燃えよドラゴンズ! -36ページ目

燃えよドラゴンズ!

野球のこと、日常のこと、『相棒』のことなど、毎日いろいろ書いていきます。

「偉人伝」など連載的にやっているものも多くあるので
是非見てください!


今日、卒業アルバムが届きました。


親しい人にはほとんどメッセージを書いてもらいました。


が、自分はそういうものを書くのが得意ではないため、基本、1行とか2行になってしまいました(汗)


帰り道たまたま一緒になったMさんにそのことを突っ込まれました(笑)


まあ思い付かないんだからしょうがないですよね~

第十四章

一学期の感想は「楽」、この一言に尽きる。これは「楽しい」というよりも単に「楽」という意味合いが強い。


理由は明白だ。

1年の時のように水曜以外毎日部活があるわけでもなければ(陸上部は月、火、木、金のみ)、顧問の見えないプレッシャーに圧されることもなかった。
そういうわけである。


さて夏休み、前年は部活に次ぐ部活だったが、この年は違った。


部活は少なく、さらに全くきつくなかった。ソフトテニス部時代は「苦痛」以外の何物でもなかった部活が、「楽しい」とさえ思えるようになった。大変大きな進歩である。


学校のこととは離れるが、8月下旬、2泊3日で北海道へ行った。


帰ってきたあと、人生で初めて携帯電話を買ってもらった。

もともと「高校生から」と言われていた我が家にあって、買ってもらうまでには数日間の交渉を要した。


初期に登録した電話帳のほとんどは久慈からもらったものである。


あの時久慈には多大なる労力を費やしてもらった。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。


昨年初めに公開された映画で、今年の初めにTBSでやっていたのを録画して観ました。

これは、東野圭吾の同名小説の映画版です。先日紹介した『悪意』と同じシリーズに当たります。


本当は原作を読んでから観ようと思っていたんですが、受験中に買いだめしておいた本が多く、『麒麟の翼』にはまだまだ辿り着きそうにないため、原作より先に映画を観ました。


実際、原作を読めばまた違う感想になるんでしょうが、良い映画だったと思います。小説を映画にするとき、脚本には苦労すると思いますが、そこは(『相棒』もよく担当する)櫻井武晴さん、見事にやっておられました。


阿部寛、中井貴一といった出演陣も素晴らしい演技でした。

TSUTAYAにてCDアルバムを5枚借りてきました!

今日の1,2時間目に学年レクをしました。

結果は3位でした。


自分は2つの競技に出て、

1つ目は1位タイ
2つ目は2位


でした。


N君(『三年間の軌跡』の新山)をはじめとするレク係の友人たちのおかげで、楽しいものとなりました。

学校から帰宅後、入学書類を提出しに日比谷高校へ。


ただいまその道中です。

ここで俺の属した2年D組を紹介する。

担任は新任の渡部夏実先生。怒ることはまずない、優しい先生だった。


2年D組は、とても仲の良い、素晴らしいクラスだった。


1年E組も先述の通り良いクラスだったが、2年D組の方が深く印象に残っている。


それにはソフトテニス部から陸上部に移るなどして、自分の性格が変わったことも影響していると思う。

1年の頃、男子についてはある程度はしゃべったが、女子とは坪田沙里と読売について意見を交わす程度だった。まあ内向きだったのである。


しかし2年になって、特に2学期以降、男子は勿論のこと女子とも普通に話すようになった。

それが証拠に、橘高幸代という1年の頃も同じクラスだった女子とは、2年になってから話すようになった。

そして、このとき仲の良かった友人たちとはクラスが離れてもメールやLINEをよくしている。これは、1年E組の人たちとはあまりないことである。


また自分はこのクラスで、初めて学級委員をした。

1年の時は小杉が1年間やり続けたからである。

因みに2年も自分は前期のみで後期は新山が務めた。新山は後に陸上部部長にもなっている。


ともかく、このクラスで1年間過ごせて、良かったと思う。

ソフトテニス部を辞めた我々5名は、このまま帰宅部になるのは好ましくないと考え、運動部では唯一、中途で入れそうな陸上部に入部した。


この陸上部は、自分達が1年の時とてもゆるく、一週間に一回、出れば許されるような部活だった。その当時の顧問は薩摩・小出体制だった。


しかし、我々が2年になったとき、つまり自分が入部した年に、菱川志保先生も顧問になった。そして、練習内容その他、きつくなったらしい。ただ、ソフトテニス部にいた自分にとっては、全くきつくなかった。


陸上部では、まず短距離か長距離か選択した。

久慈、佐藤、中島は短距離を選んだ。

自分と辻山は同じクラスに新山雄也という陸上部員(長距離専門)がいたため、そいつに付いていったところ、長距離グループになった。

後輩には、菅修介や亘海斗らがいたが、彼らは皆速かった。菅や亘は当時から自分より完全に速かったし、他の者も今では自分より早いだろう。


この時は別にどちらでもよかったのだが、後のことを考えると、長距離を選択して良かったと思う。
予想など無意味だと思っていますし、あまり気乗りはしませんが、友人1名がしてほしいようなので一応します。
上に行くほど高い評価と思っていただいて結構です。


〔読売〕
1位確定的(85%)。
レギュラーが怪我などをすれば2位も有り得る(13%)。


〔中日〕
2位有力(60%)。
選手の怪我や監督の迷采配などがあれば、3位(28%)或いは12年ぶりのBクラス(10%)の可能性も捨てきれない。


〔ヤクルト〕
2位微妙(45%)。
他チームの出来次第では1位(05%)、3位(35%)、4位以下(15%)も有る。


〔広島〕
4位有力(75%)。
いつものような後半の失速がなければ3位(15%)も有り得る。
1位や2位、6位は流石にないだろう。


〔阪神〕
5位有力(60%)。
補強した選手が機能すればAクラス(10%)も見えてくる。
逆に、今年は6位(20%)もある。


〔DeNA〕
6位確定的(80%)
ブランコらが機能し、投手が成長すれば4位(09%)、5位(10%)もひょっとしたら有り得るかも。
「話し合い」では、摂津先生の説教が延々と続いた。実際は1時間強程度だったのだが、数時間以上にも思えた。


精神的に疲弊した自分は、不覚ながら「続けます」と言ってしまった。自分が最初に続けるかどうか聞かれたため、これがこの長い話を終わらせるベストの手段だと思っていたのだが、他の3名は「黙り込み」を使った。そして、摂津先生もそこまでで終わりにした。


どうしよう…。

自分だけ「続ける」と言ってしまったことで、また「やめる」と言い出しにくかった。真剣に悩んだ。

が、自分は決断した。

翌日、電話で辞めることを告げた。

辞めなかった米川や、諸先輩方には迷惑をかけ、申し訳なく思っているが、その後の2年間を振り返れば、この時辞めたことは大英断だったと思う。他の3名も翌月曜までに辞めることが出来た。


余談になるが、初めは「辞めない」と言っていた中島も、何故か翌月曜、佐藤と辻山に便乗して辞めた。

つまり、中島だけ苦しまないことになる。


は?

とは思ったが、辞められたことへの歓びが強く、まあいいか、という気分だった。


この5人(自分、佐藤、辻山、中島、久慈)が後に「元テニ」と呼ばれる。

※都築、戸沢(その後正式に退部)も元テニではあるが、辞めた時期が違うため所謂「元テニ」とはならない。