先日、とある資格をえるために筆記試験へトライした。
ひさびさににぎる鉛筆がみょうに書きづらく、何度も消しゴムのお世話になった。

「もう字を手書きする習慣が、すっかりなくなったからなあ」
「本当ね。私も漢字の書き順なんかは、たいぶ忘れちゃってる」
「年賀状は唯一といえる手書きのチャンスだけど、やっぱり楽をしたいからさ」

もともと字で褒められたためしがないので、あまり見せたくない。
一方、嫁は書道二段の腕前で、すくなくとも楷書体は目をみはるものがある。
まるでペン字の通信講座の見本のようで、読んでいて気持ちがいい。

「でもね、個性がないって師範からよくおこられたわ」
「字がきれいなのにこしたことはないけどね。書道家になるのならともかく」
「やっぱり生き様が字にもあらわれるのかしら。私は凡人だからなあ」
「そんなことないと思うけど、そう思いたがるのは誰しもあるだろな」

美女の書く字に美しさを期待するのは、男の身勝手な妄想だ。
おそらく筆力や書体のしなやかさに、女の母性を見つけたいのだろう。

「逆に女は男の字を見て、どう思っているの」
「とくにどうこう思わないけど、あまりに汚いのはダメね」
「やっぱり性格も汚らしいと考えちゃうからかな」
「何かを書くってことは人に見せるのを前提にするんだから、わかるでしょ」

ようはガサツすぎる男に、自分の身をあずけられないということか。

「たとえ自分用のメモであっても、そこには相手がいるんだからね」
「なるほどなあ。思いやりの度合いが字にあらわれるってことか」
「そう。だからなるべく自我を抑えて、相手のことを考えながら書くんだけど」

すると嫁が紙とペンをもってきた。なにか書いてとリクエストする。

「なんでもいいわ。いまのあなたの感情をそのまま紙に写してみて」

しばらく考えたのちに、紙いっぱいに大きく書いてやった。

「心、か。よくできました。クセはあるけどあなたの字、好きよ」

私の気持ちはこれ、とその上に「水」の一字がきれいに添えられていた。
魚になったことはないが、これが二人で長く暮らす秘訣なんだろうな。