるのかもしれない。

「でも、その結論は間違ってるとおもう。世の中には子供ができない女性もいるわ」
「いや、差別的にいったつもりはないよ。あくまで本能が求める男女差かなと」
「どっちでもいいんじゃないかな。本人が幸せだったら、価値観なんて関係ないわよ」

すこし怒らせたようだ。しばらく下をむいて黙っていたら、急に抱きついてきた。

「どう、これで暖かくなったでしょ。この瞬間だけ、南国気分になれないかしら」

たしかに、こうしていると時間がとまる。おだやかでのんびした空気が流れる。
何も考えずに抱きかえしていたら、汗ばんできた。ビーチ代わりの風呂へ誘ってやろう。