私が施設でイヤだったことは


ルールを守るのがバカバカしくなると思うことがよく起きることでした。


ミーティングで決まったことは覆らない

と言いながら、例外をよしとし、それが要領が良い とされることが、未だに納得も理解も出来ません。


施設の備品の買い出しに行く人を募る というのをミーティングでやっていて、私はそのタイミングで定期面談に入っていて、参加 不参加 の意思表示が出来ず、参加と言えなかったから

すごく行きたかったけど諦めた。

参加を表明していなかったおばあちゃんメンバーが 当日の出かける段階になって 私も行きたい

ならいいよ という流れ で行ったことを後から知って ルールを守って帰った私はなんだったのだろう と立腹したのですが、それは悪いことですか?


私も当日行きたいって言って行けば良かったのに

と言われたけど、それなら なんのためにルールがあるのか?


ルールを守って行動すると損をする 

という図式が私の頭の中に出来上がり


イレギュラーに過敏になってしまいました。


でも世の中はやはり イレギュラーには、ルール違反にはきちんとしていて、ここの常識が世間の非常識 だと割りきるに至りました。


イレギュラーによって不利益を人に与える

なんて考えは、空気を読まずにイレギュラーを起こす人は持ち合わせていない。


私は施設から出て こういう理不尽さからも解放されたのです。


もし、イレギュラーを要領が良い

と言わずに、例外を許してイヤな思いをさせて申し訳ない という言葉のチョイスをしてくれていたら、私はそこまで激昂しなかったかもしれません。


イレギュラーをしたおばあちゃんに

本当はダメなんだけど、今回だけだよ と言ってくれていたかはわからない。


私のやりたい、や承認欲求は ことごとく イレギュラーに潰されてきました。


真面目にルール通りにやって こんな不条理を味わう というのは、白黒思考の私にとってはすごくストレスになります。


本人に私の思いを伝えたところで、何かが変わるわけでもなく、終わったことがもう一度できるわけでもないので泣き寝入りです。


こういうアバウトさが居心地がいい人が多いのも

精神障がい者の世界なのかもしれません。


ルールにうるさい奴 と思われても、私は 自分が間違っている とは意地でも思いたくありません。


誰よりもきちんとやってきて、納得いく充足感が得られないってバカバカしくなってきます。


今はやったらやっただけ認めてもらえる環境になって、やったことを損にされないのが新鮮でありがたいです。


ストレスの種まきをされないので、すごく体調がよくなりました。


順調に頓服を減らせて、夜も早くから眠れるようになって、土日もマイナス思考でイライラすることなく、より一般社会に近い環境の方が私は居心地がいいことに気付きました。

消費するエネルギーの差に身体がついていかず

通所の日は帰ってきてバタンですけど(笑)


猫ちゃんのことは知らないことがいっぱいで

覚えることと触れあうことで手一杯です。


猫ちゃんのツンデレは想定内のものなので

イレギュラーと感じないのでストレスにはなりません。


イレギュラーがまかり通る と ルールの中での自由 はきっちり分けるような施設に変わっていくことが、離れた私の願いでもあり、施設の発展のカギなのかなと思います。